わたしの、恐さを消す方法
子供の頃は恐いものを求めるのに
大人になると、恐いものを避けるようになった
お化け屋敷、心霊スポット、世にも奇妙な物語
わたしはどれも好きだった
ほん怖も好きだ
った
今はどれも求めていない
何年か前に映画、犬鳴村を観に言ったが
怖くて、もうホラー映画は見ないと思った
ほら、行ったが言ったになっている
わたしにとっては、それだけでホラーなのだ
冗談はいいとして
不安が不安を呼ぶ
恐がりだすと、色んな事が恐くなってくる
カーテンの隙間も気になるし
トイレに入ると何だかゆっくりできないし
雷がなると窓越しに何か映るのではと
気が気でない
窓越しに何か映った場合は
サスペンスの可能性もあるので
見極める必要がある
わたしは別の恐さも気になりだすと
止まらない
もう何年も前だが
脳梗塞という言葉が出てきた頃
自分も倒れてしまうのではと恐くなった
見たことがあると恐い
目の前で人が倒れるのを
見た事があるだろうか
わたしは5、6回ほど見たことがある
どの方も大事には至らなかったし
脳が原因で無い方がほとんどだったが
相手の意識が無い場面に直面すると
とても動揺する
しかし、何度も経験する内に
わたしはある事を知らされた
本人は、覚えていないということだ
心配はする、それは良いことだ
けれども、恐がる事はない
倒れた本人は覚えていない
その場は、急に起こった出来事に騒然とするが
対処をする側は冷静でありたい
なのでわたしは自分に言い聞かせる
本人は、痛くない苦しくない恐くない
もし、そうであったとしても
起きたら覚えてない
そう思えると
自分もパニックにならずにすんだ
わたし自身も、恐かった
倒れるのではと、恐かった
だが今ではあまり恐くない
おそらくわたしも
倒れたとしても覚えてはいないだろう
それよりも、その時のまわりの方を
恐がらせる方が気になる
決して脳梗塞が恐くない
というわけではない
それは、恐い
ただ、そうなったり、その場面に
立ち会ったとしても
恐がらなくていい、とそう思ったのだ
その事で、わたしはもう一つ知った
わたしの記事を読んで頂いてる方は
もう聞いた、と思われるかもしれないが
わたしが恐がっている時は
心は内を向いていて
まわりの方を気にすると
心は外を向く
つまり、誰かの事を想っている時
恐さは無くなるのだ
だから、恐がりのわたしは
感謝しながら生きていたい
恐いのは、自分の事を考えているからだから
なんだかカタコトみたいになって
しまったが
これで終わりたい
なんとも締まらない話になってしまった
最後まで読んで頂きありがとうございます
こういう場所好きです
色も分かれてて、メッセージ性が出せました
こひろ様ありがとうございます