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自己紹介沼

沼に入ると抜け出せない
わたしは未だ抜け出せていない
画像は沼ではない、カピバラさんのプールだ

昨今では沼と聞くと良い方にハマっていると
いうイメージだが

今回は良い方ではない
いやある意味良いのかもしれない

自己紹介を苦手なわたしが
なぜ苦手なのかを考えてみた

今でこそ多様性が受け入れられてきたが

わたしはこういう者ですというのを
述べていくにあたって

言ってはいけない

いや言わない方がいい事もまだまだある
と感じるからだ


自己紹介は作文に似た爆弾

わたしは小学生の頃から作文も苦手
担任の先生は感じたように、思った通りに
書けばいいと言ってくれたが

悲しい物語で必ず悲しいと感じるとは限らない
楽しい物語で必ず楽しいと感じるとも限らない

しかし学校では
それを求められている気がした

皆の前で発表したり褒められているのは
やはりそういった

筆者の言いたい事を受け止めて
自分の言葉として文章に出来る子だからだ
社会性を育む場所だ
仕方ない

思った通りに
感じた通りに
素直なわたしが書いた作文は

社会性から逸脱した感想だった
勿論受け入れてはもらえない

自分はこう感じた
自分はこう思った
大切な自分のその時の感想だ
何も悪い事はない
ただそれ以来、作文は苦手になった

自己紹介は事故紹介になりかねない

自分の事を述べると言っても、社会性を考えると
言わない方がいい事も出てくる

わたしが思う自分というものを出していくと
社会性から外れていく
社会性から外れていくものを
社会に出そうというのだから
変な例えだが、爆弾を担いでいるようなものである
わたしは近づきたいのに
近づくと嫌がられる

相手が必ず自分を受け入れてくれるとは限らない

情報の出し過ぎは事故につながる
自己紹介が苦手なわたしは、ついアクセルを
踏み込んでしまう
事故につながらないかいつもヒヤヒヤだ
しかし踏まなければ進まない
これが自己紹介沼である


だからと言って誰かが悪いのではない
少しおかしい人なのかもしれないと感じたら
距離を取るのが無難だ

わたしは少しおかしい
少しかな
ただ
記事は最後まで読んで欲しい

そもそもわたしは勘違いしているのかもしれない

社会的に自己紹介は挨拶の一環だろうか
私は皆さんの敵ではないと示す為に
当たり障りのない自己開示をする行為なのだろうか
と思った事がある
私というものを出せば出すほど
あなたとの違いを、言葉を通して
示す事になってしまう

自己紹介とは
自分はこういう者ですを述べよ
ただし受け入れられると思われる範囲内で
ということだろうか
自己紹介とは本来そういうものだろうか
なにか釈然しゃくぜんとしない

わたしは物事をまじめに捉えすぎるきらいがある
自己紹介をするとなれば素直に自分というものを
述べるものなのではないかと思ってしまうが

集団という視点で見るとそうもいかない

集団の輪の中に入る時には
この人物は輪の中に入っても
大丈夫な人かを、見定める必要が出てくる
もし大丈夫ではない場合
集団の輪が崩れる可能性が高いからだ

例えば野菜しか食べない集団の中にいって
わたしが好きな食べ物はステーキですとは
言いにくい
言ってしまえば大事故だ
ブレーキが壊れている

そんな人が入ってくれば野菜しか食べない集団では
なくなってしまう
ともすればステーキ好きが1人
また1人と増えてきてしまうかもしれない

集団として見た時それはとても危ういのだ

だから排除されてしまう

受け入れられないのだ

受け入れるという事は認めるという事でもある

あなたはステーキがお好きなんですね、と

野菜しか食べない集団が
お肉も食べる集団に変わったけど、それでもいいと
受け入れ合ったり認め合う世界である時に
自己紹介は本来の意味で
出来るようになるのかもしれない

もちろん認め合う世界なので
野菜しか食べないという事も
受け入れるという事になる


対立が悪いわけではないが対立が起こる世界で

わたしはわたしはと私の事を話すほど
悪気はなくともあなたとわたしは違うと伝えている

けれどもそれは、敵ではないと示す行為と
逆行しているのではないか

そんな矛盾がわたしをまた沼らせる

多様性と昨今言われるのは
多様性を認め合おうという事だと
わたしは思っている

認め合おうという事は受け入れるという事でもある
果たして受け入れられるのだろうか

私達人間が、部屋に出たクモ一匹受け入れてあげる
台所に来たアリ一匹受け入れてあげる
庭に生えてきた雑草を
邪魔だとは思わずに、優しく抜いてあげる
そんな世界を望めるのだろうか

虫や草は人ではないが
それらは人間とは違うという認識と

肌の色や性別や国籍が違う
という認識は

同じ所にあるとわたしは思う
自分と違うという対立が、自分の中にあるからだ

自分で書いていても綺麗事を書いていると思う
それに、自分は違うという我を持つのが人間だ
わたしは人間が好きだ、そこを否定したくはない
けれども、認め合うフリでは
認め合っている事にはならない

対立の中で生きるのか
お互いを認め合いながら生きるのか

自己紹介を本当の意味で出来る世の中を願っている


このジレンマが
わたしが自己紹介を苦手としている
ところだろう


最後まで読んで頂きありがとうございます



いつか有料記事にするかもしれません
今はただ読んで頂けると嬉しいです

有料記事を増やしたい、けれども読んでもらいたい
そんな矛盾がわたしをまた沼らせる
有料記事沼だ


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