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初詣に行きました

こんばんは、年末年始は掃除をしたり勉強をしたり楽器の練習をしたりと、学生みたいな過ごし方をしていました。皆さんはどんな過ごし方をしましたか?

今日はリアルな学生時代からの友人が誘ってくれたので、近くの山の中腹にある神社へ行き、初詣をしてきました。
山の麓から神社の駐車場までは10km弱の山道を走り、駐車場から御社殿までは(数えていませんでしたが)300段くらいの階段を上るという行程を進みました。モータリゼーションが進んでいなかったら一生来なかった自信があります。

神社までの道のりが結構長かったので食堂で何か温かいものを食べたかったのですが、残念ながら着くのが1時間遅かった。食堂は営業終了しており、空いた小腹を売店のお土産用だんごで間に合わせてお参りに向かいます。

拝殿までさらに階段を上り、謎の輪っかをくぐり、賽銭箱へ十円玉を転がし、二礼二拍手一礼!私が良い仕事人になれますように(神に叶えてもらう事柄ではない)!隣にいる友人が新しい家族と良い関係を築けますように(余計なお世話である)!
そう願掛けをしたら、次は目に入ったおみくじを引きます。
良いこと書かれてたら気分が良くなるから、良いやつ出てこいよ~、と念じて、これだと思った一枚をチョイス。

末吉なのはいいけれど
ちょっと厳しすぎない?

こういうのって「概ねなんとかなるけど調子に乗りすぎると痛い目みるぞ」とか「わかりやすい幸運には恵まれないけど頑張ってたらいいことあるよ」みたいな内容が多いと思っていたんですけどね。
あの、これってつまり「基本的に何をしても上手くいかないから余計なことをしないで大人しくしてろ」ということ…?
あの、わたくし現在ニートなので”余計なことしない=ニートを続行する”なんですけど…?あなたに従ったら国民の義務、果たせないんですが…?
え…?ええ…?

まあ縁起の悪いおみくじは縄に括って、気を取り直して来た道を戻ります。謎の輪っかをくぐって、階段を下りて、手水舎の存在に気づきます。(上る時は見えなかった)
手水で身を清めることに抵抗がある人向けに、お清めの火打石セットが用意されていました。面白そうだったので火打ち石を擦ります。石と打ちがねを擦ると一瞬火花が見えて気持ち良かったです。

手水舎の隣にさっき引いた物とは別のおみくじ(?)があったので様子を見ます。どうやら、三枚の皿(釉薬が塗られていないので土器?)にそれぞれ願い事を書いて、柵から崖下に設置された輪っかに向けて皿を投げ、輪っかの中や近くを皿が通過したら勝ちその願いはきっと成就しますよ、というもの。
面白そうなので友人と二人、各々の願いを皿に書き輪っかに向けて投げることにしました。
なお料金は二人で千円、友人持ちである。

一枚目、きみにきめた!家内安全!
家内安全は他の参加者といい勝負な場所に落ちて割れた。
二枚目、いけ!出世!
出世は家内安全よりも輪っかの近くに落ちて割れた。
三枚目、がんばれ!愉快な人生!
愉快な人生は輪っかのすれすれを通り、落ちて割れた。

先に引いた散々なおみくじよりも良い結果ではないでしょうか。
どうやら欲しいものは運任せにせず、自分の力で勝ち取っていけということらしいです。(勝手な解釈)

皿投げに興じてスッキリした我々は、神社を後にし山を下りて行きます。
自動車とはいえ、冬の夕方の山道は寒いし暗いし少し不気味でした。

田舎道の長いドライブを経て街に戻り、おなじみのコーヒーチェーンで少し暖を取る。
彼との友人関係は気付けば十年以上続いている。
出会った頃は好きな映画の感想や、卒業後にどんな仕事をしたいかといったことをよく話していた。
現在は共通の知人がその後どう生きているのか、親の健康状態が怪しくなってきた、最近ちょっと体のここが悪くなった、といった話をするようになった。
友人との会話の内容にさえ、中年の足音が近づいて来る。
何も持たぬまま中年になるのはつらい。
だが少なくとも共に歳をとる仲間ならいる。目の前でコーヒーを飲む彼もその一人だ。
なんと心強いことだろう。

すみません、寒い時期のコーヒーショップに古い友人というシチュエーションが楽しすぎて小説ライクな文章になってしまいました。
しかし時代を共有できる仲間がいるというのは、本当にありがたいことだと思います。
私は他人に邪魔されず何かに取り組める時間を愛している方ですが、それでもずっと孤独に過ごし続けるのは寂しいですからね。

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