呪術師と玄人
エンタメについて。
演技演出は、エンタメなのだと思う。
それは悪いものなのだろうか。ならば何故、ここまでエンターテイメントや夢の世界は無くならないのだろう。相手を喜ばせたいという嘘や演出。愛と嘘という文字は、接点がないように思えるが、果たして。
AV女優の演技は、悪いものなのか。
AVも、ディズニーランドも、アイドルも、偶像として分かっていて楽しむ。これが、健全なのだと思う。その線引きが曖昧になり、たかが外れてしまった。そんな時、危うさになり得るのだ。例えるなら、アストラル体と現実が混在した感じか。アニメなら怪しさ満点のシチュエーションである。
まずそれらのお楽しみルールであったはずの
“フィクションはフィクションとして遊ぶ”
“夢は夢として遊ぶ”という強度が弱くなっているからこそ、おかしくなったのではないかなと思う。
フィクションとノンフィクションの境目がわからなくなってきた。そんな時代がもたらしたものでもある。(と思っている。)
デジタルとアナログのコラボ。2.5次元アイドル。作曲は人間、歌はボカロなどもそうじゃないだろうか。remixが当たり前なのだ。
「いーや我、演技演出はし・て・い・な•い!」
と言いたい人もいるだろうけども、意地悪な私は社会性の中では当たり前におこなわれているだろと申し上げたい。この世のマナーでさえそうだと思っている。
まねぶ事から取り入れた物は、自分の一部だと思い込んでいても魂レベルで言うとやっぱり演出なのだ。
本でも、ビジネスや、商談やお見合いを成立するコツ、モテるノウハウ、面接で受かる本などは総じて演出演技本だと思っている。
演技演出は、他者ベクトルでありまねぶ(学ぶ)ことで取り入れてきたもの。
本気さや、心を投じる、本質は、自分との向き合い方や問いかけの中で生まれると私は思っている。ここは、演出演技とは言い難いところだ。
演出演技は円満にし、迅速に、人々を高揚させる力があるのかもしれない。
先日、マジックバーに行った。
タネも仕掛けもわかないマジックは不思議なパワーを操る超能力にも見えた。
けれど店主は言った「タネはあります。マジックです。」キッパリと言い切っていた。
その理由を尋ねると、本気でマジカルなサイキッカーだと思われ込むからだそうだ。噂を聞きつけたスピリチュアルなお客さんも後を立たないそうだ。
「人は簡単に騙されるから」マジシャンの、そんな意味深な言葉がまだわたしには残っている。
呪術を使う教祖にもなり得ただろうが、
この人は誠実な玄人だった。
演出と演技の中で生きるのなら、誠実な玄人として在りたい。そこに誇りを持てるかどうかだ。
その誠実な玄人になるにはやはり、自分との対話や内省の中で育まれるものでは、と思う。
それは、聖者の石を磨くことだ。
そこに興じる自分に曇りはないかどうか。
何が言いたいかよく分からない文章になった。しめさせていただくとすると一言。
エンタメの演技演出をウソの一括りと一蹴してしまうのはあまりにも雑じゃね?
これでする。
いいとか悪いとか話したいわけでない。私としては、人生のエンタメを大いに楽しもうな!という境地であり、それを叫びたくなった所存でございます。