思考という審美善への錬金
思考がもたらす贈りもののひとつは、
個人を強くする力になり得る。
なぜならそれは内省・自己との対話のソースだから。
その思考からもたらされた個人の力は、世界との軋轢や圧力に屈しない強さをもたらしてくれます。
ただ、その思考がこの世でどのように顕れているのかまで見ていく必要があります。
その思考がジャッジ、けなし、見下しや、誰かに劣等感を抱かせ、分断を起こさせるものとして顕れていたのなら..
思考は戦いの駒にあてがわれています。
それは単に、思考の回転率が高く一定で、自己との対話になっていないことを示します。
本来、知性は美しいものです。
多視点的理解や、優しさ、普遍的な真善美を見極める力、そしてそれらを生きる意志力にまでなるのだから。
そこから生まれるアルケミーは人々にとって啓発なのだろうと、偉人達のスピーチを見て感じました。
思考(内省)が知性まで磨かれ、放たれているまさにその時、一筋に差し込む光(知性の現象化)として感じられるのでしょう。