間違いだ、と言われても心を守るためには必要だった
とても感情の起伏が激しく、どうにもウマが合わない(合わせようとしても行き違う)社内関係者がいる。
その類は、やたらドラマチックな出来事が好きで、エグゼクティブや影響力の大きいメンバーにインパクトが及ぶ事柄を見つけると、喜んで飛びついて揚げ足を取り、殊更大きなトラブルに仕立て上げ、自分が一刀両断に解決したかのような振る舞いをする。
それまでの経緯や状況、メンバーによる判断理由を聞きもせず、思い込みで突っ走り、相手を悪役と決めつけ、自分の言っていたことは都合よくすっかり忘れ、自分が正義だと振りかざして人を顎で使う。
その人から見たら、自分はきっと正しいことをしていると信じているのだろう。
しかし、私の目指すプロフェッショナル像、尊敬したいリーダーシップ像とは天と地ほどかけ離れている。
そんな人に、光栄にも(?)招かれたディナーに、どうして気持ちよく参加できようものか。過去に参加したときは、複雑な気持ちになった。一方的に話されるから、話題提供をしなくて良い気軽さはあるものの、取り巻きのようにその人を煽て、気を使い、神経をすり減らすだけ。
「仲間として認識している」「労をねぎらう」名目なのだろうが、ただでさえ出張中で朝から晩まで走り回って疲れ切っているところに、さらにエクストラのパワーを絞り出すなんて到底できなかった。
なので、行かなかった。
そしてそれが、反逆の姿勢だと捉えられた。
私の言葉足らず、礼に欠けた振る舞いだったことは認めるが、ディナーに参加するしないで、いちいち味方だ、反抗だ、と騒ぎ立てることの器の狭さよ。深い落胆を禁じ得ない。
その人から私の欠席に対して不満を聞いたであろう上司からは、ステークホルダーマネジメントの観点から、私の選択は間違いだった、とはっきり言われた。業務上ではそうかもしれない。インクルーシブなお誘いを受けた事実自体は感謝している。
でも、他の誰でもない私自身の心を守り、私の時間の使い方を決める上では、必要でかつ正しい判断だったと、私自身には断言できる。