捨て犬男とノラ猫女:Oct.3
【バラソフト】と書かれた縦長の旗に向かって歩く。美弥子は売店が近づくと小走りになり、店員の前に立つやいなやバラソフトを注文した。昼食というより、おやつだなと思いながら、賢太はアイスカフェオレを注文した。
ばら園を一望できるオープンテラス。丸いテーブル席がひとつ空いていた。美弥子は、急いで急いでと賢太を手招きながら足を速める。向かい合う形で椅子に座ったものの、美弥子の視線はバラに向かった。そのままの姿勢で、バラソフトを口に運ぶ。
「うーん! コレ、ホントにバラの味がする」
「え? バラ食べた事あるの?」
「ないよ。でもバラだなって。味って言うより香りなのかな。バラ味のガムとかもあるじゃない? そういう香り系かも」
うんうんと美弥子は頷いたが、賢太はバラ味のガムの味を知らない。コンビニで見かけた事はあるが、食べたいと思わなかった。入浴剤によくある、森の香り的な表現なのだろうと納得し、ストローでカフェオレを吸い上げる。
賢太は、冷たい感触が喉を通過して初めて、喉が渇いていたのだと自覚した。同時に、先程まで少し距離をとっていた美弥子がそばにいると改めて認識し、心臓がドクンドクンと大きく波打ち始めた。
スプーンでバラソフトをすくって食べながら、美弥子は満足そうに椅子にもたれる。
「やっぱり緑はいいねえ。落ち着くよ」
「……緑、好きなの?」
音を放ってすぐ、何てくだらない質問だと賢太は思った。好きだから【いいねえ】と言ったに決まっているのに。
「緑好きだよ。賢太くんは?」
「え? あ、まあ、うん、好きかな……」
誘ってくれてありがとう、と続けられない自分を殴りたくなる。美弥子に会えずにいる間、今度会ったらあれを話そう、これを話そうと、ネタは溜めていたはずなのに。
――前もこんなだったよな……ダメだな俺
待つ時は長いと感じていても、実際にはたったの二か月程。その間に喋り上手になるわけもなく、結局また美弥子のおしゃべりに助けられるはめになりそうだ。美弥子は、こんなに黙ったままの男といて楽しいのだろうか。賢太は、ばら園に視点を合わせているふりをして美弥子の表情を覗き見た。視線がぶつかる。美弥子は、とても穏やかな笑顔。
「一緒にきてくれて、ありがとう」
美弥子の響きが鼓膜に触れて脳に達する。それが頭の中で駆け回って思考を混乱させる。
ありがとう?
俺、何かしたっけ?
それを言わなきゃなんないのは俺なのに
「……とんでもないことでございます」
「やだ、何それ!」
賢太が何とか振り絞った言葉で、美弥子は大きな声を上げて笑った。賢太は、顔が熱くなっている自覚があった。恥ずかしい、照れくさい、嬉しい。どの感情が一番かはわからなかった。しかし美弥子が笑顔ならそれでいい。シンプルな答えを導き出せたのは、案外良い傾向なのではと賢太は思った。
バラソフトを完食した後、美弥子はもっと何か食べたいと言って売店に向かった。数分後、戻って来た美弥子の手には、二つの菓子パンと、ホットミルクティーが握られていた。
「はい、これは賢太くんの」
「いいの?」
「お腹空いてない?」
「あ、うん、空いてきた」
正直、空腹感はなかった。気持ちが満たされているせいだろうか。しかし美弥子の手から菓子パンをひとつ受け取り口に運ぶ。【パン屋さんのパン】といった感じの味がした。対面でパンを頬張った美弥子は、ぱっと目を大きくする。
「美味しいね、このパン。パン屋さんのパンみたい」
「今、同じ事考えてた」
「ホント? これ、すっごくパン屋さんっぽい味だよね。ってパンはみんなパン屋さんからくるのか」
「うん。でも、パン屋さんの味って表現でいいんじゃない?」
「だよねえ。賢太くんはさ、パン派? ご飯派?」
「あ、えっと……えーっと、半々、かな」
「そうなんだ。私は、どっちかっていうとご飯派かな。ほかほかご飯に、つくだ煮のりとか美味しいよねえ」
「つくだ煮!? 結構シブくない?」
「そう? じゃあじゃあ、賢太くんはご飯のおともと言えば何?」
「えーっと……明太子、かな」
「オジサンじゃーん」
「明太子っておじさん? コンビニに普通にあるよね、明太子おにぎり。あれ美味くない?」
「美味しいけど、やっぱつくだ煮だよ」
「つくだ煮は少数派だと思うよ。コンビニのおにぎりに、つくだ煮ってあるんだっけ?」
賢太は、何の話をしているんだと途中で笑い出しそうになった。しかし美弥子はしっかりと言葉を返してくれるし、表情もコロコロと、面白いように変わる。そんな反応を味わえるのなら、話題は何だっていい。