ひのき舞台は探偵と一緒に:14.駄目だし#2
ガチャリ
スピーカーが沈黙しドアが小さな金属音を放つまで、おそらく三十秒とかからなかった。
「すみませんねぇ、こんな場所にお招きしてしまって。でも悪いのは貴方なんですから……こんな仕打ちも仕方がないですよねぇ」
ニヤつきながら部屋に入り、町田はドアを閉めた。仕立ての良いスーツを纏っているが、放つ気配に紳士の要素はゼロ。これまで見ていた町田は、別人だったのだろうか。
怖い
素直な感情が、彩菜の体を後退させる。
「私が、何をしたと言うんです?」
「私の邪魔をした、としか言えません」
「ですからそれが何なのか、全くわかりません!」
「でしょうねぇ……でも、これをお話しても無駄だと思うんですよねぇ」
「無駄とは?」
「だって貴方には、ああ、お目覚めのようです……さてさて」
彩菜の問いに答えず、町田はデスク上のモニターに近づく。彩菜の視線も移動。
モニターに、起き上がった蛭田が映っている。掛け布団を胸に抱くような仕草。右を見て、左を見て、頬に手をあてる。自らの感触で、身を置く状況が現実か否かを確認しているようにも見える。動きから読み取れるのは戸惑いと、不安。
「クっ……愉快ですねぇ、あれがかつて鉄仮面と呼ばれた蛭田早知子の姿だなんて……この映像、今すぐネットにアップしたいくらいですよ」
クククッと漏れ出す姑息な笑いを飲み込もうと、町田は両手で口元を押さえる。その仕草が堪らなく腹立たしい。今すぐブッ飛ばしてやりたい。
彩菜の中で何かが弾ける。ハイヒールを素早く脱ぎ左右の手に。おりゃあっ、と振り上げる寸前、町田はワークチェアに腰を下ろした。
「ほら御覧なさい。もう一人の占い師様のお出ましですよ」
画面の中。布団の上に座り込んだままの蛭田に近づくのは、黒に染まった輪郭。カメラの角度のせいで顔は見えない。
「せっかくですから、二人の会話でも聞きますか? 盗聴になりますけど」
町田はスーツの内ポケットから、スマートフォンを取り出した。
≫ 貴方は
ご自分の罪は消えたと
お考えですか?
聞こえてきた声は、これといって特徴のない、男声。
≫ そんな……思ってもいません!
そんな風に考えているわけではありません!
蛭田の声は切迫した響き。画面の中の蛭田は体を男に向け、両手を畳につけて身を乗り出している。まるで許しを請うているよう。
≫ では何故人の姿に?
あれは貴方の
飼い猫に対する禊ではなかったのですか?
それともただの戯れでしたか?
男の口調は淡々としていて感情が読み取れない。言葉の意味だけを拾えば、蛭田を責めていると捉えられる。
一方の蛭田。男の問いに答えを返せない様子。激しく動揺しているのだろうか。ただ首を横に振り、目元を拭う仕草を見せる。
≫ あの子達には
本当に申し訳ないことをしたと……
嘘ではありません
一生背負っていく罪であると……
声を詰まらせた蛭田。肩が震えている。何度も目元を拭う。何か呟いているような音。
蛭田の音を、動きを、つぶさに拾いたい。彩菜はモニターに近づこうと足を踏み出した。それを妨げたのは町田の足。
「動かないで下さいね。貴方、自分の置かれた立場を、理解なさってます?」
丁寧な口調。態度は傲慢。町田はワークチェアに腰かけたまま、彩菜の全身にくまなく視線を走らせた。そして、ニヤリ。
彩菜は全身の強張りを自覚しながらも、それを悟られまいと一歩後退し、ハイヒールを持った両手を左右に垂らした。その場で立ち尽くし、じっと町田を見据える。
「はい。物わかりの良い方で助かります。どうかそのままで。ああ、靴はどうぞ、お履きになって構いませんよ。冷えますからねぇ」
腹が立つほど柔和な笑みを見せた町田。しかも小さな会釈まで披露した。その表情だけを切り取れば、紳士そのもの。こうしてこれまでも腹黒さを巧みに隠し、蛭田を欺いていたのだろう。
(何とかしてここを出ないと……クロガネとワガハイは、どこにいるんだろ)
[ アヤナ キコエルカ アヤナ ]
(クロガネ!! どこにいるの? ワガハイは? ミハネは?)
彩菜は頭を固定したまま視線を動かした。しかしクロガネの姿は捉えられない。
[ アセルナ イマハ ソイツノコトバニシタガエ イイナ ]
(そんなこと言ったって……怖いじゃん!!)
[ オチツケ スコシジカンハカカルガ カナラズタスケル ダカラ シンジテマテ ]
(わかった……クロガネも気をつけてね)
[ ココロエテイル ]
数秒経過したが、クロガネの響きは再開しない。代わって彩菜に触れたのは、カー君二号の響き。
[ ワガハイモ テツコモ ドコニイルカワカッテイルカラ アンシンシテ ]
(壊されてないよね?)
[ ダイジョウブ ワガハイカラ キャクホンヲアズカッテイルカラ ヨクキイテ ]
(脚本?)
[ サイゴマデ エンジルコトダケ カンガエテ デキルヨ アヤナチャンナラ ]
(了解……アイアン鉄子、最後まで演じきってやる!)
グっと、彩菜は奥歯をキツく噛み締めた。そして力を抜き、深呼吸。台詞と段取りを伝えてくれるカー君の声に、しばし集中。与えられた台詞は、即暗記。
(では、始めますか……)
ハイヒールを床に揃えて置き、優雅な動きで履いて見せる。そして両手をヘソの前で重ね、彩菜はスッと背筋を伸ばした。