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Transparent cloud – 2②

いつも通り、階数表示のないエレベーターで移動する。
顔認証で自動ドアを解錠し、ワークスペースへ。
 
「モモの新しいターゲット、ミドリからの引継ぎだから」
 
ワークチェアに腰を下ろしながら、アオはほんの僅か眼球を右にスライドさせた。
その先に存在するのは、緑河光流(ミドリカワ ミツル)。
モモが所属するグループのリーダー。
グループメンバーは5人。
男女比は2:3。ミドリは2分の1に該当する。
ヴィンテージ風のTシャツに、タイトなカーゴパンツ。
シリコンゴム製のサンダルは適度に履きこまれている。
斜めに流した黒い前髪。
ブラウンのセルフレームに隠れた目元。
曇りなく磨かれたレンズの奥に、切れ長の目。
伸びた背筋。デスクの下で窮屈そうにしている脚。
ミドリは5人中一番長身で、一番年上。
ミドリは正面モニターを凝視しながら、手元のタッチパネル上で指先を移動させていた。
人差し指と中指を揃えて、そっとパネルに触れる。
その仕草を何度も繰り返した。
 
「モモ、こっちおいで」
 
ミドリの声は中音域で、優しく弾いた木琴のように温かい。
18歳の男子にしては話し方が落ち着いている。
極端な略語や、意味を理解するのにネット検索が必要になるような、所謂若者言葉は使わない。
それはモモにとって、非常に好感を抱く要素だった。
 
「これ、あんまり使ってないよね? ……触ってごらん」
 
ミドリが【 これ 】と言って示したのは、サーモエステシア。
映し出されたCG画像に触れると、そのイメージに合った温度を体感出来る機能。
例えばコタツの熱を思わせる明るい橙色の画像なら40℃程度、
氷の塊を思わせるクリアな青の画像なら5℃程度、
色と形の組み合わせによって人間がイメージする温度を提供してくれる。
【 ここ 】ではその技術を用い、サーモグラフィで写し撮った監視対象者の体温を体感出来るようシステム化している。
ミドリに席を譲られたモモ。
モニター越しに、監視対象者と対面。映っているのは女。
薄い眉。少し眠そうな目の下に斑点状の薄いシミ。
色白で鼻の毛穴が目立ち、角度によっては、くっきりとほうれい線が確認出来る。
モモはタッチパネル下部のアイコンに触れ、女のデータを表示させた。
 
S区962―691(F)
 
女を示すコードナンバー。
モニターには必要最低限のデータのみが表示される。
詳細を求める為にはコードナンバーをタップし、パスワードを打ち込んだ後、アイズ専用のデータファイルにアクセスしなければならない。
それを実行する前に、モモが欲しいと望んだデータがミドリからもたらされた。
 
「34歳、家族構成は夫と2歳半の息子さん。夫は中堅の電子機器メーカーに勤めてる。過去データについてはあとでゆっくり確認しよう」
 
すんなりと頷きを返し、モモは改めて女の顔を見た。
 
(……34って、こんな感じなんだ)
 
女の風貌は、もう少し年上のように見えた。
明るいブラウンの髪の毛をうなじの位置で束ね、女はベランダで洗濯物を干している。
日差しが目を攻撃しているのか、目元の表情は険しく、眉間には皺が集中。
露わになっている耳たぶには、ピアスの穴が3つ。
ピアスは装着していない。
グレーのTシャツ。襟元はよれ、小さな毛玉が生まれていた。
 
「モモ、画面切り替えてもいい?」
「うん」
 
モモの了承と同時に、女の顔色が変わる。
顔面に鮮やかな赤が広がり、口元は黄色。
首から鎖骨付近にかけても赤が広がっているが、頭頂部は黒に近い。
物干し作業に忙しい腕も黒。
 
「この人、イラついてる……」
「うん、今朝息子さんが随分駄々こねてたからね。普段なら洗濯物が干し終わってる時間なんだ。結構神経質で1日の生活リズムを崩したくないみたい……触ってみなよ」
「……うん」
 
モモは右手の中指一本だけを、女の額に伸ばした。
実は、体感機能が好きではない。
以前触れた時、あまりに生々しい温度が伝わってきて鳥肌が立った。
一呼吸置いて、女の額部分に指の腹をつける。
その温度を皮膚が器用に吸い取った。
 
「どう?」
「特に……平熱だと思う」
「他に何か感じない?」
「…………わからない」
 
モモの素直な回答に、ミドリは目元を緩めた。
 
2人の間に出来た空白に、子供の笑い声が割って入る。
ベランダの女は眉間に皺を寄せたまま声の方向を振り返り、姿勢を低くした。
女の輪郭がベランダの柵に隠れる。
間を置かず、女の声がモモの耳に届いた。
 
《 あれっ? ママに持って来てくれたの!? ありがとう 》
 
先程までのしかめっ面からは想像出来ない、柔らかな響き。
ベランダと部屋を遮断していた網戸がスライドし、数秒の間を挟んで閉じられた。
再び姿を現した女。頭に乗っているのは、黒いストローハット。
変化が訪れたのは頭部だけではない。
女の輪郭。体の色が一変していた。
 
顔面、胸部は眩しい黄色。
黒かった腕も、黄と赤に塗り替えられている。
 
「子供って凄いよね……彼女をイラつかせたのも子供だけど、彼女に幸せを与えてるのも子供なんだよ」
 
ミドリは、女の顔にそっと指を添えた。
 
「…………うん、さっきよりずっとあったかい。あ、熱が上がったって意味じゃなくてね」
「ちょっと、モモに主観押し付けるのやめて欲しいんだけど! 客観性が重要だってわかってるくせに!」
 
アオの口から飛び出た鋭い棘は、綻んだ目元をモモに向けたミドリに刺さる。
刺されたミドリは、切れ長の目を見開いただけ。
背中を丸めたモモの頭に左手を乗せ、ミドリはモニターの中の女に視線を向けた。
 
「何をどう見るか……目だけじゃ正しい判断は下せないかもしれないよ」
「だからやめてってば!! モモ、スルーしてスルー」
「じゃあ、僕呼ばれてるから。あとよろしくね、モモ」
 
アオの批判を聞き流し、ミドリは部屋を出て行った。
 
颯爽とした背中が自動ドアの向こうに消えて10秒と経たないうちに、無機質なスライド音が流れる。
 
「おはよー」
 
両手を胸の前で振りながら歩いて来る少女。
ノースリーブのシャツワンピースはアイボリーとライトグレーのストライプ。
素足を隠すミュールには小ぶりのリボン。
少女は滑らかな茶色い髪の毛を揺らし、アオとモモの間に入り込んだ。
 
「はい、モモ立って……うん、良いバランス。なんか落ち着くう」
 
小柄なモモ、長身のアオ。
ちょうど2人の中間の背丈を持つ少女は、共に入室した少年にVサインを披露した。
 
「いいから早く始めよう。みんな座って」
「はいはーい」
 
早口だが滑舌良く言葉を並べた少年に、少女はふんわりと反応を返した。
 
2人は部屋の中央に置かれた丸テーブルに向かう。
モモはアオの動きを待って足を動かした。
 
一番先に席に着いたのは、黒田海斗(クロダ カイト)。
通称クロ。17歳。
チェックのネルシャツにジーンズ。
あっさり人混みに紛れ込めそうな標準体型。
少し癖のあるフワフワとした髪の毛のせいか、面立ちが幼く見える。
しかし目つきは鋭く、無駄な笑顔を見せない。
見た目も話し方も無愛想だが、本人に自覚はないらしい。
一方、クロの右隣に腰を下ろした少女は、必要以上に笑顔を披露している。
白山千晴(シロヤマ チハル)。
通称シロ。16歳。
良家のお嬢様を思わせる品のある美人。
行動や言動はのんびりしていて、時々アオやクロに苛立ちをぶつけられるが、それを器用に受け流す技を持っている。
クロとシロ。対称的な表情が並んでいる。
この2人の事を、アオはモノクロコンビと呼んでいる。
 
アオはシロの隣に座り、モモはアオの隣に座った。
モモとクロの間に空席が1つ。通常、ミドリが座る場所。
そこに座るはずの体温は不在。
なんだか少し空間が寒い気がして、モモは半袖から飛び出した腕に手の平を添えた。
 
「メール、読んでるよね」
 
クロが唐突に話し出し、モモは姿勢を正した。
シロは首を縦に振り、アオはそれを見届け、首を大きく回しながら口を開く。
 
「そろそろだと思ってたけど」
「俺も」
 
淡々と答えたアオ。クロはごく小さなため息を吐いた。
シロは両手で自分の頬を包み込み、アオとクロ、交互に視線を移す。
 
「んーー、でもさあ、決まりじゃないんでしょ? 個人の意思だってあるワケだしい……ねえ」
「そうかな。決まりなんじゃない。ここでは個人の意思なんて尊重されないと思うけど。アイズの適正が無いって判断されたら終わりだよ」
「俺もそう思う……」
 
モモは3人の表情を視界に留め、誰かの口が開くのを待った。
しかし誰も音を放たない。
それを確認し、空間に音を流し込む。
 
「ごめんなさい……私、内容わかってないみたい。そもそもこれ、何のミーティング?」
 
3人の視線。一気にモモに集中。
明らかに疑問を投げかけている目だと悟り、モモは沸きあがった戸惑いを、はっきりと顔に現した。
ワークチェアのキャスターを転がし、アオがモモに接近する。
 
「ちょっとそれ、見せて」
 
テーブルに置かれたモモのタブレットを顎で示し、アオはモモにログインを迫った。
パスワードを入力し、タブレットをアオに差し出す。
 
「ダメだよ自分以外の人間に触らせちゃ」
「あ、そっか……どうすればいい?」
「メール見て。朝イチでミドリから届いてない?」
「今朝? ……無かったと思うけど」
 
モモがメールボックスを確認したのは、午前6時35分。
まだ3時間しか経っていない。記憶は鮮明だ。
しかしアオの言葉に従い、メールボックス内を確認。
 
「…………やっぱりないよ」
「他は? どんなメールが届いてる?」
 
アオの声から伝わる緊張感。刺さる視線。
クロとシロの視線も、よそに移る気配はない。
モモは自分の心拍数が上がる瞬間を捉えた。
これは異常事態。
顔面が熱い。頬は紅潮しているかもしれない。
数回指先を擦り合わせた後、モモは受信メールをスクロールした。
今朝目にした件名がズラリと並ぶ。
全て開封済み、そして確認済みである事を確認。
 
(! ……何、これ…………)
 
たったひとつだけ。見つけた違和感はひとつだけ。
それなのに、心臓は大きくモモの胸を叩いた。


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