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ひのき舞台は探偵と一緒に:6.序幕#3
部屋は洋室。窓はひとつ。壁紙もカーテンもシンプルで、華美な装飾はない。部屋のほぼ中央には応接セット。ホームセンターでも手に入れられそうな合成皮革のソファーに合板のテーブル。カーテンは白い花柄。上品な雰囲気だが上質な素材には見えない。屋敷の外観と比較すると、何とも貧相な景色。
(……まさか、ネコの部屋だから?)
蛭田はソファーにうずくまるように座り、作り物の尻尾を手でさすっている。毛づくろいのつもりなのだろうか。ドアの前に佇んだ彩菜。更なる一歩を踏み出す勇気が持てない。
「ニャるで、ニャニャに、ニャニャン」
「え?」
ネコのはずの蛭田が放った人を匂わせる発言に、つい素で反応してしまった彩菜。【しまった!】の表情を、鉄仮面は見事に隠す。
「まるで、ネコに、小判」
蛭田の発言、完全にヒト化。
ふっと寂しげな笑みを見せ、蛭田は頭に付けたネコ耳を外しながら淡々と語り出す。
「小判は、この屋敷……ネコの部屋なら、これで充分よ。高価な装飾品を置いたって壊すかもしれないし、壁紙だってボロボロになる。カーテンは爪を引っ掛けて登るのに最適だし、木製テーブルなんて爪とぎの道具でしかない。安物なら、何をされても惜しくないでしょう?」
落ち着いた語り口。しかし顔面に施されたネコメイクはそのまま。何とも滑稽だ。
笑う気も起こらない。彩菜は正直な感情を隠さずに、じっと蛭田の目を見据えた。蛭田もまた、じっと彩菜を見据えている。
「アイアン鉄子さん」
「はい……はじめまして」
「驚いた?」
「はい」
「理由は、わかる?」
「ネコ、について、でしょうか?」
「ええ」
「……申し訳ありません。わかりません」
「正直ね……どうぞ、座って下さいな」
「失礼いたします」
促され、ソファーに向かう彩菜。蛭田の対面に腰を下ろし、その視線を受け取る。
「鉄仮面……私も、そんなあだ名をつけられたわ。笑顔よりも鬼気迫る表情でいるほうが楽だったのよ、色んな意味でね」
蛭田の響きは、女性にしては低く硬い。それでもどこか、温かみがある。
「鉄子さん、とお呼びしてもよろしいかしら?」
「はい、光栄です」
「私のことは、先生以外の呼び方でお願いね」
「はい。かしこまりました」
彩菜は深く頭を下げた。鉄仮面が落ちてしまわない程度に。
頭を戻した彩菜にニコリと笑みを見せ、蛭田は静かに音を再開。
「蕗島から、何と言われてここへ?」
「蛭田様に新しい占い師を、と。現在お付き合いのある占い師様がいらっしゃると、伺っています。ただ……」
「ただ?」
「蕗島様は、ひとりの声だけに耳を傾けるのは危険だと、感じておられるようです」
「そう。彼女はそんな風に……」
じっと彩菜を見据えていた蛭田。目を逸らし、ため息。そしてポツリ。
「こんな姿で説得力がないと思うでしょうけど、私は正常なの。本当に正常なのよ……ただ、あの人の話を聞いていると心が解き放たれる気がして……話せる相手が、たまたま占い師だというだけで、占いにどっぷり浸かっているわけではないのよ……ところで、貴方はどんな占いを?」
「私は、夢を」
「夢? 寝て見るほうの夢ね」
「はい。夢は、絶対的な私有空間です。そこで見たもの、出会ったものは、自らが自らに見せるメッセージです」
「ここ最近、夢なんて見たかしら……ああ、思い出せないわ。日を改めましょう。次回は人間の姿で待っているわ」
これは遠まわしに【もう来ないで】と言われているのだろうか。
しばしの沈黙の後、蛭田は腰を持ち上げスタスタと窓辺に近づいた。閉じたカーテンに手をかけ、僅かな隙間から空を仰ぐ。そんな静寂の中、彩菜に声が届いた。
[ アヤナ ココカラ ダセ ]
彩菜の中に響いた声は、バッグの中に潜んでいるクロガネのもの。素早くファスナーを引き僅かな隙間を作る。それと同時にスルリとバッグを抜け出した鉄のヘビは、音なく素早く、ソファーの下に潜り込んだ。
(クロガネの配置は完了……って、ホントにこんな計画で大丈夫かな?)
[ ソンナコトヨリ ジブンノシンパイヲシロ ]
勝手に心の声を聞くんじゃないよっ、と言いたいところをグッと堪え、彩菜は何事もなかったかのように蛭田の次なる動きを待つ。すると今度は、別の声が彩菜の中に進入して来た。
[ ネコトツキハ オニアイデスネ ]
(え……まさか)
[ ワガハイハ バクデアル ナマエハ マダナイ ]
パクリかよっ、とツッコみたい気持ちをセーブし、彩菜はそっと、胸元のストールに手を触れた。声の主は、ここにいる。
(ネコと月って、どういう意味?)
[ セツメイハアトデ マズハ カノジョノココロヲ ツカマナイト コレカラ キャクホンヲヨミアゲル シッカリエンジルヨウニ ]
(……お願いします)
素直に受け入れる彩菜。その視線の先。ゆらりと後退し、カーテンを閉じた蛭田。耳のない中途半端なネコ。悲壮感を纏った姿。本当に笑えない。
「蛭田様」
「何?」
「ネコと月は、お似合いですね」
「え?」
「月を見上げておられたのでは?」
「ええ、そうよ」
「ネコの目は月の満ち欠けの如く変化するので、大昔エジプトでは、ネコを月の神とし、大切にしたそうです」
蛭田の目元が、大きく開く。続いて柔らかな曲線に。頬が持ち上がった、穏やかな笑顔。
「面白い話を知っているのね……今夜夢を見たら、きちんとメモしておくわ。次の約束は、蕗島から聞いてちょうだい」
「かしこまりました」
「わざわざ来てもらったのに、短い時間で申し訳ないわね」
「お会いできただけでも光栄です。それと……これをお渡ししたくて……枕元に置いてお休み下さい」
彩菜はミハネを手に、蛭田の側へ。
「大きな鳥の夢は、自由や創造の象徴と呼ばれています。ですが、大きいものですと圧迫感がありますでしょう? ですから、囀りの愛らしいこれを……素敵な夢を見られますように」
鉄仮面の中で微笑んで、ミハネを蛭田に差し出す。蛭田は一瞬、戸惑うような表情を見せたが、静かにミハネを受け取った。
「ありがとう。そうさせていただくわ」
「こちらこそ、ありがとうございます。それでは、失礼いたします」
頭を下げた彩菜。くるりと踵を返すと、蛭田の声が背中を追った。
「スカーフの刺繍、とても素敵ね」
「ありがとうございます」
振り返って礼を述べた彩菜に、蛭田は続けて言葉をかける。
「モチーフは獏。悪夢を食べるとされている動物ね……でも本当は、夢を食べるというのは俗説だというのは、ご存知?」
「……はい。人から人に伝わる間に想像や理想が加わって、本当の姿というのは見えなくなる……蛭田様も、苦労された経験がおありではないですか? 人前に立つ人間は、とかく誤解されやすいものですから」
彩菜は言い終えて、僅かに首を傾げて見せた。蛭田の顔には驚きの表情。彩菜は更に言葉を繋いだ。
「カーテンに描かれている花は、マーガレットですね。花言葉は、恋占い、真実の愛、信頼。最後の言葉は、人間関係においてとても大切ですね……それでは、失礼いたします」
丁寧に頭を下げ、戻す。視線の先には、笑みを浮かべた蛭田の姿。
「また会える日を楽しみにしているわ。アイアン鉄子さん」