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まつりのあと:8_②

 戸棚からアルコール度数の一番高い酒を選び、父の秘密と一緒に抱え、外へ。

 空間は夜の様相。風は凪。星は見えない。曇りの夜は殺風景。けれど、赤を灯すにはちょうど良い。

 家の裏から一斗缶を持ってきて、庭の真ん中に置く。車の中からネイビーのネルシャツを持ち出し、缶に突っ込んだ。酒の蓋を開け、惜しみなくシャツに注ぐ。

「お酒が勿体ないけど、これも供養です……他人の悪さまで背負ったんだから、これくらいいい酒でもって送ってやらないと、やってられませんよね」

 石原は私が何をしようとしているのかを察し、ポケットから煙草とライターを取り出した。

「タバコ大丈夫ですか、って言うか……あの、いいんですか、それ」
「このシャツは捨てそこなったゴミですから構いません……タバコ、一本下さい」

 凪いでいた風が、突然存在感を現し始める。火を焚くと気付いたのだろうか。小さな火を片手で覆い、素早く煙草に火をつける。石原も同様の動きを見せた。煙草が半分ほどの長さになった時、今だと思った。火種を消さずに一斗缶に投げ入れる。石原も続く。

「石原さんも、お願いします……派手にやっちゃって下さい」

 封筒から取り出した書類を半分、石原に渡した。二人ほぼ同時に破り始める。破った紙は一斗缶へ。次から次に放り込む。互いの手が空になると、一斗缶の中の赤は勢いを増した。灰となった父の秘密が夜空に舞い上がる。赤に照らされて、風に乗って、ひらひらと、ゆらゆらと、気まぐれに去って行く。とても綺麗だと思った。

 ネルシャツが、ほどよく燃え始めたのを確認し、私はボイスレコーダーを投げ入れた。プラスチックが溶ける匂いが鼻を刺激する。けれど場を動かず、シュワシュワとカタチを変えるそれを、じっと見続けた。

 もうどうしたって音声を取り出せないだろうと確信を得て、息が漏れた。数日間抱えていた重みが去って、やっと火の温もりに手を伸ばせた。

「何を燃やしても、火はあったかいんですね……お肉とか焼きたくなりますね」
「あ、晴菜さん、餅、食べます?」
「ここで焼いて、ですか?」
「はい」
「煤だらけになりますよ。でも、お腹は空きました。お餅、食べたいです」
「持ってきます!」

 石原は車から餅と一緒にウインドブレーカーを持ってきて、私に差し出した。それに腕を通し、餅も受け取る。いただきます、と言って小さな袋を開けると、風で餅取り粉が舞った。

 無言で火を見下ろしながら餅を食べる大人ふたり。なかなかシュールな図だな、と思い、笑いが出た。石原も笑った。同じことを考えたのだろうか。

 餅を食べ終え、一本煙草を吸い、石原は突然笑い出した。

「晴菜さんは、凄いですね」
「何がですか?」
「思い切りがいいというか、やることが、結構派手ですよね」
「どうせやるなら、って感じですかね。本来もっと湿っぽく処理しなきゃいけないのかな、とも思いますけど……これでいいんです」
「そうですね……大丈夫、ですか?」
「今更なんの心配ですか?」
「いや……ショックだったかなと」
「あー……何でしょうね。ビックリはしましたけど……こんな田舎ですからね、生きるためには若干目を瞑らないといけないこともあるんだなって……私は都会に逃げた人間ですから、この町でのあれやこれについて意見する立場にないと思います。ここで生きる人達がそれを選んだのなら、それが必要だった、のかなと」
「寛容ですね」
「違います適当なんです。それに怖いっていうのもあります。告発することで色んなものを失う人が出ると思うと……責任重すぎません? この役目」
「だから晴菜さんだったんですよ、きっと」
「一番出来損ないなのに」
「そんなことは……一番思い切りがいいと、判断したんじゃないかな?」
「ですね……あ、ちょっと今、わかった気がします」
「何が、ですか?」
「父が、私に秘密を託した理由が、です」

 図々しいかな、と思いつつ、私は石原に煙草をねだった。ゆっくりと吸いながら、憶測を述べる。

「兄は優しくて、責任感が強いんです。だから胃に穴が空くほど、悩みに悩み続けるかもしれない。それこそ死ぬまで。姉は常識人で、人の親です。自分が子供達に教えたい正義と、どこかの誰かが養う子供達の行く末とを天秤にかけて、答えを出せずに、やっぱり一生自分で秘密を持ち続けるかもしれません。だから、私なのかも。私には責任感も、伝えたい正義も、守りたい誰かの生活も、何もないから」

 細く長く、煙を吐く。カタチを留めない白が夜に染みて、見えなくなって、また新しい白を吐き出す。

「案外、私達を見ていたのかもしれません」
「これからだって見てますよ」
「それは勘弁して欲しい。お風呂に入りにくいです」

 一瞬間をおいて、石原は大声を上げて笑った。そんなに可笑しかっただろうか。あるわけがないから言えたのに。なかなか想像力豊かな男なのかもしれない。

 新しい一本に火をつけた石原を、私は煙の向こうに捉えていた。この男の目に映っていた父は、どんな姿だったのだろう。誰かの目を通した父は、私の目を通した父よりも、真実に近いのかもしれない。知りたい。けれど今、父のことを語らせるのはやめよう。笑顔が戻ったとはいえ、何がきっかけでまた涙を流させてしまうかわからない。石原の笑顔は良い。温かい。嘘がない。何度でも見たくなる。

 一斗缶の中の赤が小さくなるまで、私達は祭りの話しをした。餅撒きの状況を石原が再現し、爆笑。やはりその場で見たかったと口惜しく思った。

 話している石原は、本当に楽しそうだった。帰りがけにカンナガラを拾おうとしたけれど拾えなかったこと、来年また見にくるということ。私の中にも祭りのシーンが再来して、太鼓の音が響いて、カンナガラの香りが広がった。一緒に、あの場にいられて良かった。その時にしか生まれない興奮を、共有できて良かった。石原が、祭りを好きになってくれて良かった。

「祭りは、その場に子供達がいなけりゃ成り立たないって、おやっさんが言ってたんです」

 祭りを見たかった理由を、石原はそう語った。父の放った言葉の意味を確かめたかった、と少し寂しげな表情を見せた。そしてまた、笑った。あの数時間で、それは確かめられたのだろうか。

その場に子供達がいなければ……

 伝承、という意味なのだろうか。大人達は受け継いできたものを子供に見せ、子供はいずれ大人になり、それを引き継ぐ。その繰り返し。祭りの楽しさとともに、伝統をその身に刷り込む。やれ、と言うのではなく、やりたいと思わせる。自主性を重んじる父なら、そういう捉え方をしていてもおかしくはない。父親としてのあり方も同様に、察しろ、と考えていたのかもしれない。


出来るワケないじゃん
察しないのが子供なんだから

 最初から最期まで謎だらけ。父はそういう人間だったというのが答え。ひとつ見つかっただけでも良しとしよう。


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