見出し画像

捨て犬男とノラ猫女:Apr.3

女が紙袋を持ち上げる。手足が細いせいか紙袋が重そうに映り、賢太は紙袋に手を伸べた。意図を察したのか、女は微笑んで袋を賢太に手渡した。

「適当に座って下さい」
「はーい。テーブル作ってくれてありがとう」
「あ、はい……えっと、中身出しちゃっていいですか?」
「うん。えっとね、普通のハンバーガーとフィッシュバーガーと、その他色々」

段ボールテーブルはバーガー、ポテト、ナゲットといった高カロリーなメニューで埋め尽くされた。ドリンクを置くスペースはない。賢太は台所から平皿を二枚持ってきて、その上に紙コップ入りのドリンクを置いた。女はセッティングされたドリンクを見て、勢いよく笑いを零す。

「何この発想! 普通のドリンクがめっちゃ高級に見えるんだけど」
「あ、いや、畳に直置きはちょっと」
「零したら大変だもんね畳って。で、どっちにする?」

女は、ハンバーガーとフィッシュバーガーを交互に指さした。賢太は五秒ほど迷った後、どうぞとジェスチャーを見せ、選択権を女に譲る。女はフィッシュバーガーを自分の手前に寄せ、ドリンクを宙に掲げた。

「七瀬美弥子です。よろしく」

突然の自己紹介。

「え? ミャーコさん?」
「違うよ! み・や・こ。活舌悪いかなぁ。早口だってよく言われるけど。みやこは美術の美、弥生の弥、子どもの子だよ」
「すみません、いきなりだったんで聞き取れなくて」
「普通いきなりでしょ自己紹介って」

そんなことはないだろう、と思いつつ、賢太は紙コップを手に取った。おそらく自分が名乗った後は、乾杯する運びになるのだろう。

「一条賢太です」
「ケンタくん! ケンケン再び!」
「別人ですよ」
「わかってるよ。でもさあ同じ部屋にケンがつく人が続けて住むってスゴくない?」
「まあ、凄い、のかもしれませんけど」
「スゴいよスゴい。うん、よしっ、かんぱーい!」

高らかに音頭をとった美弥子は、賢太が紙コップを持ち上げる前にストローを口に運んだ。そして、いただきます、と手を合わせた後、フィッシュバーガーを頬張り始めた。

美弥子はニコニコ笑いながら、とても美味しそうに食べている。あまり肉付きの良くない頬がムグムグと膨らんで、ドングリをため込むリスのよう。その愛嬌のある姿を、賢太はチラリチラリと視界に入れながら、ハンバーガーとフライドポテトを交互に食べる。

――細いけど、ちゃんと食べるんだな……太れない体質かもな

特に会話なく食べ続ける。先に完食したのは、美弥子。紙ナプキンで口元を拭うと、手を洗うと言って立ち上がった。

あの夜と同じように、美弥子は長い時間をかけて手を洗い、両手をコップ代わりにうがいをした。

「あー、久しぶりにお腹いっぱいにした感じ」

言いながら振り返った美弥子と目が合いそうになって、賢太は思わず大げさに目を逸らしてしまった。それが可笑しかったのか、美弥子は小さく笑いながら、賢太の対面に座る。

賢太は氷が溶けて薄くなったオレンジジュースを吸い上げたが、飲み込むタイミングが悪かったのか咽せ込んでしまった。それを見て、美弥子はまた、小さく笑う。そのタイミングでやっと、賢太はまともに美弥子の顔のデザインを捉えた。

白く滑らかな肌。輪郭は丸と逆三角を足したような幼さの残るライン。小動物を思わせる目元。低めだが整った形の鼻。笑うと綺麗に持ち上がる口角。

「どうかした?」

美弥子の口の動きに鈴の音のような声が重なり、賢太は肩を上下させた。

――何やってんだ俺は。さっさと用事済ませてもらえばいいだけだろ

咳ばらいをして立ち上がる。

「大切な物、確認して貰っていいですか? あ、えっと、それが目的でしたよね? あの夜そう言ってましたよね」
「言ったけど……確認しなくていい」
「え? じゃあ今日は何で?」
「何でって、ここに大切な物があるっていうのは変わってないから、なんて言うか、たまにこないと落ち着かない、みたいな。それに、ちゃんとお詫びとお礼したいって思ってたから……迷惑だった?」
「あ、いや、迷惑とかではなくて……その、はっきりしてもらわないと気になるというか……別に危険な物を隠しているとか思ってないですけど」

言って初めて、賢太は危険物とは何だろうと考えた。銃器、大麻、覚せい剤。もしかしたら、血のべっとりとついたナイフかもしれない。

――犯罪の証拠だって大切な物だよな? 見つかれば逮捕されるかもしれないんだから

想像力に拍車がかかる。この部屋に住んでいたケンケンと一緒に、美弥子は良からぬことに手を出していたのかもしれない。そのケンケンは仲間割れでこの部屋から姿を消したのかもしれない。もしかしたらケンケンまでも、美弥子は手にかけたのではないだろうか。

賢太は後ろに足を引いた。美弥子は真顔のまま、じっと賢太を見据えている。賢太がまた足を引くと、美弥子の表情が変わった。

「危ない! 後ろ!」

え? と問う前に、賢太の口からは驚きの声が上がった。空きっぱなしの窓からベランダへ。コンクリート製のベランダに尻もちをつく。顔が酷く歪むのがわかった。窓辺に駆け寄った美弥子に手を差し伸べられ、賢太は当然のようにその手をとってしまった。

「大丈夫?」
「ああ、はい……」
「ごめんなさい開けっ放しで……立てそう?」
「はい……」

情けない。怯えの対象に手を借りて立ち上がるなんて、みっともないことこの上ない。


いいなと思ったら応援しよう!