Transparent cloud – E⑦
夕べの余韻が、頭の芯を柔らかくしている。
テーマパークで笑い転げ、ホテルに帰って語り合った。
みんなの過去は驚きの連続。涙も零れた。
しかし話題の中心は、やはりトランスペアレント クラウド。
互いの思想を認め合いながら、否定しながら、気づけば空は白んでいた。
【 あそこ 】にいた時には想像出来なかった景色。
その中に存在していた事実が、モモの思考回路を穏やかに動かしている。
地下鉄に揺られながら、モモはバッグの中の手袋を思った。
1時間程前、この手袋を振って4人を見送った。
結局クリスマスを待たず、全員ホテルから撤退。
アオとクロは、それぞれ別の新幹線に乗った。
シロは羽田空港を目指して在来線に。
残ったミドリは、普通列車の切符を手に、のんびり行くよ 、と言い残して去った。
みんな、それぞれの場所へ。
また会おうと約束した。
だから、笑顔でサヨウナラ。
モモを乗せた地下鉄。美雲家の最寄り駅に停車。
座したまま、ドアの開閉を見つめるモモ。
次にこの駅を訪れるのは、いつになるのだろう。
美雲に会うには、それなりの覚悟が必要。
バッグの中の合鍵が活躍する日は、まだ見えない。
残る駅はあと7つ。
半年ぶりなのに、何年も帰らなかったような気さえする。
(そういえば、お母さんて、ほとんど電車乗らなかったな)
母は、実家から駅7つ分しか離れていない場所で、美雲への憎しみを抱え続けていたのだろうか。実母のもとを訪ねようとは思わなかったのだろうか。
(お父さんとお母さんは、お父さんが大学卒業と同時に結婚して、お父さんの実家に……おじいちゃんは元々いなくて、おばあちゃんは私が生まれる前に死んだんだよね、確か)
祖父母不在の同級生はたくさんいる。
だから自分に祖父母がいなくても、不思議とは思わなかった。
しかし、繋がる真実を見ようと思えば、その人達の歴史も紐解かざるをえない。
(そんな事、言いたかったのかな……もっとちゃんと聞きたかった)
瞳の手紙には、必要なら迎えに行くと書いていた。
今なら、少し落ち着いて話を聞けるかもしれない。
(ダメ……まずはお母さんと話さなきゃ)
電車は地下を抜け、日差しの下に出た。県境にかかる鉄橋を渡る。
見慣れた景色。心が落ち着く不思議。
最寄り駅で迷わず下車。
ホームの真ん中でスマートフォンを取り出す。
メール着信、あり。
ヤバイ。マジ眠い。夕べはしゃぎ過ぎた。
帰ったらお母さんとしっかり話しなよ。
でもって今年中に病院行きな。
つーかガマンできずに車内販売で笹かま買った。
マジうまいんだけど
今度なんかあった時には俺にも連絡するように。
メールでいいから。
それから新発田の読み方忘れないように。
読み方知らないなんてショックだったぞオレは。
羽田空港、チョー楽しい!
北の大地フェアやってたよ。
お土産いっぱい買っちゃった。
今から帰るのに地元のお土産買うってw
アオ、クロ、シロ。
名前が表示されなかったとしても、どれが誰のメールか、すぐにわかる。文字なのに、ちゃんと声が聞こえる気がする。
モモは緩んだ顔を隠さず、改札へ。
IC乗車券をタッチし、込み合った改札前を早足で通過。
太陽の下に出た瞬間、突如押し寄せる不安。
本当に
帰ってもいい?
自宅に向かう足は、徐々にスピードを落とす。
駅から徒歩15分のはずが、倍かかった。
国道沿いに建つマンション。
エントランスは無人。
エレベーターを使わず、階段で5階へ。
自宅の鍵。隠し場所は知っている。
チャイムを鳴らす必要はないのに、右の人差し指はグレーのボタンに伸びる。
(お母さん……いるの?)
引っ込めた手。
同時に震えた、コートのポケット。
メール着信。添付画像アリ。
晴れた空に、水彩絵の具で描いたような淡い雲。
ともに写っているのは、日本で一番高い山。
ミドリからのメール。
もう家についた?
これ勝手な解釈なんだけど、大蜘蛛さんは別の読み方したんじゃないかな?
Transparent cloud
Trans parent cloud
大蜘蛛さんは、自分が雲になりたかったのかもね。
1度読んだだけでは理解不能。
分断された、Transparent。
(Trans、parent……)
2つの単語の意味を組み合わせる。
(そういうこと……ミドリ、結構強引だね)
口元は緩んだが、手の震えは増してしまった。
しかし指は再びグレーのボタンに向かう。
あと少し、ほんの少し力を加えるだけ。
聞かなきゃ
ちゃんと
言わなきゃ
ちゃんと
指に力を加える寸前、鼓膜に触れた足音とバイブ音。
止まった足音。
気配はエレベーターホールに。
スマートフォンを確認する女。
モモの視線は完全に釘付け。
女の顔が、液晶画面から離れる。
「…………フウちゃん?」
肩に触れる黒髪
滑らかな白い輪郭
薄い唇
似ている
自分に
似ている
瞳に
「お母さん」
「フウちゃん……私が、私がお母さんで、いいの?」
頷きは一度では足りない。
足はぬくもりを求めて走り出す。
求める存在も、走り出す。
お母さん
ただいま
音にならない。
ただ真っ直ぐ、母と信じる人の胸に飛び込む。
強く、きつく。
互いのぬくもりを、嗚咽を、音にならない言葉を、全て抱きしめる。
「中に入ろうか」
しばしの抱擁の後、先に音を紡いだのは母。
離れたぬくもりの足元に、母のスマートフォン。
抱擁の時に落としたらしきそれに、モモは手を伸ばした。
触れた液晶画面が、光を宿す。
風歌はやっぱり貴方の娘。
でも私の家族。
ずっと見てたら、いつか親って定義を超えられるかな?
私はずっと愛してる。
ずっと貴方達を見てるから。
あの子を産んでくれてありがとう。
元気でね。
それと、風歌と一緒にママのお見舞い行ってね。
家の鍵は風歌に渡したから、
自分の荷物、いい加減片付けなさいよ。
(私の、家族)
見ている。
大きなクモは、ずっと、きっと、見ている。
trans- ラテン語 前置詞/~を越えて
parent 名詞/親(父または母)両親
【 Transparent cloud 完 】
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