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Transparent cloud - 1②

アオと並んで廊下を進み、がらんどうのエレベーターで居住エリアへと移動する。
モモは、居住エリアが建物の何階に位置しているのか、わからない。
エレベーターにもフロアの壁にも階数表示がない。
ワークスペースとの往来にはエレベーターを使う。
箱が上下する間隔は5階分位。モモはそう推測していた。
 
「ったく、超過勤務もいいとこだね」
 
廊下を蹴り上げるように歩きながら、アオは小さく吐き捨てた。
しかしその声は、不満を含んでいない。
むしろ充実感に浸っている。モモにはそんな風に聞こえた。
 
アオは、モモの指導係。
指導といっても、仕事についてあれこれ教える先生役ではない。
アオがモモに伝えたのは、【 ここ 】で生活する際の簡単なルール。

『 アイズ同士で敬語は使わない 』

たったそれだけ。しかしモモにとっては充分だった。
【 ここ 】に来られたのは、幸運の導きだと思っている。
憧れだったのだ。【 アイズ 】になる事が。
 
モモが【 ここ 】のメンバーになったのは2ヶ月前。
【 ここ 】は簡単に言うと、監視機関である。
ある特定の人物達を監視する為に作られた国家機関。
そして監視役は【 アイズ 】と呼ばれている。
しかし、国の政に携わる人間達の中でも、ごく一部の人間しかその存在を認識していない。
その人間達も表立って政治を仕切っている人間ではない。
 
政治家、警察幹部、自衛隊幹部、そういった人間のゴースト。
彼らは、家系と学歴とカリスマ性だけで地位を得た人間達に知能を提供している。
その代わり国家予算と同等の資金を手に入れた。
それを投入して作り上げたのが、【 トランスペアレント クラウド 】。
しかし【 ここ 】に従事する人間は、その呼称を使わない。
そもそも機関に名称はない。
誰かに紹介出来る機関ではないから、つける必要がない。
関わる人間だけが認識していれば良いのだから、【 ここ 】で事足りる。
 
【 トランスペアレント クラウド 】と名付けたのはテレビタレント。
おおよそ10年前、【 ここ 】の存在は都市伝説として取り上げられた。

『 目に見えない巨大な雲が僕達を監視している 』

始まりは、ネット掲示板に書かれた一文。
食いついたネットの住人達は想像力をいかんなく発揮し、それらは瞬く間に拡散した。

      *

『 某国の軍事戦略。この国もう終わり 』
『 あるわけない。そんなもんあったら自衛隊が見つけてる 』
『 国防クソレベル 』
『 オレ昨日見た。雲に目があった。オレと視線があって消えた』
『 ちゃんと読めw み・え・な・い・雲だから 』
『 この国の上をどんだけの航空機が飛んでると思ってんだ。見えなかったら突っ込んじまうだろwww 』
『 雲のほうがよけてるから問題無し 』

ネットという海に投げ込まれた餌は、想像以上に旨かったらしい。
最初の書き込みから1日経たないうちに、書き込みは100万件を超えた。
 
【見えない雲】を決定的に全国区にしたのは、アイドルグループのメンバーだった。
自称スレッドオタクの彼女は、話題のスレッドをチェックし、書き込んでいる人間達の心理を分析する。
そして噂の真偽を自分なりにまとめ、ブログに公開していた。
 
スラリとした四肢、ほっそりとした体。それに似合わぬ胸部。思わず頭を撫でたくなるような幼顔。
そんな彼女の人気は絶大で、何万といる彼女のファンは、たちまちその内容を個人のSNSで拡散した。
そして彼女は、【 見えない雲 】をテレビ番組で取り上げた。
 
所属するグループが出演する深夜番組。
グループでもトップクラスの人気を誇っていた彼女は、自身のコーナーで【 見えない雲 】を連呼した。
わざわざそれらしいリポート映像を流し、スタジオのメンバー達はいちいち驚愕の声を上げる。
 
『 見えない雲による監視システムですか……あり得ない話ではないと思います。恐ろしい事ですけどね 』
 
コメンテーターとして参加していたベテランの男性タレントは、胸の前で腕組みをしたまま眉間に皺を寄せた。
メンバー達は口々に不安の言葉を零し、スレッドオタクの彼女は神妙な顔を披露した。
 
『 私はこれからもこの噂を追い続けます。で、お願いなんですけど名前をつけて貰えませんか? 皆さんが興味を持ちそうなカッコイイ名前 』
 
言葉終わりに上目遣いをぶつけられ、コメンテーターはだらしない口元を見せた後、やはり腕組みをしたまま両目を閉じた。
 
『 透明な雲。透明、クリア、いや違うなぁ……Transparent 、Transparent Cloud 』
『 え? 英語ですか? 流暢過ぎて聞き取れませんでした 』
『 トランスペアレント クラウド。そのまんまだけど 』
 
名付け親となった男性タレントは、一時期アイドルとともにネット動画に出演していた。
見えない雲に結びつけた苦しい特集を放映していたが、2人の関係がスキャンダラスに報じられ、ともにテレビから姿を消した。
 
当然のように【 トランスペアレント クラウド 】も、人々の記憶の深い場所に沈んでいった。
しかしモモは、噂を信じ続けた。
当時6歳の手前にいた彼女には確信があった。
それが、真実だと。
否、真実であれば良いという期待だったのかもしれない。

『 めにみえないくもなんて、つくれるの?』
 
モモが最初に意見を求めたのは父親。
 
『 現実的ではないね……だけどねフウちゃん。もし法を遵守しない形での監視が可能なら、透明な雲なんて作らなくてもターゲットに絞った監視体制がとれるよ。実は既にあるかもしれないね、そういう行動をとっている機関が。それほどまでに監視したい対象って、何なんだろうね 』

父の答えは、幼稚園児のモモには理解し難いものだった。
しかし、【 わからないなあ 】で誤魔化されるより、嬉しかった。
 
父は警察官。
花形の刑事からは程遠い、交通課の内勤。
幼かったモモは、そう認識していた。
 
父の書斎には、警察関連の書籍の他、国防、治安維持に関する書籍が山積みになっていた。
そこに【 トランスペアレント クラウド 】に関するヒントが埋もれているかもしれない。
 
モモはあっさり書斎の住人になった。
そして時は訪れた。
高校生になったモモ。
きっかけは突然。余りに突然だった。
 
梅雨の始まりの頃、
帰宅途中の父親の車に暴走車が体当たりした。
当然着用していたシートベルトと、点検を欠かさなかったエアバッグに守られ、父親の命は無事だった。
その時点では。
 
暴走車から降りてきた男は血まみれの顔を歪め、助けを乞うようにモモの父にすがりついた。
父親は男に肩を貸した瞬間、男とともに爆発炎上した。
暴走爆弾男の身元は車両ナンバーからあっさり判明し、自宅で遺書が発見された。
とにかく死にたい。誰でもいいから道連れにしたい。
そんな内容だった。爆弾の材料と、製造方法のサイトを覗き見た痕跡も見つかった。
 
現役警察官を狙ったテロ事件。
それを疑った公安は男の周囲を洗った。
しかし、テロリストとの繋がりは見つからなかった。
周囲は一時期騒然としたが、モモに見えていたのは、1つの真実だけだった。

―― お父さんに、もう会えない

それ以外の真実は、必要なかった。
 
父親の葬儀が終わった日の夜遅く。
モモは母親と2人、互いに無言でリビングに存在していた。
空間の主役は雨音。
それに取って代わったのは、鳴るはずのない時間に鳴った、玄関のチャイム。
 
『 これより、お2人を保護します 』
 
現れたのは、紺色の制服に身を包んだ男女2人組。中年男と若い女。
 
『 フウちゃん、あとで……あとでゆっくり話しましょう 』
 
母親の呟き。弱々しい表情。細かく震えた声。頬に涙の跡。
一人娘と、クリーニングに出す予定の喪服をリビングに残し、母親は男とともに自宅を出た。
手荷物を持たず、財布、通帳、印鑑といった重要な小物も持たずに。
そして時計が今日を昨日に変えた瞬間、制服姿の若い女は、モモに問いを投げた。
 
『 学校は楽しい? 』
 
状況に対し質問はアンバランス。
モモは女の風貌を、改めて目に映した。
 
角ばった制服。紺色の制帽。
かっちりとした外見と反比例した、細く、しなやかな声。
 
肩に触れる黒髪。
日本人形を思わせる顔は、白く滑らかな輪郭。
その女の目元が、刹那綻ぶ。

父は死んだ 母は消えた
何故?
 
制服の女
誰?
 
投げられた質問
今? 何故?
 
柔和な表情
何故? 何故、笑ったの?

空間に存在する数々の問いを飲み込んで、モモは素直な答えを返した。
 
『 学校は……教科書を眺めるだけの場所です 』
『 では行きましょう。貴方を必要としている場所があります。貴方にとっても必要な場所になると思います 』
 
出発を促した女の顔は、モモに妙な安心感を与えた。
 
行動をともにする事に抵抗を感じず、モモは着の身着のままフルスモークのワンボックスカーに乗り込んだ。
そしていつの間にか眠りに落ちた。
 
目覚めた時、制服の女は消えていた。
白い天井、白い壁、白いカーテン。
人工の光で満たされた空間。
 
横たわっていたベッドに座り込んだモモ。
その前に現れたのは、金髪、ショートボブの少女。
すらりと上に伸びた体は、まるでアパレルショップのマネキン。
 
『 始めまして、私、青畑美海、17。年上だけどアオって呼んで。サンとかチャンとかいらないから。私はモモって呼ぶ……とりあえず行こっか 』
 
起きたばかりのモモを従え、アオが訪れたのは浴室。
広さは一般住宅の浴室の倍程度。
妙に綺麗な空間で、不快な匂いは微塵もなく、モモは何の疑いもなく服を脱ぎ、シャワーを浴びた。
もしかしたら、思考回路が停止していたのかもしれない。
 
『 入浴って、儀式だと思わない? 』
 
湯船に浸かったアオが声を放ち、少女マンガのような目元を大きく瞬かせた。
モモは口を噤んだまま、シャワーを止めず、言葉の続きを待った。
 
『 身を清めるって言うじゃない……モモにとっては、今、これがそうだよ。疑問があるなら私が答えてあげる。だからその後は、モモになるんだよ 』
 
モモは察した。
父は暗殺されたのだ。
警察内でなんらかの秘密を知ってしまった為に。
きっと無差別殺人を装って暗殺されたに違いない。
 
葬儀の夜やってきた2人は【 保護 】と言っていた。
自分は誰かに守られる為に、過去と断絶されたのだ。
もう、桃木風歌と名乗ってはいけない。
誰も、桃木風歌と呼ばない。
そんな場所に来てしまった。
 
『 ずっとフウちゃんって呼ばれてた…… 』
『 もう、モモだよ 』
 
知らない場所で、初対面の相手の前で、全裸である事も忘れて、モモは泣いた。
泣く以外、感情を放出する方法が見つからなかった。
 
『 生まれた瞬間みたい……お誕生日おめでとう、モモ 』


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