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ひのき舞台は探偵と一緒に:6.序幕#1

 九月の初め。金曜の十七時半。肌に触れる空気は夏を捨て切れていない。瞬く外灯の下で足を止めた彩菜。しっとりとした汗を全身に感じながら、視界に入った目的地に対し素直な驚きを口にする。

「あれって、家だよね?」

 都内某所にある高級住宅街。豪邸が立ち並ぶ中でも圧倒的に目を引く洋館。二m以上はありそうな鉄柵。それに囲まれた敷地の端に建つのは、鋭く削られた鉛筆のような塔。夕空を背負い、まるでファンタジーの世界。

「持ってるヤツは、持ってんだな」

 彩菜の右隣でぼそりと零した明は、上等なスーツに身を包んでいる。

 黒味がかったネイビーのスーツに真っ白なYシャツ。きっちりとネクタイも絞めている。薄い紅茶色に染められている髪の毛は、今は真っ黒。非常にクオリティの高いカツラを装着している。六・四分けの分け目に何の違和感もない。

(コイツ、意外と似合ってる……)

 ジャラジャラのピアスは全撤去。耳の穴は彩菜の持つメイク技術で見事に埋められている。配置良くパーツが並んだ顔は髪の毛の黒によってキリリと引き締まり、チタンフレームの眼鏡の知的さのせいか、ハイスペックなサラリーマンに見えなくもない。

「さて、そろそろ行こーゼ」

 足を進めた明。話し方はいつものそれだ。ズンズン先を行こうとする背中を彩菜が制する。

「キャラ設定、忘れてない?」
「おお、ヤベえ……オレは付き人。喋らない付き人、だよな」
「そう。何で付き人がズカズカ先に行くのよ……他には? 緑子さんに言われたこと覚えてる?」
「無駄にDNAを残すな、だろ」
「マジで気をつけてね。髪も落ちないように工夫したんだし、喋らないっていうのも唾を飛ばさないための工夫なんだから。あと、むやみに物に触らないでよね。ほら付き人は下がって」
「へいへい……偉そうに」
「何かワタクシにご意見がございまして?」
「いきなり切り替えんなよ! 案外ウザイな、アイアン鉄子バージョン……」

 ブツブツ零す明に、喋るんじゃねーよ、と視線で警告した後、彩菜は漆黒の長髪を揺らしながら優雅な足取りで進み始めた。

 艶やかな黒髪のカツラ。黒のロングワンピースにハイヒール。両手で軽く押さえたシルクストールには紡の施した【獏】の刺繍が。動物園にいるノホホンとした雰囲気のバクではなく、悪夢を食べるとされる架空の生き物のほう。なにゆえの獏か。それは緑子が提案した、アイアン鉄子のコンセプトによるもの。

愛と真実
心の平和
アメジスト色の瞳を持った
癒し系占い師
貴方の夢の中までお供いたします

 緑子プロデュースによるアイアン鉄子は【夢占い師】。服装、話し方等々、細かい設定がある。勿論顔面もバッチリ【加工済み】。元々美肌の彩菜だが、更に透明感を増すために微粒子パウダー入りのファンデーションを使用。目元、鼻筋には巧みな技術でシャドウを施し、睫毛はエクステで見事にカール。そして瞳はカラーコンタクトで紫色に。鉄子を被れば相手から一切見えないのだが、相当な気合の入れようである。

 本日、プロデューサー緑子は同行せず、

『 この子達を置いてこられれば調査は成功したようなものなんだから。気負わずに 』

 そう言って見送ってくれた。てっきり付き添ってくれるものと思っていた分、彩菜は正直心細い。後ろを歩く付き人兼荷物持ちは、誤魔化しもせずあくびを連発している。

「ちょっと! やる気あんの?」
「あ? 何だよ」
「あくび。五回目なんだけど」
「なっ……見てねえのに回数当てやがった!」
「わかるから、気配で」
「キンチョーしてんだよ。キンチョーすると出るもんだろ、あくびって」
「そんな知識はあるんだ……ホントにもう喋らないでよ、喋らない付き人でしょ」
「お前が話しかけたんだろ」
「失礼……」

 そんなやりとりをしている間に、目的地まで数メートル。彩菜はなぞるように歩いてきた鉄柵をチラリと見上げ、改めて息を漏らした。本当に、ある所にはある。

(そろそろ被るか)

 一旦足を止め、明が下げているボストンバッグを開ける。中身は乾湿調整機能のついた鉄製品専用ボックスに収められた、鉄子一号。ふーーっと長い息を吐いた後、スッポリ。

「 (似合ってるぞ!) 」

 満足そうに笑みを浮かべ、無言で親指を立てる明。彩菜はごく小さなため息を零し、再び足を動かした。

 ついに辿り着いた正門。その手前には、電話ボックスのような縦長の箱がひとつ。中に人の気配。彩菜と明の姿に気づいたのか、箱から男が出てきた。屈強な体格。年の頃は三十代半ばぐらいだろうか。男は門の前に立ちふさがるように立つと、彩菜と明を交互に見て、口を開いた。

「こんばんは」
「……こんばんは」

 挨拶を返し、彩菜は沈黙。男も同様。明は設定上、話せない。

 仁王像のような男は、じいっと彩菜に視線を注いでくる。当然ながら怪しいと思っているに違いない。彩菜は視線を逸らさずに、鼓動をなだめた。

(……私はアイアン鉄子……占い師らしく、ミステリアスに)

 ふっと全身から力を抜き、歌うように言葉を放つ。

「随分と警戒されているようですね。まるで逢魔時《おうまがどき》に現れた物の怪を見るような眼差し……そのように見つめられることは初めてではありません。お気になさらず」

 彩菜、言い終えて一歩前へ。男はキョトンとしている。

「ワタクシが物の怪なら、とっくに貴方をこの場から消し去り、侵入しています。そうでございましょう?」
「え?」

 男、更にキョトン。しかしアイアン鉄子となった彩菜は気にもかけず、バレリーナのようにたおやかに膝を曲げ、お辞儀の格好を見せた。その動きに呼応するように、明が頭を下げる。

「どうかお通し願います……あら、まあ、ワタクシったら、まだ名乗っておりませんでしたね。ワタクシは」


 ≫ アイアン鉄子様
   ただいま門をお開けします
   金剛《こんごう》、お通しして

 言葉の途中、門に備わったスピーカーから男の声が流れ出る。金剛と呼ばれた男はスピーカーに向かって頭を下げ、続いて彩菜に対して頭を下げた。その動きを追うように、門がゆっくりとスライドする。


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