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ひのき舞台は探偵と一緒に:2.舞台裏#2

「彩菜、なした? 食欲ねえの?」
「んー……そうじゃねえんだけど、何か疲れだなーって」
「今日特にあづがっだがらねー……んでも合格したんだし、いがったじゃん」
「……んだね」

 彩菜は炭酸の刺激を喉に流し込み、大きく息を吐き出した後、対面の桜に視線を刺した。

 桜は長い前髪を持ち上げるように、団扇でパタパタと風を送る。耳がはっきりと露出したショートカット。ノーメイクにノースリーブのワンピース姿であぐらをかいた桜が、大げさに息を漏らした。

「正直、彩菜にはこっちさきて欲しかったんだけどなァ」
「ゴメン! それはホントにありがてえし、そうしてえなーって思わながったワゲじゃねえんだけど……周りの目があっぺ? 副店長推薦とか、良く思わない人もいんでねえの?」
「まあ面接希望者多いしな……夏休みの間だけでもやりてえとかさ」
「桜が面接担当?」
「店長が忙しい時は、代理でな」
「へえ、活躍してんだねえ」
「まあな」

 ドヤ顔を見せた桜は、都心の繁華街にある喫茶店の副店長。喫茶店と言っても、飲み物や軽食を提供するだけの場所ではない。女が男の姿で接客する、所謂【男装喫茶】。桜は二十歳で入店し、瞬く間にナンバーワンギャルソンとなった。勤務五年目の今年、副店長に抜擢。

 そんな桜の見た目は、彩菜同様、地味である。しかし桜という女は、その顔をまるで別人に変えてしまうほどのメイクテクニックを持っている。男を装った桜の顔は、涼しげな目元の和風美男子である。

「彩菜さ、探偵助手始めたら忙しぐなんの? 店長がまたヘルプ頼みてえって。前に手伝ってもらった時、評判いがったんだよね」
「今月中に一件仕事あるって言われだけど、具体的にはわがんね……明日、事務所さ行ぐんだ」
「土曜なのに? って、曜日なんて関係ねえ業界だな、お互い。私も明日出勤だし」
「休みの融通はきぐみてえだがら、平日ビッシリよりはいいよ」
「公演や稽古の予定も入れやすいもんなあ……あーあ、彩菜と私でツートップいけると思ったんだげどなあ。いいキャンバスなんだよ、うちらの顔って。自己主張がねぇがら」

 言葉終わりに大きなため息を吐き、桜はゴロリと仰向けになった。

 同じ地味顔でも、桜は【地味顔支持派】。自在に操れる自分の顔を愛している。そんな桜に彩菜は顔を絶賛されている。【変幻自在、奇跡のシンプルフェイス】なのだとか。地味顔コンプレックスの彩菜にすれば喜ばしくないキャッチフレーズではあるが、桜に言われる分には腹立たしさを覚えない。地味顔同士だから。

(んでもメイクじゃその場限り……根本からどうにかしねえと……うん、整形あるのみ)

 彩菜は結露を纏った缶を口に傾けた。酔っていないのにいつもより顔面が火照っている気がするのは、自分の中にある欲望を確認したせいか。それとも、今日の出来事が尾を引いているせいか。

(……九乃探偵事務所。って、実在してんだよね? 幻? んなワゲねえか)

 グラスを置き、彩菜はオールインワンゲルを塗っただけの頬に爪を立てた。刺激を感じながら思い起こすのは、数時間前の出来事。刺激と記憶がリンクする。

『 ……ウチの探偵は、この子達なの 』

 語り始めたのは、緑子だった。右肩にはレモン色のカナリア。緑子はカナリアをそっと撫でながら、言葉を繋いだ。

『 牙彫(げちょう)って知ってる? 動物の牙を削って作る彫刻なんだけど……ちなみにこの子は象牙製で、探偵になりえる存在 』

 ゲチョウ。初めて聞く単語だった。象牙の彫刻が【探偵】とは、どういう事だ。彩菜の脳内は、クエスチョンマークで埋めつくされた。

『 オレは鉄でこういうのを作る。自在置物(じざいおきもの)ってんだけど……ほら、触ってもいいぞ 』

 ジザイオキモノ。それも初めての単語。

 明は首からヘビを外し、テーブルの上に置いた。ヘビは身をくねらせる。それがあまりにリアルで、彩菜は手を伸ばすどころか利き手の右手を、左手で覆い隠してしまった。

ゲチョウ ジザイオキモノ
それが探偵って何?
何が起こってるの?
面接に来ただけなのに
ワケガワカラナインデスガ

 鼓動が過剰に胸を叩き、彩菜は頬に爪を立てた。痛い。この痛みは本物。それならば、見ているモノも本物。

だとしたらなおさら
ワケガワカラナイ……

(わかっちゃうほうがヤベえし……)

 混乱を隠さない彩菜に緑子は丁寧にワケを説明してくれた。しかし彩菜は、未だに消化しきれていない。

 九乃探偵事務所をあとにしてからも、見たモノ、聞いた音、感じた気配、あらゆるものを反芻し続けた。それでもどこか絵空事に思えて、現実味がない。

 普段、演劇という架空の世界に夢中になっている彩菜だが、今日自分の身に起きた出来事のほうが、余程創り物に思えた。現実に間違いないのに。

(……事実は小説より奇なり、か)

 缶を傾け、一気に空にした彩菜。桜はゴロゴロしながらテレビのチャンネルをバンバン変えていたが、突然電源を落とし、起き上がった。

「つーか彩菜、何で探偵助手?」
「何でって……まあ、あー……うん」
「時給がスんげえ! とか?」
「時給じゃないけど、一件受け持つとこれくらい……」

 彩菜は指先で宙に数字を書いた。


イチ マル マル

「マジで!? それ円じゃねくて万円だべ? ……ヤべえ仕事じゃねえの?」
「わがんね」
「わがんねって……あ! もしかして何かあった? 緊急出費とか」
「ん、まあ……ちょっとね」

 彩菜、ヘヘッと笑って冷蔵庫まで小走り。

「桜どっち? ゼリー? 水羊羹?」
「ゼリー! って誤魔化すんじゃねえよ! お金に困ってんなら言ってよね。って、私も相当貧乏だけどさ……」
「違う違うそういうのじゃねえがら……今すぐ必要なワケじゃねえし」

 ジトリと睨みをきかせる桜にゼリーとスプーンを渡し、彩菜は水羊羹の蓋を開けた。

(手に入るなら、今すぐ欲しいけどね……)


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