捨て犬男とノラ猫女:Jun.4
「増えた分の金は、架空って事。いつもより大目に受け取って、差額を相手の会社に返す。仕事相手の脱税に協力したんだよ……仕組み、わかる?」
森川は首を振る。小柳と大野も首を振った。
「一条君、わかる?」
賢太は何となくわかった気がした。しかし篠田の口から正解を聞きたくて、首を横に振った。
「法人税は会社の所得によって納める金額が変わるんだ。所得が安いほうが税金も安くなる。所得っていうのは簡単に言うと、会社が得た金から、出て行った金を引いた金額。だから所得を小さくするには、出て行く金を大きくすればいい。百ひく五十より、百ひく七十のほうが、答えは小さくなるだろ」
全員が頷いた。
「Aという会社は、俺のいたB社に毎月五百万の支払いを続けていた。それを七百万にすると、当然A社から出て行く金は大きくなるよね。そして所得は小さくなる。だから税金は安くなる。でもB社は、これまで通り五百万だけを受け取る。差額の二百万はA社に戻りプールされる。それを手伝った見返りとしてB社の社長は礼金を受け取り、自分の懐に入れてたってワケ。自分の小遣いじゃなく、会社の経営が苦しくなった時のためって言ってたけどね」
全員が、ほぼ同時に長く息を吐いた。賢太は、氷が溶けて薄まったチューハイを喉に流し込んだ。
脱税なんて、ドラマの中か、自分の全く知らない場所で起こる出来事だと思っていた。まさか身近に、それを目の当たりにした人間がいるなんて。
――結構重い過去だよな……だって犯罪だろ?
チラリと篠田を見る。視線がぶつかる。篠田は笑った。作り笑いではなく、どこか満足気に見えた。
「それで、篠さんはどうしたの?」
大野は、不安げな表情で篠田を見つめている。
「何だよ、俺が脱税したんじゃないからね? そんな目で見ない見ない!」
「だってさあ……何か怖いじゃん? 自分が将来そういうのに巻き込まれるかもって思ったら超怖い!」
「怖いよホントに……社長を問い詰めたところでやめないだろうし、告発したら会社がダメになる可能性もあるしさ。社員、パート、みんなが職失うかもって考えたら、何にもできなかった。結局、俺が辞めた。で、次の就職先探してる時に、友達から短期でいいから入ってくれって声かけられたのがここ、って事。なかなか地味な歴史だろ、俺のここまでの人生」
言い終えた達成感なのか、篠田は穏やかな表情でプリンを完食。森川と小柳は神妙な面持ちで俯き加減。大野は何故か泣いている。
「篠さん、私が日本に戻るまで待っててね。篠さんは私が食べさせてあげるよお。だから待っててねえ!」
「案外いいかもなあ。大野には自由に働いてもらって、俺が専業主夫。家事は得意だし」
「うんうん、そうしよ。私頑張るから」
大野の涙は本物に見えた。小柳は大野にティッシュを差し出し、森川は、再び大きく息を吐いた。
「いくら好きでも願いが叶うわけじゃないっていうのは、勉強も恋も同じだよなあ」
森川の言葉に、小柳が噴き出す。
「何、詩でも読むのこれから。エモ森川に変身?」
「いや同じじゃん、片思いっていう点で。いくら勉強が好きで頑張ったとしても、必ず目指す職につけるわけじゃないじゃん。恋も同じって事。いくら好きでも、ごめんなさいって言われたら終わりじゃん」
「そういう経験あるんだ」
「そりゃ二十四年も生きてますから! あとちょっとで二十五。四半世紀だよ? 凄くね? ね? 一条君も四半世紀目前だよね?」
「あ、うん……その言い方だと、凄く大げさな感じになるね」
「だよね! 篠田さんなんて半世紀近く生きてるんだよ? 更に凄くね?」
「おい! 俺まだ三十二だよ。お前ら寄りだから」
「あ、そっか。すっげー話聞いたばっかだから、すっげえ年上に見えてた今」
一気に場が明るくなった。篠田の話は、決して楽しいものではなかったのに。不思議だ。
賢太は、笑っている篠田を視界に入れたまま、グラスを口に運んだ。
――もしかして気づいたのかな。俺がイラッとしたの
篠田は自分の話を持ち出して、救ってくれたのかもしれない。この場でそれを問う事はできないが、話し始めたのは偶然で、結果救われただけなのだとしてもありがたい。感謝しつつ、賢太は胸の奥に軋みを覚えた。優秀な父と兄を持つ篠田。自分と似た境遇で育った男は、家族にどんな感情を抱いているのだろう。
――まあ、今はいっか
大野の横で柔らかく笑う篠田。大野は嬉しそうに篠田に語りかけている。篠田も嬉しそうに頷いて、笑顔を返す。
賢太は美弥子を思い出した。美弥子の言葉なら、自分もあんな風に穏やかで、柔らかな表情で受け入れられるかもしれない。美弥子にも、笑顔で話を聞いて貰えたら、心が満たされるのかもしれない。
仲間といて楽しくて、誰かの言葉で苛立って、助けられて。たった数時間でたくさんの事があったんだと美弥子に話したい。店を出たら、そこに美弥子がいたらいいのに。
――何だそれ……
笑いが零れそうになって、賢太はジョッキに残ったチューハイを、一気に飲み干した。