
語り継ぎたい「世界-THE PINBALLS」のためにできること
今、この記事を目にしている貴方は、自分が生きている世界に対し、疑問を抱いたことはあるだろうか。「なにゆえ争いはなくならないのか」とか、「なにゆえ悪が悪として裁かれないのか」といったことではなく、「なにゆえ自分はここに生まれてしまったのか」という、自らの居場所に対する疑問だ。貴方が常に自分の居場所を求め、ここではないどこかに行きたいと願っているのであれば、このまま読み進めていただけると嬉しい。
私は常に「ここじゃない」という感情を抱きながら生きている。長年それと同居するうち「ここじゃない感」として、すっかり受け入れている。
住む街を変えても、職場を変えても、いつだって「ここじゃない」。時折ふと「ここじゃないと感じるのは、ここにいてはいけないからなのでは?」とよからぬ思いに駆られ、ひどく落ち込むこともある。受け入れていても、しんどい時はしんどい。
そんな人生において「そっちの世界を覗けるなら、この世界にいるのも悪くない」と思わせてくれた存在がいる。それが、THE PINBALLSだ。
この記事を読んでいる貴方は「THE PINBALLS」がバンド名であることを瞬時に理解できただろうか。私がnote上で、同バンド名で検索をかけたところ、認知度は決して高くないことがわかった。残念な上、私にとっては「そっちの世界」消滅の危機である。そうならないために、THE PINBALLSについて語り継ぐことを決めた。
ここからしばらくTHE PINBALLSについて語っていきたい。音を聞ける準備ができるならば、是非その態勢を整えて、読み進めていただきたい。
■ THE PINBALLSという「世界」
私にとっての「そっちの世界」は、THE PINBALLSが生み出す「世界」である。
4人組のR&Rバンドは2021年11月に活動休止している。それまで15年間、一度もメンバーチェンジせず独自のスタイルを貫いた彼らは、活動休止してなお、ファンのみならず、バンドマンからもアツい支持をうけている。
ファンにとってTHE PINBALLSは「探し求めて巡り会ったバンド」なのではないか、と思っている(私がそうであったから、そう思っているだけかもしれないが)。
※私が巡り会った瞬間
数多存在するバンドの中で、彼らほどオリジナリティに溢れた世界を構築できる存在は、そういないと思う。それゆえに「彼らの音楽じゃなきゃダメなんだ」と強い渇望を覚えるファンは多いだろう。
そんな彼らを愛するファンには、創作に携わる人が多いようにも思える(あくまで私が知っているバンドのファン層と比較しての話だが)。
その理由は、彼らが創り上げる世界観と、楽曲が持つ物語にあるのではないだろうか。
■ 曲=物語
彼等の音楽における独自性としてインタビュー記事でよく掲げられるのは「ファンタジーのような世界観」である。
楽曲の多くは「これぞガレージロック!」と拳を突き上げたくなるほど激しく、シャープでタイトな構成。エッジの効いたサウンドに乗るのは、まるで外国の絵本の世界に迷い込んだような、幻想と圧倒的な独創に富んだ歌詞。激しさとスピード感に不思議とマッチする「言葉」によって描きだされる世界。それに魅了された人は多いに違いない。
□ 鋭・激・走・踊
□ 柔・穏・漂・揺
私は、THE PINBALLSが生み出した世界を探検するかのように楽曲を聞きまくった。彼らの音楽は、ここではないどこか、しかも「行こうとも思っていない世界」にいざなってくれる。「ここじゃない」という思いを常に持っている私にとって、THE PINBALLSの世界は抜群に居心地が良い。
彼らの音楽はどれをとっても100点満点中100点満点なのだが、あえて101点を挙げるとしたら、2018年リリースの「時の肋骨」である。
■ 「時の肋骨」という宇宙
「人間の肋骨って片側12本で もう片側が12本ある計24本でできているので 宇宙の中で 神様の体があるようなイメージで 『時の肋骨』っていうタイトルにしました」
(テレビ東京:JAPAN COUNTDOWN出演時/古川貴之)
「あんだって?」と思った方はリンク先のインタビュー記事へ。
「時の肋骨」は、1日、24時間をテーマにしたコンセプトアルバムだ。このアルバムを聴いた日、私は眠れなかった。先に挙げた「神の肋骨」という発想、「時間」をテーマにした作家性と、その世界観を音楽という手段でこの世に具現化したTHE PINBALLSへの興奮が冷めなかった。そして同時に創作者としての自分の心が震えに震えていた。言葉にできないほどの感動と、彼らの持つ才能への嫉妬で。
● 0:00~2:00
● 6:00~8:00
● 10:00~12:00
上記3作は「時の肋骨」リリース時に発表されたMV。私が特に衝撃を受けたのは「失われた宇宙」だ。
自らが持つ世界、否、宇宙がなくなっても、この世界は続く。いつかくる終わりに向かって、今日も美しく……
(ここでいう美しさとは、創作をする上で「自らの世界に生まれた究極のバランス」とでも受け取っていただけるとありがたい)
美しさの基準は主観でしかなく、一般的に美しいと呼ばれているものが万人にとって美しいわけではない。特に、いち創造主が求める独自世界の美しさなんて、他人からしたら「知ったこっちゃねーよ」で一蹴されてしまうことが、ほとんどなのだと思う。
「失われた宇宙」は、創造に魅了された人間の葛藤と、時に訪れる落胆、自分への失望を彷彿とさせる。しかし多くの痛みをともなっても美しさを求める「さが」によって、創造を手放すことができない。いつかは自分も含めすべてが消えてなくなるのに、美しいものを生んでも消えてしまうのに……そんな悲哀さえも感じ、私は涙が止まらなかった。

上のイメージは歌詞の一部だ。曲を通して、ここに至るまでの感情の動きが楽曲からひしひしと伝わってくる。「失われた宇宙」という物語の主人公が、「美しい世界を」と空を見上げるに至るまでの心の動き。創作に携わる人間には「わかる」のではないだろうか。なんど失っても失いきれない創造への渇望と憧れが。
■ 活動再開を望むのか?
自分に置きかえて考えると、非常に複雑だ。職場でいったん区切りのついたプロジェクトに呼び戻されても「さあ、やりましょう!」と以前の続きのように取り組めるかと言ったら、そうではないんじゃないか、と。
15年間も同じメンバーで活動し続けたことは、奇跡のようにも思っている。私の知る範囲には、それだけ長い間同じメンバーで仕事を続けている人間はいない(親族経営除く)。
メンバーそれぞれの個性はステージ上とSNS上で知るにとどまるが、性格もライフスタイルもバラバラだろうし、離れたくなる理由だって数えればいくつもあるだろう。メンバーそれぞれが思う「THE PINBALLSな一曲」も、見事にバラバラである(ラジオでの発言:Wikipediaに記載あり)。
彼らを知らない人にとっては「へえー……」であるが、ファンにとっては意外性もあり(あったと思う、私以外の皆さんも)、興味深いものだった。せっかくなのでコメントをつけて紹介する。
● Vo&Gt 古川貴之
THE PINBALLSの楽曲の元素。彼の中にある「宇宙」から届けられる「世界」は、時に恐ろしいほど広く、高く、底が知れない。
彼が選んだのはTHE PINBALLSの楽曲には珍しく長尺の一曲。ゆっくりと穏やかに進む小舟の乗っているような浮遊感。「もっと聞かせて欲しい」とねだりたくなるような幻想世界に、古川貴之の持つざらついた響きがよく似合う。
「夜が星を 飾るたびに 彼は思い出している」
私が知らない夜の景色が、そこにあった。
● Gt 中屋智裕
バンドマスターでありリーダー。THE PINBALLSの音作りの要。ステージかみてに現れる金色の衝撃。寡黙で物静かそうなのにライブ中一番暴れるR&Rの化身。
彼が選んだのは、柔らかな曲調、流れるようなベースライン。程よく力の抜けたボーカルが休みなく思いを伝えてくる。ゆったりと体を揺らしながら、自然と笑顔になる一曲。激しめの曲を選びそうだなと思っていた私は、意外性に心を射抜かれた。
「すべてをなくしても すべてをなくすだけだから」
悲壮感のない喪失。なくしても、また手に入れればいい。
● Ba 森下拓貴
しもての番人。バンドの屋台骨。縁の下の力持ち。孤高のお母さん。THE PINBALLSでまとめと仕切りができるのは森下拓貴、だたひとり。
彼が選んだのはファーストアルバムのラストを飾った一曲。優しく、包み込まれるような曲調。「寛容」という言葉を思わせる彼のたたずまいに、どこか似ている。
「朝を まだ遠くに眺めながら 僕は聞いた 凍るようなこの胸の中を 照らす人がいる」
見知らぬ世界を旅する間に、眠りにつく。
● Ds 石原 天
「天」と書いて「タカシ」。「THE PINBALLSとは?」と問われ「家族」と表現するバンドの和み柱。人見知りと言いながらサービス精神に溢れた男。
彼もファーストアルバムより選曲。「アンテナ」はTOWER RECORDS限定でリリースされたファーストシングル収録曲。彼のバンドと仲間に寄せる思いが垣間見えるようで、心があたたかくなった。
「そして回路は作動する 強い電波が ああ降ってくる 僕の大脳辺縁系 焼ける 焼ける 焼ける 焼けちまうようだ」
意味なんてわからなくていい。ただひたすらカッコイイ。
「またいつか」を期待していないわけではない。メンバー全員が「THE PINBALLSやりてーな」と思う瞬間がくるかもしれない。気長に待ちながら、彼らが生んだ秀逸な作品を、素晴らしい楽曲が存在しているのだということを、情報として残していくことが、自分にできることなのだと思っている。
■ 「かなえたい」をかなえるために
私が「かなえたい」のは、THE PINBALLSの世界が存在し続ける宇宙だ。例えば数十年後、年老いた私が孫世代の子らの隣に立った時、その子達が「THE PINBALLSって知ってる? めっちゃカッコイイよ」なんて話をしているような、そんな瞬間に立ち会いたいのだ。
私が、祖父母世代が聞いていた音楽を知っているように、ずっとずっと先の未来に、THE PINBALLSの世界が存在していて欲しい。「かなえたい」がかなっている数十年後を迎えるべく、私は彼らの音楽を語り継いでいこうと思う。
■ 最後に
THE PINBALLSの世界に満たされたライブハウス。客席にライトがともり、終演を告げられる瞬間が嫌いだった。ライブハウスをあとにする時、足はいつも重かった。それは楽しい時間を過ごしたという反動によるものだ。そんなにも感情を揺さぶるなにかに出会うことが、人生に何度あるのだろう。THE PINBALLSにまだ出会っていない人が羨ましくもある。あの衝撃を、感動を、いちから味わえるのだから。
THE PINBALLS
彼らの世界
彼らの物語
その素晴らしさが伝わりますように
まずはこの記事を読んでくれた貴方へ、伝わりますように。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
Luno企画/月下遊魚