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ランチパック 味わいたまご/多様性に関しての憂い
前回、寛容と多様性について最近思っていることを、貴重なインターネット資源と読んでいる皆様の貴重なお時間を拝借して、発散させていただきました。
まだまだ発散し足りないので、続編です。
思うに、多様性を「無制限自由」と捉えることが良くないのだと思います。
グローバル化して欧米系の社員が入社してきた際に、「髪の毛は黒でなくてはならぬ」のような従来のルールはそぐいません。
なので、髪の毛の色の既定が外れたのは多様化に沿ったルール変更です。
それに便乗してピンクや水色にするのはどちらかというと「無制限自由」の域ですね(個人的には別に髪の毛がピンクでも大いに結構ですが、説明・カテゴライズのために例に挙げさせてもらっています。責める気はありません。染める毛があるのがうらやましいだけです)。
コロナ禍で必要性が急騰し、紙からデジタルへと書類が変化し、テクノロジーの基盤も整ったので、在宅勤務が可能になりました。
これによって、子育てや介護がある方、通勤が困難な方や転勤が難しい方の働く手段が広がりました。これも多様化の一環です。
これを「無制限自由」にすると、「ぼくはもう沖縄からのワーケーションじゃないと仕事したくないんだよね」になります(個人的にはそれでも成果が上がっていれば問題ないと思いますが、新卒からそれをやると何かを失うんじゃないかと心配します。責める気は少ししかありません。コロナ禍に直面する年齢が違っていたら自分もそういうことしてそうなので)。
社会が寛容になったのはとても良いことですが、その善意に付け込んで権利を振りかざすようになってくるとバランスが悪くなります。
上にあげた例が権利を振りかざしているとは思いませんが、実際に話に聞いたもっとヤバい「無制限自由」の人たちは、ほんと「無制限」です(こっちは書いてしまうと特定できるので書きませんよ、逆に)。
何がヤバいって、そういう逆手に取ったような例が増えてくると「やっぱり多様性を認めるとロクなことが起きない」という反動の風潮が登場しかねないことです。
ゆとり教育をやった後に、やっぱりゆとり教育ダメかしら?となったのを忘れるなかれ。
多様性も正しく浸透しないと、おかしな流れで変な方向に行っちゃうのはもったいないですよねー。
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日時:2010/05/08(初回掲載日)
味の種類:149食目として紹介しておりました
14年前、2010年に紹介した「味わいたまご」の再掲です。
「そんなこと言わずに、どのたまごも味わってください」と言いたくなるところですが、きっとこれは「味付けたまご」的なものなのでしょう。
このランチパックに出会うより前、学生時代にラーメン屋でアルバイトしておりましたが、その時は「味付けたまご」の仕込みなどもやっておりました。ラーメンに入っている「味付けたまご」っていいですよね。
深夜のラーメン屋は本当に様々な人がやってきて、とてもいい思い出です。
ずーっと瓶ビール飲んでいる人、ラーメン屋なのにラーメン頼まない人(ごはんと単品のおつまみ)、毎日2回来る人、態度悪いお子様をお連れのご家族、ちょっとグレたチームの皆様、雪降っているのに半袖の人。。。
ああ、人生いろいろあって、それでもみんなふとした時にラーメン食べたくなるんだな、全然バラバラなこの人たちだけど「この店によく来る人」というカテゴライズできるのすごいな、と思ってました。
真の多様性はこの時に見た気がします。
あれだけバラバラであっても、お互い交わるようで交わらず、ただ同じ目的で同じように店に入り、共存する世界。
いまさら多様性が大事とか言わなくても、ずっと昔から人々は画一的ではないものだったのではないでしょうか。
なんかバズワードかしちゃってもったいないな。
と、過去を味わいながら未来を憂う今日この頃でした。