Ending「Link Beyond Teardrops」
澪の高校生活最後のクリスマスイブは賑やかだった。河月のペンションに家族総出で泊まって、流雫とその親戚夫婦、他の宿泊客も交えたささやかなパーティーを愉しんだ。
22時頃に部屋に戻ったが、ボブカットの女子高生は当然ながら両親とは別……流雫の部屋だった。2人きりで、のんびりとした時間を過ごす。こうしている時が、澪にとっても、流雫にとっても何より落ち着く。
流雫にとっては、机の上に飾ったミニカーが象徴するあの日から16年の節目。区切りは付いたが、だからと捨てる気は毛頭無い。……この車が思い出させるあのパリの1日も、今この瞬間を結実させているのだと思う。
2人の時間の邪魔をしたのは、2人のスマートフォンを鳴らしたアルスと詩応だった。それぞれの隣にはアリシアと真がいる。
2人で過ごす用に残していた流雫の特製ケーキとジュースで、一気に6人で変則的オンラインクリスマスパーティーが、日本とフランスで始まる。太陽騎士団と血の旅団はクリスマスとは本来無縁だが、それはそれらしい。
……1年前の自分に、来年はこれほど賑やかなクリスマスを過ごすことになると言っても、やはり信じないだろう。それだけに、何か特別感を抱く。無論、澪と2人きりなのも好きだが。
流雫を同時通訳に、フランス語を封印して日本語と英語で話していく。事件のことには触れなかったが、クリスマスぐらいは忘れたいこと、そして捜査は難航していることが理由だった。
改めて、トーキョーゲートは規模や影響があまりに大きかった上に、旭鷲教会の勢力は未だ小さくなく、それが足枷になっている。とは云え、玉虫色の決着と云う名の大人の対応で、海外からの目を誤魔化せはしないだろう。
日本で日付が変わると同時に、特別なパーティーは終わりを迎えた。山梨の2人は、ベッドに潜ると目を閉じる。意識を手放すまで時間が掛からなかったのは、最愛の存在が隣にいて、ほのかな熱が安心をもたらしたからか。
次の日、流雫はペンションの片付けを済ませて東京に出る。だから恋人一家のチェックアウトの方が1時間近く早かった。2人で決めた合流場所は、何時もの新宿ではなく渋谷、ハチ公広場。
家族と少しだけ新宿に寄り道した澪は、ケープ型コートを揺らして端の慰霊碑に辿り着く。待ち合わせの未だ20分近く有る。
……クリスマスにこの場所は、流雫にとって大きな意味を持つ。そのことを澪も知っている。それは……。
「……奇遇だな」
隣から聞こえてくる言葉に、澪は聞き覚えが有った。ふと顔を向けると、少女は
「あ……」
と声を上げる。
「欅平さん……」
と澪が名を呼んだ男は、5ヶ月前より少しだけ疲れが見えている。
「……またこの場所で会うとは……」
その言葉に、澪は
「美桜さんが、引き合わせたんでしょうか……」
と言った。できれば、今この人と会うのは流雫であってほしいのだが。
「……君たちは日本を救った。今更だが私から礼を……」
その言葉を、澪は遮った。
「……礼を言わなければならないのは、あたしの方で……」
「どう云う……」
「欅平さんが、流雫やあたしを信じて、だから……」
そう言った澪に、欅平は被せる。
「だが、戦ったのは君たちだ。有難う」
「……あ、有難う……ございます……」
と澪は礼を返す。……少し戸惑い気味なのは、日本を救ったとは思っていなかったからだ。ただ、形だけでもそう受け取った方が今は無難だと、ボブカットの少女は思っていた。
「……一つ質問しよう。クリスマスにする話でもないが」
と、欅平は話題を変えた。
「神は死ぬのか?」
その問いに、澪は頭が少し痺れる思いがした。或る意味、究極の質問だったからだ。無意識に声を出す。
「……え……?」
「誰かの受け売りでもいい、自分が信仰する神の教えに則ってもいい。自分でこうだと思うなら、それが答えだ。……どう思う?」
宗教学者としての質問に、澪は数秒俯き、そして顔を上げた。
「……死ぬべき時が来れば、死ぬと思います」
と澪は答えた。
「それは何時だね?そして、どうしてだと思う?」
「……人が、神を信じなくなった時に。信じる人が、いなくなった時に」
信じる者は救われる。……人は、救われたいから、神と呼ぶべき存在を生み出し、崇め、信じる。神の試練と云う言葉だけで、不可解で理不尽なことすら乗り切れる。神はまさに、魔法のような存在。
そしてもし、誰も神を信じなくなったのなら、この世界から信じる人がいなくなったのなら、神は存在理由を失い、死を迎える。神だけでなく、悪魔も同じこと。
「……流雫やみんなの知識に、助けられただけですが……。あたしはそう思ってます」
と言って締め括った澪の優しく、しかし凜々しい目を見つめながら、欅平は言った。
「私は職業柄色々な宗教、宗派に出入りしてきた。中には、この質問自体タブーの所も有る。神が死ぬワケが無いからだ。……君の意見は、その意味では自由で、しかし危険で、だが同時に興味深い。いい意見だ」
「有難う、ございます……」
と澪が頭を下げると、欅平は
「今日がクリスマスだからプレゼント……と云うワケでもないのだが」
と言いながら、ブリーフケースから取り出した2冊の本を澪に渡す。
「……この本をあげよう。彼の分もだ」
クリスマスとテロと悪魔と、と云うノンフィクションのタイトルは、欅平千寿の著書。ノエル・ド・アンフェルから日本乗っ取り計画まで、宗教学者として見聞きしてきたことを綴っている。彼の研究の集大成と云えるものだ。
発売日は2日後だが、何冊か出版社から受け取っていた。澪にとっては、所謂フライングゲットだ。
「有難うございます……」
と再度頭を下げた少女に、男は言った。
「……後書きだけ、読んでほしい。それが私の、君の恋人への思いだからだ」
「流雫への……?」
と声に出した澪に、欅平は頷く。
「……私はそろそろ行くよ。君も、彼を待っているんだろう?」
その言葉に、澪は問い返す。
「どうして、判ったんですか……?」
「今日が、美桜の誕生日だったからな。生きていれば、18回目の。彼のことだから、この場所に来ることは想像がつく」
と答えた欅平は、数秒置いて続けた。
「……美桜が生きていた国で、美桜以上に大切にしたい人と生きていく。そのことを、私は応援するよ。じゃあ、また何処かでな」
その言葉に、澪は黙って頭を下げることしかできなかった。有難うございます、その言葉は嗚咽に詰まって、最後まで言えなかっただろうから。
その様子を知らない欅平は
「いかんな……。あの子の前ではつい饒舌になる……」
とだけ呟いた。
……澪と云う名前だけでない、彼女が持つ強さは、美桜の生き写しであるかのように似ていた。いや、恐らくはそれ以上か。だからか、無意識に期待していた。あの少女がいるなら、これからの日本も少しはよくなるだろうと。
宗教学者の背中が人混みに溶けていくのを見届けた澪は、後書きに何が書かれてあるのか、気になった。1冊バッグに入れ、もう1冊を開く。
そこには
「後書きで書くような話ではないが、書いておきたいことが有る。お付き合い願いたい」
と前置きが記された後で、短い文章が綴られていた。
私には娘がいた。名前は美桜。自慢の娘だった。使い古された言葉だが妻に似て、優しく健気だった。
だが、初めて小旅行に行った東京でトーキョーアタックに遭遇し、15年しか生きていないのに命を落とした。今でも、警察からの一報を忘れない。初めて、虚無と云うものを感じた。
そして同時に、犯人の目星が付いた。殺したいほどの怒りに駆られたが、しかし見て見ぬ振りをした。日本に大きな混乱を招くことが判っていたからだ。
虚無を抱えながらも、私は何事も無かったかのように日々振る舞っていた。今思えば、とんだ臆病者だったと思う。
或る日の夜、美桜の元恋人と名乗る少年に出逢った。渋谷の慰霊碑の前でだ。少しばかり話したが、美桜が引き合わせたのかと今でも思う。そして、此処では割愛するが、私は彼に怒りのままに毒突いた。だが、同時に彼が救世主なのかと思った。
だから私は意を決した。宗教学者としては失格なのかもしれないが、私に父としての決断をさせた。今思えば、娘に父としての贖いを求めていたのかもしれない。
そして、フランス革命に擬え日本に革命を起こそうとした男は、彼と彼の恋人の前に倒れた。そして、フランス革命が終結したとされる日に、命を落とした。銃の暴発が遠因だと聞いているが、死人を貶めるのは不本意だが、違法銃に手を染めた結果の、因果応報だと思っている。
同時にあの2人が、娘の敵討ちを果たしたと、今は思っている。
ところで、美桜と云う名前は、愛する妻が付けたものだ。私の研究室から見える桜が、世界一美しいと思っていたからだ。私もその点は同じだったが、クリスマスに生まれただけに聖と付けたかった。だが、今は美桜と云う名が相応しいと、妻が正しかったと思っている。
毒突いた手前、今更彼にどんな顔をして会えばいいのか、今は判らない。しかし熱りが冷めた暁には、彼を研究室に招待したい。娘を思い出させるあの桜の花を見ながら、色々語り合ってみたいと思う。そして掛けられなかった言葉を、伝えられれば。
この書を亡き娘と、この国を救った小さな戦士に捧ぐ。
……ダークブラウンの瞳で追っていた文字が滲む。
「……っ……」
澪が無意識に本を閉じると、その上に冷たい雫が零れ落ちる。急に降り出した雨を理由にしたかったが、生憎晴れていた。
7月の決戦、その2週間近く前に会った宗教学者が澪にだけ語ったことと、重複している部分も有った。ただ、その話を思い返しながら読むと、次第に鮮明に見えてくる。
欅平千寿と云う人物が、娘をどれほど愛していたのか、そして毒突きながらも、流雫にこの国を救う存在としてどれほど期待していたのか。
……予想外の、とんでもないクリスマスプレゼントだと思った澪は、袖で瞼を押さえた。その数秒後、
「澪!」
と声が響く。
「流雫!」
と声を弾ませてみた澪は、最愛の少年の手にグレープジュースのペットボトルが2本握られているのが判った。そう、これが今日のささやかな儀式。
「はい、澪の分」
と言って1本差し出した流雫に、澪は
「ありがと」
と微笑みながら受け取る。そして、2人同時に慰霊碑に向き合い、ペットボトルを軽く揺らす。彼女が好きだったドリンクを手に、
「……美桜、誕生日おめでと」
「あたしからも。誕生日おめでとう、美桜さん」
と言葉を連ねる2人のカップル。
建ち並ぶビルの無機質な樹海、その深淵からでも見上げれば覗ける、寒気を纏う碧のスクリーン。白い吐息を溶かしながら、2人は愛と未来を誓う。
何が有っても絶対に、この手を放さない。流雫にとっては澪が、澪にとっては流雫が、今日まで生きてきた証だったし、明日からを生きる希望だから。
……死と云う悲しみの先で、彼女に引き寄せられて結ばれた2人。彼女が生きたかった今を、彼女の分まで生きる2人。
あの出逢いから2年。2人の長い旅は未だ、始まったばかり。
Fin.
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