LTR AIS 1-8「Midnight Attack」
教会関係者が寝静まった23時、応接室には2人の男がいた。
「予防線と言ったところで何をする気だ?」
とアルスは問う。ルートヴィヒはタブレットを見せ、
「夕方の会見の通りだ」
と言った。
……夕方、アリスが会見を開いた。
UPに関しては、新たなスタイルの教団であると認識している一方で、信者が異なる宗教を掛け持ちで信仰することを制限するのは事実上不可能。ただ、太陽騎士団を隠れ蓑とした犯罪行為が発生した場合は、相応の態度で臨む。
そう言ったアリスに、質疑応答で幾つかの質問が飛んだが、聖女は全てに淡々と答えた。
「予防線としてはこれが限界だ。UPが知れ渡り始めた以上、公式見解を出すのが関の山だと云うのは、俺も同意見だ。血の旅団が沈黙のままなのが引っ掛かるが」
「パンデミックを機に太陽騎士団に歩み寄りを見せたが、未だ敵対関係だからな。自分たちに火の粉が降り掛かるのは真っ平だが、太陽騎士団がとばっちりを受けることは歓迎なんだろう」
と、アルスは目の前のドイツ人に続く。
「……俺の敵は、フランスに泥を塗る奴だ。その一線を越えるなら俺が潰す。同じ教団だろうと知ったことじゃない。……ルナでさえもな」
とアルスは言った。流雫がそうするとは思っていないが、揺るがない意志を見せる上では適切だった。
「その信念は立派だが、足下を掬われないようにな」
と言ったルートヴィヒに、アルスは
「言われなくてもな」
と言い返し、応接室のドアを開けた瞬間、小さな音が聞こえた。何かが爆発したような……、爆発!?
「ルートヴィヒ、教会のドアを開けてほしい」
とアルスは言う。ドイツ人にも、音は聞こえていた。そして、何をする気かも読める。
「止めろ、行くな」
「行かせろ。俺にはルージェエールの守護が有る」
と言ったアルスに、ルートヴィヒは大きく溜め息をつく。こう云う時だけは頑固者だ。
「何事です?」
とアリスが応接室に入ってくる。寝る前に執務をしていたが、変な音が聞こえていた。
「……爆発音がした。方向からして、コンコルド広場だ」
とアルスは言った。かつては革命広場と呼ばれ、フランス革命時にルイ16世やマリー・アントワネットなどが処刑された場所でもある。
教会に異教徒が泊まっているとバレてはマズいが、幸い他には誰も起きていない。
「……アタシも行くわ」
と言ったアリシアと一緒に、アルスは行くことにした。こうなった時、アリスもルートヴィヒもあのフランス人を止められない。
秋のパリ、夜は肌寒い。しかし、今はそう感じない。遠目に見える炎に向かって走っていく未成年の2人。
「バスティーユにコンコルド……フランス革命そのものかよ」
とアルスは呟く。バスティーユ牢獄の襲撃に始まったフランス革命は、5年後パリ市長ロベスピエールの処刑で終わった。その舞台も今のコンコルド広場だった。短絡的と言われればそれまでだが、どうしても引っ掛かる。
「……ノエル・ド・アンフェルの再来」
とアリシアは言う。
あのクリスマスのテロも、フランス革命を意識した血の旅団信者によって、この2箇所が狙われた。更にシャン・ド・マルス公園が狙われれば、完全にトレースしていることになる。
しかし、何故この時間……?
そう疑問に思うアルスは、車道に囲まれた広場の周囲に人集りを見た。しかし、誰も動かない。動こうにも、二次被害を恐れると足が出ない。
爆発していたのは車だった。宅配用のワンボックスか。ガソリンの燃焼力が威力を更に驚異的なものにする。
「バカの一つ覚えか」
とアルスは言った。
バスティーユの件と言い、車を使ったテロは多い。ただ、最もコスパがよく効率的な手口なのも事実だ。周囲に止まった緊急車両でさえグル、そう疑心暗鬼に陥っても不思議ではない。そして、アルス自身そう陥りそうになる。
「……アリシア。この辺りに聖堂は?どの教団でもいい」
「え?……確かすぐ近くに……」
と恋人に答えるアリシアの声は、近くで聞こえた爆発音に遮られた。
「まさか……」
アリシアの呟きを合図に、アルスは地面を蹴る。
「アルス!?」
「これはブラフだ、本当の目的は聖堂だ!」
とアルスは言う。第六感が言葉を吐かせる。
「ノエル・ド・アンフェルの再来。つまりは血の旅団の手口の再来」
「血の旅団の仕業にしたいの……?」
「血の旅団に、他の教団を狙う理由は無いがな」
とアルスは答える。昔から太陽騎士団だけが標的だったし、今更他の教団に宣戦布告を仕掛けるリスクを選ぶのは愚行でしかない。だが、社会的にはそう連想するだろう。認知戦になると、血の旅団は分が悪い。
アルスはあくまでも冷静を装うが、アリシアには判る。犯人をその手で断罪したいと思っている、と。
ワンボックスが聖堂の扉に突撃して爆発し、重厚な壁が崩壊していた。文字通り炎に包まれた聖堂に隣接する寄宿舎から、教団関係者が飛び出してくる。幸い怪我人はいないようだ。
「寄越せ!」
とアルスは言い、1人が握っていた消火器を奪う。
「中に人は!?」
「いない」
と関係者が答えると、
「ならば離れろ!」
とアルスは言い、ワンボックスに容器を向ける。既にガソリンに引火し、消火器では太刀打ちできない。しかし悪足掻きしているのには、もう一つ理由が有る。
「何処だ……」
と呟くアルスは、スマートフォンを向ける男女に目を向ける。よく有るヤジ馬の一部。しかし2人の手に、長細い何かが握られているのが判る。
「アリシア!!ショッ……!!」
アルスの声を遮ったのは、新たな爆発音だった。原形を留めない車のドアに無数の弾が弾かれる。
「ショットガン……!」
アリシアは言い、近くの車に隠れる。
狩猟専用に正当な手続きさえ踏めば、一応ショットガンの使用は認められる。当然、人間を狩ることは禁止だが。
「まさか、UPの仕業か!?」
とアルスは声を張り上げる。しかし返事は無い。つまりは正解か。
「全員容赦しないからな……」
と言ったアルスに再度、銃口が向く。
「くっ!!」
地面を蹴ったアルスが1秒前までいた場所に、弾の群れが飛ぶ。しかし銃弾の装填は早く、それも2人で交互に撃っている。リロード間隔は3秒、隙を突くのは難しいが、突くしかない。
アルスは地面を蹴る。その瞬間、クラクションが鳴った。そしてハイビームが男女を照らす。乗り捨てられた車を見つけたアリシアの仕業だ。
咄嗟に女が車に向かって撃つ。ヘッドライトが割れるが、赤毛の少女は既に標的から離れていた。そして、その隙が明暗を分けた。
男の、リロードの手が止まった。その瞬間、アルスは叫んだ。
「いっけぇぇぇっ!!」
ハンマー投げの容量で放り投げた消火器は、男に向かって緩い放物線を描き、男の顔面を捉える。
「ぐっ!」
咄嗟にショットガンを構えて引き金を引く。穴が開き、粉末の薬剤を噴出する容器がショットガンごと男を突き飛ばす。
突如視界を奪われた男には何もできず、ただ地面に転がりながら長細い銃身を旗のように振り回すだけだ。弾が入っていない以上、怖れるものではない。
「ちっ!!」
女は慌てて弾を装填しようとするが、焦っているのか薬莢を出すことができない。予想外の方法での反撃が招いた小さな混乱に飲まれている。
アルスは男の腹部に足を乗せて銃身を奪い、漸く薬莢を捨てた女の銃身を殴る。弾き飛ばされたショットガンに一目散に駆け寄ったのは、アリシアだった。別の車の陰から見ていて、今なら行けると思った。
銃身をバットのように持つカップル2人は、反撃に警戒しながら同じ性別の犯人に正対する。
「宗教テロか?」
と問うアルスに、男が掴み掛かる。しかしアルスは簡単に避け、銃身を腰に力一杯叩き付ける。
「ごほっ……!!」
男はその場に俯せに倒れ、激しく悶える。それに女が目を奪われた瞬間、その視界が急降下する。膝の裏側を殴られたのだ。
「なっ……!!」
膝を地面に打ち付けた女の背後で、アリシアが銃身を使って地面に押さえ付ける。
「狙いは何?」
と問うが、答えは無い。
「フランス革命気取り?」
と質問を変えるが、やはり答えは無い。やがてサイレンが聞こえてくる。だが、犯人が自分の手を離れる瞬間まで、絶対に油断してはいけない。そのことは、望まざる百戦錬磨の日本人から学んだ。
警察が犯人の身柄を拘束すると、2人は黙ってその場を後にする。教会に戻ると、アリスとルートヴィヒが出迎え、応接室でテーブルを囲む。
「ティタニア教会の聖堂が狙われた」
とアルスが言うと、アリスが反応する。
「ティタニアが?」
「手口は自動車爆弾。恐らくは全焼だ」
と答えたアルスに、その恋人が続く。
「コンコルド広場の爆発はブラフと思っていいけど、やはり血の旅団を真似ているような……」
「血の旅団がティタニアを襲撃した?犯人はそう見せたいの?」
とアリスは問う。
ティタニア教会。パリで17世紀に生まれた教団。太陽騎士団と血の旅団のような騒動とは無縁で、平和裏に活動している。欧州では一定の地位を得ているが、日本などアジアへの進出は無い。
「血の旅団には前科が有る。隠れ蓑には最適だろう」
とアルスが言うと、アリシアが続く。
「ただ、そうなるとやがてこの教会も狙われる。それどころか、恐らくは次のターゲット」
「隠れ蓑にせよ、標的にせよ、頭痛の種だな」
とルートヴィヒは言った。その向かい側で険しい眼差しを、誰に対してでもなく見せるアルスが何を思っているか、アリシアには判る。
そう、日本のこと……つまりは流雫のことだ。
澪と詩応がアルカバース上で会っている頃、流雫はアルスからの連絡に険しい顔を浮かべていた。互いに開くノートには、フランス語が並んでいる。
「じゃあ、シノにも危険が……」
「可能性は高い。トーキョーでもナゴヤでも危険度は同じだ」
と、アルスは流雫に続く。
「シノには先刻メッセージを入れた。フクオカに行くと言っていたが、だからと安全なワケでもない」
「フクオカ?」
「教団の関連でと言っていたな」
とアルスは答えた。
その詩応は、紅いアバターを操っていた。澪の碧きアバターとは色違いだが、下がミニスカートではなくホットパンツなのが特徴だ。
2人は色々なエリアを回る。謂わばVRデートだ。とは云え、半分はアルカバースのAIの動きを警戒しながらだが。
「ミスティといるのは楽しいけど、遊び感覚でいられないのは残念だな」
と言った詩応に、澪は続く。
「経緯が経緯ですからね……。でもフレアといるから、それだけでも」
互いにハンドルネームで呼ぶのは、つい出そうになる本名をAIに学習されないための対策だった。
「……あれ?」
と澪は呟く。
「どうしたんだい?」
「此処がUPの教会グリッドなのに……今日は入れない……」
と、詩応の問いに答える澪。アバター越しに見るグリッドの入口に赤い斜線が入り、柵をしていた。
メンテナンス中、と表示されている。
「……何か有ったのかな?」
と澪は呟く。ただ、緊急メンテナンスは有り得ない話ではない。その時は何も言及しないことにした。
2人はログアウトすると、今度はスマートフォン同士で話す。そこで澪も、詩応が今週末名古屋にいないと知った。
福岡の大教会で、太陽騎士団の集会が開かれる。伏見家も出席することになったが、詩応自身はただ司祭の話を聞いていればよい。
「福岡には行ったことが無いからね、楽しみではあるんだ」
と詩応は言う。澪は
「詩応さん、気をつけて」
と微笑みながら言った。
その隣では、フランス語の通話は未だ続いていた。メッセンジャーを使った通話だから無制限で無料なのが有難い。
ティタニア教会の爆破テロから半日。アルスとアリシアが仕留めた犯人は、ティタニア教会の末端信者だったことが判明している。犯行動機こそ黙秘を続けているが、やはりSNS上ではUPを賞賛する投稿を繰り返していた。
「UPのためにティタニアを裏切り、反旗を翻した?」
と言った流雫に、アルスが
「UPを教団とするなら、それは正しい。だが、教団としての形を持たない以上、簡単にカテゴライズできない。だから社会的には、UPは未だに謎の組織だ」
と続く。
「反逆と言えば反逆だが、UPとの関連性になると捜査は減速する。その間に模倣犯の犯行として太陽騎士団が狙われる可能性も有る。当然、連中は血の旅団の仕業に見せ掛けるだろう」
「ただ、そのために広場用と聖堂用に車を2台用意する……それだけの準備が……」
「それだ。パリでは、自動車の盗難が3週間前に連続して起きたらしい」
とアルスは言う。ルートヴィヒ曰く、パリのローカルニュースで話題になっていたようだ。
「自動車爆弾に仕立て上げるための盗難なら、話は合う。だが、手間を鑑みれば組織的に手掛けたと見るのが自然だろう」
「単なるコミュニティとしてのUPが有り、その下に集まった事実上の信者が、盗難から犯行まで秘密裏に準備を進めていった?」
「恐らくな」
とアルスは言った。
UPの社会的定義は依然として曖昧だが、その状態を上手く使われ翻弄されている感が否めない。
「まあ、お前はまさかと思うだろうが、ルートヴィヒとはどうにか連携できてるからな。上手くいくだろ。生理的には微妙だが、アリスの秘書として有能だからな」
とアルスが言うと、流雫は
「明日、彗星でも落ちてくるかな?」
と返す。日本で一度対決した2人が互いに認め合っているのは、流雫にとっても驚くものだった。そして2人は
「彗星ぐらい2人で返り討ちにするさ」
と言いながら笑った。
……一言で言えば五里霧中。だがフランスでは少しずつ真相に近付いている気がする。あとは日本だ。だが、その日本では混迷を極めようとしている。話の続きを聞く流雫に、焦燥感が押し寄せる。
流雫が通話を切ると、澪は隣に寄る。笑いの後に眉間に皺を寄せ、今もそのままなのが見えたからだ。
……愛理明と有人の関係は、周囲が思うようなものじゃない。アルスの言葉が、耳に残っている。今まで読んでいた事の前提が覆る。そして、ゼロからのリスタートを突き付けられているとすら思わせる。
「……流雫」
と名を呼ぶ澪は、流雫の耳を手で塞ぐ。少年が聞こえるのは、自分の血や筋肉の音だけ。その低い音に、規則的な脈が重なる。何故かは判らないが、流雫を支配する不安が霧散するように思える。
せめて今日が終わるまででも、落ち着ければいい……、そう2人は思った。明日また立ち上がるために。