LTRA3-3「Cling To Honor」
「僕は……アリスを救いたい」
その言葉に目を見開く聖女。その目を見つめながら、流雫は続ける。
「聖女アリスを愛する人が……泣かなくて済むのなら」
……神でないものに縋る、それはタブーだと教えられて、アリスは生きてきた。人に頼ることを知らないまま育った。そして、助けるだの護るだのと言ってくる信者もいたが、全部言葉だけだった。
今は、謂わば非常事態。それでも信じてはいけないのか、否か。予想外の言葉に、聖女は戸惑っている。
その背中を押したい、そう思ったプリィは言った。
「……私も、ルナやミオに助けられた。2人は言葉だけじゃない、必ず誓いを果たすわ」
「……あたしは聖女の力になる。聖女の未来のためにも」
と澪が続く。
殺されかけた人を護りたい。聖女を見知らぬ地で孤独にしない。流雫に盲目的だからではなく、刑事の娘としての血が、立ち上がらせる。
2人の目を見つめるアリスは、一つの答えに辿り着く。
……血の旅団信者と、彼が引き合わせた3人は、確かにグルだった。唯一間違っていたのは、自分の味方だと云うこと。そして、流雫が言った愛する人……それはセブのことだと思いたい。
愛しいセブのためにも、死ぬワケにはいかない。それが、聖女の地位を失う運命のアリスの、ルナの言葉に見出した新たな存在理由。
運命とは、皮肉と矛盾に満ちたものだ、と思い知らされる。しかし、その手に触れることができれば、その先の未来も見えるハズ。それが明るいものだと信じたい。
「……ルナ、ミオ……近くに寄りなさい……」
その言葉に従ってベッドの脇に寄った2人に向かい、アリスは目を閉じる。
「……我が女神ソレイエドールに誓う。私は彼らの手を掴む。この教団と、私自身の未来のために」
「私は願う。未来を導かんとする2人に、絶対的な守護を与え給え」
綺麗なフランス語の後で、アリスは2人に微かな微笑を見せる。それは彼女なりの、2人を信じると云う証だった。
流雫と澪は、その瞳は聖女に相応しいと思った。しかし、それが余計に、クローンだからと排除されようとしていることに怒りを覚えさせる。
詩応やアルス、アリシアの力を借りて、決して屈してはいけない戦いに挑む流雫と澪。その瞳に、テネイベールとソレイエドールの光を見たのは、幻じゃない……アリスはそう思いたかった。
閉ざされた部屋で、4人が何を話しているかは判らない。しかし詩応とアルスは、密かに手応えを感じていた。
流雫と澪の2人が欲しいのは、安寧を手に入れた聖女の微笑。今まで欲しがっていたのは、自分と愛する人のために見せる微笑。そのために戦うだけだ。2人の目には、そう映る。だからこそ、2人を信じていられる。
「……アンタもよくやるよ」
と詩応は微少混じりに言う。アルスは
「俺は話に乗っただけだ。決めて動いたのはルナだ」
とだけ返しながら、先刻のアリスとの、短い遣り取りを思い返していた。
……立ち去りなさい。今し方耳にしたあの言葉は、今までのそれとは正反対に聞こえた。聖女としての立場を失う、空虚な自分を見せるワケにはいかないからか。
だが、今の彼女には支えになる人がいる。それに頼っていればいい。皮肉だが、聖女の立場が危うくなった今、漸くアリスは人間臭くなった気がする。
都内のホテルを後にした、ライトブラウンのショートヘアの青年は、黒いミニバンタクシーの後部座席で腕を組んでいた。その目付きは、蛙を睨む蛇のように鋭い。
……こうなるハズではなかった。昨夜から何度、そう思ったか。
「バカ共が……」
とドイツ語で呟いたが、全てが遅過ぎる。
敬虔は時に足枷になる、そう判っていたハズだが、まさか自分が足下を掬われるとは、思っていなかった。
……アリスを殺せと指示した覚えは無い。失脚させればよかっただけだからだ。マルティネスの死も、殺せと指示したワケではない。しかし、結果は予想外で最悪だった。
そして何より、ミヤキの死は最大の痛手だ。その恩恵を最も受ける連中……。思い当たる節は有る。
タクシーの行き先は府中。東京競馬場が有名だが、その近くに目的地が有る。近くに建つ大手飲料メーカーの研究開発施設を思わせるような、無機質な小さい建物。
そのエントランスで出迎えた中年の男は、青年に
「バロン・フォン・ヴァイスヴォルフ」
と名を呼ぶ。
「まさか此処までお越しになるとは」
「緊急事態でね、呼び出すより早いと思った」
と言うと、男は応接室へドイツ人を通した。
「マルティネスの件は気の毒だった」
と話を切り出した男は、眼鏡を外してレンズを拭く。その黒いテンプルには、ミキツグ・オギと刻まれている。
小城幹禎。国立医大を首席で卒業した後、研究者として活躍、そして三養基と同じくアリスのクローン計画に携わっていた。生成に成功した後は、この府中の施設でクローンの研究を続けている。彼も太陽騎士団の信者だが、その地位は末端信者でしかない。
「君はクローンを否定していたな。アリスの秘密を洩らしたのも、君が黒幕か?」
「我が教団にとって、クローンは禁断の存在だ。それが聖女など、認めるワケにはいかない」
と答えたヴァイスヴォルフに、小城は言い返す。
「だが、君が余計なことをしたところで、アリスを生成した事実は変わらないし、クローン技術の発展は減速しない。熱心な研究者が、日本を救うために日夜研究に勤しんでいる」
「日本を救うため?」
「日本の出生率の低水準は深刻な問題だ。しかし外国人移住者の定着は、根本的な解決にはならない。日本人の遺伝子を持つクローン同士を交配させれば、新たな日本人が生まれ、繰り返すことで解決に寄与するようになる。そのためにクローンが必要なのだ」
「要は、繁殖の道具か……」
と言ったヴァイスヴォルフは、もう一つの疑問をぶつける。
「……ミヤキを殺したのは誰だ?」
「ミヤキ……彼女も気の毒だった。もし犯人を知っているなら、私が殺しているところだよ。それほど、彼女は必要な存在だった」
と答えた小城に、ヴァイスヴォルフは数秒の沈黙を置いて問う。
「……犯人は、クローンが不都合なサイドの仕業に見せ掛ける気か?」
「どう云う意味だ?」
と小城は問い返す。
「教団の理念は別として、クローンが不都合なのは、俺とマルティネス家ぐらいなものだ。特にマルティネス家は、メスィドール家に聖女と総司祭の座を追われたと思っている。つまり東部教会サイドには、クローンの生みの親を殺すべき理由が有る」
「そして、実行犯は俺やマルティネス家からの命を受け、殺した。取調でアリスの秘密をバラすまでをセットとして。それが黒幕のシナリオだろう」
と続けたヴァイスヴォルフは、コーヒーを喉に流して問う。
「……お前は、クローン生成の功績を手にしたいか?」
「当然だ、日の目を見ない功績に何の意味が有る?……ミヤキが死んだ以上、同じ日本人の俺が手に入れることが、後進のためにもなる」
その答えがあまりにも滑稽に思えたヴァイスヴォルフは、笑いを抑えた。後進のため……対外的には耳障りがよいが、欲望があまりにも露骨だったからだ。
「アリスが失脚する以上、その全てを公表すれば、お前は世界初の功績を手に入れる。そして俺は、余計なことをした結果総司祭の座を手に入れる、そう云うワケか」
と言ったヴァイスヴォルフに、小城は
「これぞウィンウィンだ」
と嗤いながら続けた。
「クローンは政府主導の一大長期プロジェクトだ。成功しか要求されない。その弾みとなるのが、世界初の功績だ」
小城は最早、功績しか目に無い。そして、その功績欲しさに三養基を殺そうと画策した……と見ることができるのは当然だった。
アリスの秘密を洩らすことで、世間の関心を集めることができれば、クローンの人間を生成した実績もほぼ同時に知れ渡る。三養基の死による多少の技術発展の減速、そのぐらいは計算済みだろう。
ただ、一つ引っ掛かる。末端信者の域を出ない地位の小城に、実行犯を動かすだけの求心力が有るとは到底思えない。
……小城が、上の地位の誰かとパイプを持っているとすれば。そう思ったヴァイスヴォルフは、
「……ウィンウィンであればよいが……」
と言葉を濁すに留め、小城にタクシーを手配するよう頼んだ。
病院を後にした日本人とフランス人の4人。入ったファストフード店は混雑し、2人ずつ分かれざるを得なかった。澪と詩応はテーブル席、流雫とアルスは隣同士カウンター席だ。
「……アリシア曰く、フランスでもアリスのことは騒ぎになっているらしい」
とアルスは言った。日本と違って、流血沙汰にはなっていないことが幸いだ。
「総司祭は昨夜の一件以降、コメントすら出していない」
「黙秘は肯定、そして否定できる材料も無い……」
と流雫は言い、フライドポテトを摘まむ。
「それ以上に気になるのは、誰がミヤキを殺したか、だ」
とアルスは言った。
執着しているのは、それが一連の事件の鍵を握っていると思っていたからだ。義憤の暴走では説明が着かない。
「……教団関係者としてクローンをよく思わないヴァイスヴォルフ、奴にとってクローンを生み出すミヤキは相容れざる相手だ」
「でも、黒幕とは云え殺害に関与したことがバレれば、総司祭になる思惑も水の泡……」
「ああ。だから殺す気は無かったし、何なら危害を与える気すら無かった。二度と教団にクローンが関与しない、それだけでいいハズだからな」
と言ったアルスに、流雫は問う。
「じゃあ、教団の関係者が殺すよう命令したと……?」
「ああ、それも本国の人間だと俺は見ている。日本人でアリスがクローンだと辿り着いたのは、お前が初めてだろうしな。無論、日本に仲介者がいる必要は有るが」
「フランスの……」
と呟く流雫に、アルスは言う。
「憶測だが、1人だけ可能性を否定できない奴がいる」
「誰?」
その問いに、アルスは一呼吸置いて答えた。
「アデルだよ」