LTR AIS 1-6「Brave Chaser」

 早くも週の後半に突入した。あと1週間で、流雫との学校生活が終わる。1週間有るが、澪は軽く憂鬱になる。
 昼休み、流雫と澪は彩花に呼ばれた。教室の外にいたのは、望明だった。
「……どうしたんですか?」
と澪は問う。
「……生徒会室へ」
と望明は言い、上級生を生徒会室へ連れて行く。他には誰もいない。
 昨日の話の続きか、と思った流雫に、望明は言った。
「……姉様はアリア。しかしアリアは、姉様の意志じゃない」
「意志じゃない?」
「ARIAは、姉様の言動パターンを手に入れただけのAI。専用のアバターも存在するけど、アリアとは見分けがつかない。しかしそれは、姉様じゃない」
 「……望明さんは一体何を……?」
と澪が問う。何故その話をしているのか、意図が掴めないからだ。
「……私は、姉様がARIAのモデルなのが気に入らないだけ。ARIAが方舟なら、どうして私じゃないのか……」
と望明は答えた。
 普通に聞く限りは、単に姉への嫉妬からの我が侭、と云うだけのことだ。だが、澪にはそれ以上に気になることが有る。
「なぜその話を、流雫とあたしに……」
その問いに、望明は数秒置いて言った。
「……昨日の話を聞いていて、2人には言えると思ったから。姉様に媚びることなく、堂々としていたから」
 ……愛理明や有人にこの話が洩れなければ、話す相手は誰でもよかった。ただ、昨日の件で2人に目星を付けただけのこと。流雫はそう思っていた。愛理明の妹、その時点で鵜呑みにはできない。
「望明さん、一つだけ」
と前置きして、澪は問う。
「ARIAの新たなモデルになりたいから、ですか?」
望明は少しだけ揺れた。新たなモデルになりたい、それは間違っていない。しかし、本当の理由は……。
 「何をしている!?」
と声が聞こえ、同時にドアが開いた。有人だ。鍵を掛けていたハズだが、有人も生徒会室の合鍵を持っていた。そして不審な話し声が聞こえたから、鍵を開けたのだ。そして、愛理明もいる。
「……愛理明様には内密の話か?」
「あんたにはどうでも」
と言い返す望明の声を、有人は遮る。
「お前が愛理明様の妹でも、陰で何か企んでいるなら話は別だ」
 「望明、何を企んでいるの?全て話しなさい」
と、愛理明は妹に近寄る。
「そしてお前」
と有人は流雫に顔を向ける。
「交換生徒の分際で、生意気なんだよ。破壊の象徴は、この学校の秩序まで壊す気か」
その声に、流雫はオッドアイの瞳で有人を捉える。
「その汚い目で俺を睨むのか」
と挑発する有人、その視界の端で、肩丈のボブカットが少し揺れる。
「あの」
と澪は口を挟む。有人が
「何だ?」
と声の主に顔を向けた瞬間、視界が90度右に曲がった。頬に痺れるような激痛が走る。
 敵意を剥き出しにした澪の掌は、痺れている。
「……流雫をバカにするなら、あたしが容赦しないわ!!」
と、澪は声を張り上げた。
 ……流雫をバカにされて、我慢できなかった。
「……ARIAがどうなっても、あたしは知らない」
とだけ言い、澪はドアを開ける。流雫もそれに続く。ドアが閉まると同時に、昼休みの終了を告げるチャイムが鳴った。
 ……望明の顔は、一種の絶望に支配されていた。全てが、有人の乱入で台無しになった。
「何を話していたの?」
と愛理明が問う。しかし望明は
「有人さんがいるなら話さない」
と拒否し、生徒会室を後にする。
 ……そう、これは室町家の話。有人には無関係だ。

 午後の授業中、澪は先刻の件を思い出していた。爆発した怒りは収まらないが、それはそれとして気になることが有る。
 ……望明は何故、姉がARIAであることを望まないのか。姉への嫉妬以外に理由が有るなら、それは何なのか。 
 望明が有人をよく思っていないことは、その態度で判る。あの3人は一枚岩ではなく、意外と脆い。そのリスク要因が有人なのは、先刻の件を除いても明らかだった。

 放課後、学校の前で流雫と澪を待ち伏せしていたのは悠陽だった。駅前のドーナッツ屋の端のテーブル席を囲む3人。
「アリアは教会グリッド以外でほぼ見ていないわ。ただ、同時に気になるアバターが有るの」
「誰ですか?」
と問うた澪に、悠陽は答える。
「アルト。黒と赤のサイバー風の、男のアバターね」
その名前に、澪は眉間に皺を寄せる。
 「アルトはEFでしか見ないわ。ただ、特にEFで遊ぶ気配も無く、端の教会に出入りを繰り返すだけ」
「UPの教会グリッドに、ですか?」
と問う澪に、悠陽は
「そう」
と返す。
「プレイ中に気になったから、後を付けてみたの」
「でも、悠陽さんはサブリミナル……」
と澪は言う。無意識に洗脳に似た状態になるのが問題だ。しかし、悠陽は
「回避したわ、原始的な方法でね」
と言い、笑った。
 澪から話を聞いていた悠陽は、白とオレンジのアバター、アウロラが教会に入った瞬間から目を閉じていた。移動可能な方向は判っていたから、後はアリアの言葉を聞いているだけでよかった。尤も、それ故にアリアそのものを見てはいないのだが。
「アルトが教会で何をしていたのかは知らないけど、動きとしては気になるわ」
「でも教会は、アリアが諭すだけでは」
「それよ」
と悠陽は言った。
「諭されたいと云うよりは、何か探っているような感じがするの。AIだから相手によって言い方を変えてあるとは思うけど、それでも1日に何度も訪問するものでもないと思うわ」
「アルトの中の人は、学校ではアリアの右腕です。ただ、だとすると何を探っているのか……」
と言った澪に、流雫が続く。
「……UPか、室町姉妹のことだったりして」
「え?」
と澪は声を上げる。
 「麻布は、室町さんを最優先に行動してる。ただ、妹は目障り。昼休みの態度でそう思った」
「どうして目障りなの?」
と問う澪に、流雫は答えた。
「誰よりも室町さんに近いから。もし、麻布にとって不都合な話も全て、家で話題になっているとすれば……」
「じゃあ、愛理明さんは右腕を従えてることすら、演じてるってこと?」
「可能性はゼロじゃない。だとすると、麻布が何者なのかが、一層疑問になるけど」
と流雫は言った。
 「……何か複雑なことになってるわね」
と、悠陽は呆れ口調で言った。しかし、澪が絡む以上は無関係ではいられない。
「まあ、私は2人の味方だからね。2人が無事なら、他はどうでもいいわ」
と言い、悠陽はジンジャーエールを飲み干した。

 ドーナッツ屋を出た3人が有人を見掛けたのは、改札前でのことだった。その隣には愛理明だけだ。流雫と有人が、互いを視界の端に捉える。悠陽は流雫を睨む男が、その風貌からアルトだと確信した。
「……どう云うこと?」
と悠陽は呟く。その隣で、澪は有人に目を向ける。だが、流雫の目は男子高生を捉えていない。
「流雫?」
と澪が恋人の名を呼んだ瞬間、灰色の厚手のパーカーを着た男が改札が改札の前で、グレーのバックパックを床に落とした。持ち手を握ろうとしたが滑ったようだ。
 しかし、流雫はバックパックの異変に真っ先に気付いた。
「逃げろ!!」
とだけ叫ぶ。黄緑色の気体が、ジッパーの隙間から漏れ出ている。
「塩素ガス!!」
と澪は叫んだ。
 少量でも殺害するだけの能力を持ちながら、簡単に発生させられる。改札前は、一瞬でパニックに陥った。誰もが我先にと逃げ惑う。男は踵を返したが、流雫はその様子を逃さなかった。
「待て!!」
と叫んだ少年は、火災報知器を殴ると地面を蹴った。
 ベルを連打するけたたましい警報が周囲の空気を切り裂き、同時にスプリンクラーから水が撒かれる。無数の水滴がバックパックを打つが、水に吸収させられるのは焼け石に水程度。それでも、何もしないよりマシだった。
 有人は咄嗟に愛理明の手を引っ張る。その様子が一瞬だけ見えた流雫は、銃を取り出した。ワイヤレスイヤフォンを接続し、同じようにした澪と通話状態にする。
「動くな!!」
と叫び、灰色の服の男に銃口を向けながら走る。
 先手必勝は、撃たれても文句言えない。そう判っているが、そのセオリーを自ら破ってでも止めたい。
 男は止まり、流雫に銃口を向ける。
「何が目的だ?」
と流雫は問う。その返答は、大きな銃声だった。
 弾は流雫の顔1つ分外れる。その瞬間、流雫は引き金を引いた。2発の銃声と同時に、男は大腿を押さえて顔を激痛に歪ませる。だが、銃を手放していない。
 流雫は銃身を握ると、一気に間合いを詰めグリップの角で男の頬を殴った。
「ごっ……!」
男は声を絞り出しながら、その場に膝をつく。反撃して逃走しようにも、痛みに意識を奪われ身体が動かない。
 流雫はその手を蹴って銃を落とさせると、踵で蹴飛ばす。男はついに倒れるが、絶え絶えの息を吐くだけだ。
 「流雫!一人じゃない!」
澪の叫びが、イヤフォン越しに流雫に届いた。
「犯人が別にいる!」

 悠陽を逃さなければ、そう思った澪だったが、眼の前に黒いダウンジャケットの男が見えた。女子高生2人と一瞬目が合うが、男は気にせず後ろを向く。そして、銃を手に走り出した。
「待ちなさい!」
と澪は叫びながら、その後を追う。そして、無意識に口にした。
「囮……!?」
塩素ガスは単なる囮。果たすべき目的は別か。
「何が目的なんだ……」
と流雫は呟く。それは容易に想像できる可能性からの逃避でしかない。
 ……目的、もとい標的の名は、室町愛理明。
「室町さん……!!」
流雫の声に、澪は
「まさか……!!」
と声を上げた。
 ……愛理明がグループMの令嬢だとは、公には知られていない。同じ学校に通う澪ですら、噂程度でも耳にしたことは無かった。
 だが、もし犯人が何らかの理由でその件を知っていたとすれば。そして、この大崎駅が学校の最寄り駅だと、この時間帯にこの駅から列車に乗ると特定していれば。
 ただ、狙う理由が令嬢だから、と云うのは短絡過ぎる。身代金目的の誘拐としては、塩素ガスで撹乱は遣り過ぎだ。
 ……令嬢だから、ではなく、アリアの正体だと知っていたから……?でも、何故?いや、今はそれどころじゃない。
「愛理明さんを助けないと!!」
と澪は叫ぶ。地上に下りて逃げる男女が遠目に止まった悠陽は
「あっち!」
と声を張り上げる。同時に、彼女が先刻話に上がったアリアだと確信した。
「悠陽さんは逃げて!!」
と言い、地面を蹴った。
 複数の線路を跨ぐペデストリアンデッキで東西の往来ができる上、近くの商業施設にもダイレクトに行ける。つまり、このデッキで仕留めなければ厄介だ。
 駅の向かい側の商業施設のデッキから回る流雫と挟み撃ちにするべく、澪は近くの階段を駆け下りる。愛理明と有人は、歩行者信号が点滅する交差点に飛び出して渡る。男は赤信号で飛び出して追うが、澪も続くワケにはいかず、近くの階段からデッキへと上がる。
「流雫!犯人が下に!」
と、澪は声を張り上げた。
 流雫のイヤフォン越しに、澪の声が聞こえる。
 ペデストリアンデッキの下に、高校生の男女と怪しい男が見える。近くの階段を駆け下りるより早い、そう踏んだ流雫は、手首のブレスレットにキスすると、欄干に手を掛け足を宙に浮かせる。
 空中に放り出された体を何事も無かったように、2人の男女の背後に着地した流雫は、
「逃げろ!」
とだけ言った。
 その流雫の目には、ダウンジャケットの男が映る。流雫に銃口を向けるが、オッドアイの主は怯まない。
「お前などに命令されるか!」
と大声を上げる有人は、流雫の背後で銃を取り出す。大口径銃だ。
「愛理明!!逃げろ!!」
と有人が叫ぶと、愛理明は2人の男子高生の背中に背を向け、足音を鳴らす。しかし、ペデストリアンデッキから階段を下りてきた人影に
「確保!」
と言いながら抱き寄せられる。
「怪我は無さそうね」
「だ、誰!?」
と怯える愛理明に、悠陽は一言だけ答えた。
「ミスティの味方よ」

 階段を駆け下りた澪には、遠目に悠陽が愛理明を保護する様子が見える。これで心配は無くなった。
「そこまでよ!!」
と澪は声を張り上げ、銃口を向ける。3人の男女に挟まれ、男は焦燥感に襲われる。
 有人にとっては目障りな男女、その手を借りるなど屈辱。しかも、小口径の銃で何ができる?
 1人で戦うと決め、銃口を向ける少年に男の銃口が向く。有人は先手必勝とばかりに引き金を引く。しかし、銃弾はその斜め後ろの道路標識に弾かれる。その3人分隣には澪がいる。
 口径に比例する威力は武器だが、その反動を制御できていない上に、照準が合っていない。だから澪に誤射しかけた上に、男に隙を与えた。
 大きな銃声と同時に、有人の腕から血が噴き出した。歯を食い縛り悶絶する有人、しかし流雫は目を向けず、太腿を狙って引き金を引いた。2発の小さな銃声と同時に、カーキ色のカーゴパンツに血が滲む。
「っ……ガキのクセに……っ!」
と声を上げる男。アドレナリンと殺意で耐えているのが判る。
 有人は再度男を狙う。しかし銃弾は、澪の足のすぐ右側を飛ぶ。
「澪!」
とイヤフォン越しに名を呼ぶ流雫に、銃口が向けられる。だが、男は少しだけ角度を変えた。
 大きな銃声と同時に、有人の右肩が赤黒く染まる。流雫は咄嗟に男の手首を狙った。小さな銃声が2発聞こえると、男は銃を落とす。そして、流雫は銃弾を使い果たした。
 澪は地面を蹴り、銃身を背中に叩き付ける。
「がぁっあっ!」
新たな痛みが、身体に限界を突き付ける。男はその場に膝から崩れ、蹲る。澪はその後頭部に銃を突き付けた。ゼロ距離、何もしない限り撃つ気は無いが、撃てば外さない。
 流雫は犯人に反撃の様子が無いと判ると、有人に目を向けた。有人はその場に倒れ、弱々しい息を吐いている。隣に駆け寄り、
「もうすぐだ……!助かる……!」
と呼び掛ける流雫の耳に、サイレンが聞こえる。それでも、安堵できるほど頼もしく思えない。
 悠陽は、階段の陰に隠れながら愛理明の耳を塞ぐ。愛理明には……否、誰にとっても銃声のオンパレードは心臓に悪い。悠陽は
「……そのままよ……」
と言うしか無かった。

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