LTR AIS 1-2「Before Night of Armageddon」
早朝から深夜まで人通りが絶えないカオスの代名詞、新宿駅。
秋晴れに恵まれた日曜日の午前中、デニム調のジャケットに袖を通し、肩丈のボブカットを揺らしてホームへの階段を上がった少女。少し涼しいハズだが、往来する無数の人の熱でその恩恵は受けていない。
混雑に追い打ちを掛けるように、山梨からの特急列車から乗客が吐き出される。その最後は、ネイビーの薄いパーカーを羽織る少年だった。
シルバーのショートヘアに、眼はアンバーとライトブルーのオッドアイ。ただ、何時もはショルダーバッグだが、この日はブリーフケースに小さなスーツケースを持っている。
「流雫!」
とその名を呼ぶ少女は、目の前で微笑んでいる。流雫と呼ばれた少年は
「澪!」
と呼び返し、その視界を奪った。
少年の名は、宇奈月流雫。日本とフランス、双方の血を引く。パリで生まれた後、日本に帰化した。元々ルナと云う名前だから、日本語では流雫と書くようになった。今は山梨の高校に通っている。
少女の名は、室堂澪。東京の高校に通っている。流雫とはSNSで知り合った。今では、彼と相思相愛の恋人だ。
今日はデートの日。1分でも長くいたい、だから澪は流雫を新宿駅のホームまで出迎え、ホームで見送ることに決めている。
取り敢えず、この人混みから一度逃れたい。そう思った2人は、十数本の線路を跨ぐデッキの広場に向かった。
列車を見下ろすデッキのテーブルに、紙コップに入ったコーヒーを並べる流雫と澪。こうしているだけで落ち着く。
忙しなく列車が動き、無数の人が足早に行き交う。その光景を眺めるのが2人は好きだった。代わり映えしない日常は、平和であることの証左……そのことを感じていられるからだ。
他愛ない話の後で、寄ってみたい場所が有ると言った流雫に、澪はついていくことにした。
何気ない高校生カップルの日常……しかしそれは、突如終焉を遂げる。
空気を切り裂く大きな銃声、そして倒れるスーツの男。
「澪!!」
流雫は声を張り上げ、鞄から黒いバナナ状のレザーケースを手に地面を蹴る。澪もそれに続いた。
騒然とするデッキの隅で、緑のジャケットを羽織る男は銃を持ったまま殺気立っている。周囲の男女が動こうとするが、銃口を向けられると動けない。
「動くな!!」
流雫は言い、ケースから銃を取り出した。
今から2年前、東京で大規模テロ事件が起きた。トーキョーアタックと呼ばれるそれは、国民に護身専用としての銃の所持と使用が認められる発端となった。
口径は3種類から選べるが、銃弾は6発に固定され、指定された場所でしか補填できないようにシステム化されている。しかし、残念ながら銃を使った犯罪も皆無ではない。
流雫は銃口を向けない。先に銃口を向ければ、逆に正当防衛の口実にされる。先手必勝は通じないのだ。
その隣で、澪はうつ伏せに倒れる男の首筋に触れる。脈は弱い。既に警察と救急には通報してあるようだが、油断してはいけない。
シルバーの銃を手にする澪の目に、怒りが宿る。左手首を飾るブレスレットにキスをした少女の耳には、ワイヤレスイヤフォン。今し方駆け付ける途中に、咄嗟に着けたものだ。
「澪」
流雫の声が耳に響く。
「うん」
とだけ、少女は答えた。
……2人が銃を握るのは、これが初めてではない。今まで何度も、銃を手に犯人と戦ってきた。ただ死なないために。
流雫が右手首のブレスレットにキスをする。澪もそうしたが、ブレスレットは互いに送り合った誕生日プレゼント。最愛の人の守護を感じられる。
澪に銃口が向く、と同時に流雫が引き金を引く。使いやすさで選んだ小口径銃が2回、小さな音を立てる。
「くっ!」
2発の銃弾は男の指に刺さるが、男は銃を手放さない。
「このっ……!」
無意識に声を上げるが、痛みと戦いながら引き金を引こうとするが、引けない。指に力が入らない。
「くっ!くそっ!」
男は銃を持ち替え、痛みに耐えながら構えようとする。その銃口は、目障りな少年に向けられた。
「流雫!5発残ってる!」
と澪は叫ぶ。テレパシーが使えれば最高だが、それは有り得ない。だから疑似テレパシーのように通話しながら戦うのが、2人にとってのセオリーだった。
流雫は後ろ向きに地面を蹴り、仰け反るように身体を浮かせる。細い身体が地面と平行になりながらも、銃口の延長は男の太腿をホールドしたままだ。そして更に引き金を引く。
「澪!」
流雫の声より寸分早く、男が異変を来す。低い呻き声を上げながらデニムに血を滲ませ、その上を手で押さえる。
前屈みになりながらも、左手だけで銃を構えようとする男は、撃たれた怒りで忘れていた。殺したい敵が1人だけではないことに。
澪はその腰に、銃身を叩き付けた。
「ぐっ!」
予想外の一撃に、男は銃を落として膝から崩れる。澪はすぐさま、その腕を掴んで背中に回す。
「銃刀法違反、並びに殺人未遂の現行犯、かな」
と、落ち着いた声で犯人に告げる澪の耳に、サイレンが聞こえた。
「……またお前か」
と呆れ顔で澪に言うのは、40代の刑事だった。部下が犯人を連行する様子には背を向けている。
「仕方ないじゃない!居合わせたんだから」
と言い返した澪は、すかさず畳み掛ける。
「流雫とあたしが無事だったから、それが救いじゃないの」
「しかしな、お前は単なる……」
と言った刑事の言葉を、澪は遮った。
「誰の娘だと思ってるの?血は争えないわよ」
刑事の名は、室堂常願。本来はテロ専従の刑事だが、銃犯罪全般も担当する。そして、澪の父親だ。
「……まあいい。取り敢えず、何が起きたか話せ」
と常願は言った。
取調が終わったのは、1時間後のことだった。既にランチタイムも終わる頃だ。時間を無駄にした、とは思ったが、あの場で逃げると云う選択肢は2人には無かった。
新宿を離れることにした2人は、渋谷駅にいた。スクランブル交差点の角に建つ直方体の慰霊碑、その眼前に膝を突く流雫の唇の隙間から
「美桜……」
と名前が零れた。
……流雫にはかつて、別に恋人がいた。欅平美桜。その日本人らしくない見た目で疎まれていた流雫に、初めて近寄ったのが美桜だった。
6歳で両親と離れて日本に移住して以降、流雫が初めて打ち解けていったのは美桜だった。しかし、それでも彼女からの告白には戸惑うばかりだった。
……美桜の想いに応えなければ。だから流雫は、戸惑いながらも受け入れた。
それから3ヶ月。初めてのデートを翌週に控えた、8月最後の日曜日。美桜はこの渋谷で、命を落とした。トーキョーアタックの犠牲者の一人だった。
故郷のフランスから戻ったばかりの流雫は、東京の空港でテロに遭遇した。辛うじて無事だったが、同級生から美桜の死を聞かされた。
……その悲劇が、後に流雫と澪を引き寄せた。美桜に何もしてやれなかった、その過ちを二度と繰り返さない。それが、澪への愛として流雫を縛り付けている。
「美桜さん……」
と、澪もそれに続く。流雫を初めて愛した人として、流雫の守護神であってほしいと願っている。
その場に立ち上がり、軽く頷いた流雫と澪が踵を返す。最初にすれ違った一組の男女は、2人と同い年に見える。
「どうしました?」
と黒いショートヘアの少年が問う。その隣でブラウンのロングヘアをなびかせる少女は
「……別に何も」
とだけ答える。だが、凡人らしからぬオーラを漂わせる少女の紅い眼は、多少の違和感を禁じ得ないカップルに向いたままだった。
東京の北端に、室堂家が有る。一戸建ての2階が、その澪の部屋だ。部屋の主はバスタブで身体を温めているが、流雫は先に済ませてネイビーのルームウェアを着ている。
「そろそろアルマゲドンでも起きるか?」
と通話相手はフランス語で言う。世も末と言いたいらしい。
「世界を救うために戦う?」
と返す流雫を鼻で笑ったアルスは、厳しい口調で言う。
「……バスティーユが狙われた。あの時と同じ臭いがする」
あの時。パリクリスマス同時多発テロ、通称ノエル・ド・アンフェルのことだ。16年前、バスティーユ広場での爆弾テロを皮切りに3箇所で発生した大事件を指す。アルスが昼間に対峙していた石碑は、その犠牲者を弔うものだ。
「また宗教テロの類?」
「それに近い犯行動機、有り得ない話じゃない」
とアルスは答えた。
ノエル・ド・アンフェルを仕掛けたのは、血の旅団だった。太陽騎士団の犯行に見せるためだった。そして当時2歳の流雫も、バスティーユで遭遇した。
一家揃って無事だったが、このテロに対する不安は拭えず、一家は西部のレンヌへと引っ越した。その後、両親は6歳になった流雫を日本に住む親戚に預けることにした。今から12年前のことだった。
「まあ、仮に日本で起きたとしても、お前に被害が及ばなければ、どうだろうと構わないがな」
とアルスは言った。
……経緯はどう有れ、ルナをフランスから追い出したのは俺だ。地元で流雫と知り合ったアルスはそう思っている。それが、1万キロ離れた2人の結束の原点だった。
今では、双方にとってベストフレンドと言える関係になっている。それは、あくまでもプリュヴィオーズ家が最後までテロに反対だったこと、そしてアルス自身犯人ではないことが全てだった。そうである以上、流雫にとって彼を拒絶する理由が無い。
「起きないように願うだけだよ」
と流雫は言った。
通話が終わると同時に、澪が入ってくる。ピンクとスカイブルーのルームウェアに袖を通した少女は、ボブカットを乾かしながら
「明日からが楽しみだね」
と言う。
流雫が通う高校と澪が通う高校は提携校で、時々生徒の交換が起きる。その間は、原則として同性の家に世話になるのだが、今回は2人が結託して根回しし、異例ながら異性の家に泊まることにしたのだ。
恋人と通学し、同じ教室で授業を受ける。美桜を失ったあの日から、二度と有り得ないと思っていたことが、明日から現実になるのだ。それも、あの頃のように恋人と云う立場に戸惑わず、澪の隣に立っていられる唯一の存在と云う自信も有る。
何より澪は、僅かな間ながら、流雫が自分と一緒に高校生活を送れることを期待していた。地元に味方がいない流雫には、漸く手に入れた束の間の青春を謳歌してほしい、と思っている。
「うん。澪となら楽しくなるよ」
と流雫が言うと、澪は流雫を優しく抱く。
……こうしていると、2人は何か落ち着く。そして、生きていることを感じられる。頭を過る昼間の惨劇すら、忘れていられる。
誰かのヒーローになりたいワケじゃない。ただ、最愛の存在を護る騎士でありたい。銃を手に戦うのも、本質はそれだ。
「サンキュ、澪」
と流雫は囁いた。