LTRL2-7「Fake Apoptosis」
翌朝、亜沙は義妹がいる病院へ向かった。明澄は人工的な昏睡状態に置かれているが、危機は脱している。
女記者は、前夜遅くまで部屋でPCと睨めっこしていたが、濃いめの缶コーヒーで無理矢理眠気を吹き飛ばしている。眠気と戦っている場合ではない。
「……亜沙、オフレコだ」
と、隣にいる父の颯人は言った。鳥栖の時と同じように、亜沙はボイスレコーダーを手にした。
「……ウェイフェイとはカンファレンスで会った。終わった後も、チュンの部屋で秘密裏に話した。同じホテルだったからな。本来なら、その後関空まで同行する予定だった。今後のビジネスの話をな。だが、明澄がやられたと聞いて、俺は断りを入れて新幹線に飛び乗った」
「……ウェイフェイの部屋で話したのは、VRMMOに関する調査結果だ」
と言った颯人は、長女の目を鋭く見つめる。それが、今追っている一連の事件の核心、それに近いものだと女記者は直感した。
「あれはゼウスとオケアノス、つまりガイアベースのAIの欠陥が原因じゃない。人為的に引き起こされたものだ」
その一言は亜沙の脳に、特大の雷を落とす。
「人為的……!?」
「ああ。犯人は、アポトーシスを人為的に引き起こした」
バグの発見と自己修復も、AI自身が判断して行う。そのオートメンテナンス機能が、ガイアと呼ばれるAIの運用面での特徴だった。アポトーシスはその一環だ。
オートメンテナンスで対応できない問題を、データの完全フォーマットで乗り切る。その上から新たなデータを置いて、それでもダメなら再度フォーマットした上で、問題の領域だけハードウェアを使わないよう処理する。
だが、管理者権限で介入して手動で触ることは可能だ。高度な作業は未だAIにはできないし、ディザスタリカバリの観点も有るのだ。
何者かが意図的に、大規模なアポトーシスを引き起こすようバグを仕掛ける。アムワックがオープンソースであることを悪用した形だった。
……ネクステージオンラインもファンタジスタクラウドも、保守の委託を受けていたのはATAだ。だが、実際に作業していたのは派遣された1人のエンジニアだった。尤も、2つのサービス終了と同時に元請けから契約の打ち切りを通達され、来なくなったが。
エンジニアが裏でバグを仕掛けた可能性は無い。そうだったとしても、AIごと完全消失するから、ログも存在しない。……ただ、それは日本に限ってのことだ。
ガイアをベースにしたAIは、深圳に設置したヘラクレスのサーバにログを送信する仕様になっていた。あくまでも作業履歴であり、アジャイルな開発の目的のためのものだった。
その履歴を探ると、イレギュラーな手動作業が複数見つかった。更に分析を進めた結果、バグを仕掛けたと判断できた。
オーバーロードでハードウェアの熱を上げ、更には人為的なクラスタの破損を招く。それが不安定な挙動とエラーを引き起こし、やがて修復不能と判断しアポトーシスが始まる。
後はもう誰にも止められない。サーバルームの、予備を含む電源を強制的に遮断しない限り。
「ファンタジスタの海底データセンターの件は残念な事故だったが、それ以外は全て、エンジニアによるサイバーテロだ」
と締め括った父に、亜沙は失った言葉をどう取り戻すか、頭を悩ませていた。
「……チュン氏が死んだ、いや殺されたのは、その真実を葬るため……」
「そう見て間違い無い」
「じゃあ……!」
と亜沙は声を上げた。このことを知っている父も、標的にされる……。
「……本来なら、俺もあのタクシーに乗っていただろう。だが、乗らなかった」
「……明澄が死にかけたから、父さんが死ななかった……」
と亜沙は言った。……明澄が無事なら父が死んでいた。2人が死ななかったと云う意味では、この現実を幸せと思うしかないのか。
「……室堂と言ったか、この前の刑事。俺はあの人に全てを話す。明澄が目を覚ました後でな」
と言った颯人に、娘は問う。
「ATAを、アルカバースを守るため?」
「それも有る。だが、何より明澄に手を出した報復だ。仕事にかまけてばかりで、いい父親ではないが、偶にはそれらしいところを見せねばな」
と答えた父に、亜沙は
「いい父親よ」
と返す。
「明澄は普段何も言わないだけで、父さんのこと、何時だって誇りに思ってるから」
と続けながら、亜沙は娘らしい目を向ける。女記者のスイッチがオフになったように、父親には思える。
「ああ。……しかし、お前も立派になった」
とだけ言った颯人は、表情を緩めた。
亡き前妻に、今の娘を見せたかった。ただ、次の世界で会うのはもっと、何十年も先でいい。
ユノディエールから河月湖の中心施設、ビジターセンターまでは車で3分も掛からない。その少し先に、小さな桟橋が何本か有る。
其処に人体が引っ掛かったまま沈んでいるのを、遊歩道を歩いていた美雪が見つけたのだ。些細な違和感を覚え、近寄るとそれだと判ったらしい。
美雪は今でこそ専業主婦だが、夫と職場結婚するまでは警察官だった。幸い死体絡みの事件に遭遇したことは無かったが、職業柄培われる正義感と目聡さは今でも健在だ。
弥陀ヶ原は澪を連れて、ペンションを出た。リビングには流雫と夏樹だけが残される。
「先刻の話……」
と話を切り出した夏樹に、流雫は
「思い過ごしであってほしい……とは思うけどね。何時も現実に裏切られるけど」
と答える。
「……でも、これで判ったと思うよ。僕が何でも知ってるのは、そう見えるだけ」
「自分の知識にするのは意外と難しいよ。でも、流雫くんは全てモノにできてる」
と言った夏樹に、流雫は
「……自分のものにしないと、真相には辿り着けない。そのためなら、何だってやるしかないんだ」
と言い、余ったコーヒーを飲み干す。
その普通に見える表情に、薄っすらと陰を見た気がした夏樹は、
「……明澄、いい奴だよ」
と話題を変えた。
「流雫くんには厳しいけど、悪気は無いんだ」
そう言った黒いショートヘアの少年の顔が、少しだけ紅潮する。
流雫は言った。
「……扇沢さん、好きなの?」
弾丸のようにストレートな言葉に、夏樹は固まる。
……やはりか、と流雫は思った。彼女といる時、彼女の名を出した時の夏樹は、普段とは微かに違う気がしたからだ。
数秒置いて
「……うん」
と頷く夏樹は
「だから、生きてるけど明澄の仇を討ちたい」
と続ける。
……夏樹に、流雫は何時かの自分を見た。美桜を殺したテロの真相を、暴こうとしていた自分を。
「明澄を殺されかけて、黙ってられない」
と言った彼の言葉が、流雫の頭を過る。
……僕のような思いを、彼が二度としなくていいように。今の悲壮感は、僕が誰より判っている……そう思っていたい流雫は言った。
「……僕がいるから」
「……助かるよ」
とだけ言葉を返した少年は、精一杯微笑んでみせた。
水死体の身元は、30代の男。フリーランスのエンジニアで、都内で1人暮らし。
最近はクラウドソーシャルで得た案件に携わっていた。2つのMMOのアドミニストレータ。採用は1人だけで、報酬はよかったが休日は殆ど無かったらしい。
ATAに出向していたが、当の本人は今まで一度もゲームをしたことが無かった。ゲームで遊ぶより、ゲーム開発の側に回る方が先だった。
その仕事漬けの日々は、突然の契約終了で呆気なく終わった。そして、水死体となって発見された。
死亡推定時刻は昨夜、22時頃。その5時間前、都内で用事を済ませるとして住んでいたマンションを出た後、秋葉原駅から河月まで向かっていることが判っている。都内から河月までは2時間ほど。逆に言えば、列車に乗る前後3時間の足取りが掴めていない。
……過労の反動で鬱になり、河月湖に身を投げた可能性も有る。そう話し声が聞こえる。だが、ベテラン刑事の娘は、違うと直感していた。
一通り、最初に駆け付けた警察官に語った後で
「澪?何か気になるの?」
と問うた発見者の母に頷いた澪の、
「……弥陀ヶ原さん」
と呼ぶ声に、刑事は振り向く。
「……これが、亜沙さんが追ってるRセンサーの作用、なんてことは……」
その言葉に、弥陀ヶ原は怪訝な表情を浮かべつつも、
「どう云うことだ?」
と問う。
「……もし、この場所へ来た目的が、プログラミングされた自殺だとすれば……」
その言葉に眉間に皺を寄せたのは、美雪だった。その表情に目を向けた澪は、再度弥陀ヶ原に目を向ける。
「……警察の話し声に、引っ掛かることが有って……」
と言った澪は、一呼吸置いて続けた。
「もし、この被害者が携わっていたMMOが、あの2件だとすれば……」
渦中のVRMMOに触ることができる立場なら、2件のデータ消失事件に何らかの関係が有ったとしても不思議じゃない。突然の契約終了は、ファンタジスタクラウドのデータ消失で、案件のクライアントの目的を達成したから。
……河月へ行く予定は最初から無く、本来の目的地は別の場所。其処で何らかの形でRセンサーに触れ、洗脳された。その中身は、自殺のプログラミング。そして、その通りに実行した……。
これが全て真実だとすると、クライアント……黒幕は流雫が言っていた政府の関連組織……。
自分で言いながら、澪はそれがあまりにもSF映画のような飛躍した話だと自覚していた。だが、明澄を狙った事件も、犯人がRセンサーに操られていたとすれば、有り得ない話でもない。
「その線も無視できないな。当たってみるか」
と弥陀ヶ原は言う。
トーキョーアタック以降、どんなにぶっ飛んだ推理だろうと、可能性を排除できない以上は疑ってみるしかないことを、何度も思い知らされてきた。そして今回も、例外じゃない。
「……澪、それ……」
「流雫なら、どう見るんだろう……?そう思うと、自然に浮かんだの」
と、澪は母に返す。その冷静な表情と眼差しは、しかし美雪にとっては少し残念だった。
……最愛の少年と2人で、遭遇した事件の真相を探っていくうちに、澪は警察一家の娘らしさを色濃くしていく。それはそれで頼もしく見える。しかし、本来こう云う活躍をする必要は無いのだ。
普通の高校生らしくない、生々しく残酷な運命に立ち向かう……立ち向かわなければならない我が子を不憫に思う美雪に、少しだけ微笑んでみせる澪。
……心配要らないわ。誰の娘だと思ってるの?
そう言いたげな表情に半分呆れながらも、美雪は我が子らしさに何処か安心していた。
ペンションに戻った弥陀ヶ原と室堂母娘。澪は流雫にビジターセンターでの話を伝えた。
「……疑われること無く、Rセンサーに触れさせる方法……」
「トラップに上手く誘き寄せる方法……」
と言葉を連ねていくカップル。4人に振る舞った流雫の特製パスタが盛られていた皿を洗いながらで、顔は互いを向いていない。2人で皿洗い……何か夫婦のようだ、と澪は思ったが、口に出した瞬間に直撃弾を食らうのは目に見えていたから、黙っていた。
1分だけ置いて、オッドアイの少年の唇が動いた。
「次の案件、クライアントから指名が有った。面接に行け。そう言って、黒幕がRセンサーをテストしてる場所に呼び出した……」
「其処でテストの内容を軽く体験させると言って、Rセンサーを使って……」
「口封じのために自殺をプログラムした……」
と、澪の言葉に続いた流雫に、夏樹が口を挟む。
「それが本当だとすると、Rセンサーは……」
「当初の目的とは懸け離れた、新たな兵器……人間兵器すら生み出せる……」
そう言った流雫に、澪は
「人間兵器……!?人の命を……何だと思ってるの……!?」
と声を上げる。ダークブラウンの瞳には、怒りが宿っていく。
「……絶対に突き止める……。思惑を潰すんだから……」
とだけ言った少女に、流雫は頷くだけだった。抱える思いは同じだったからだ。
……ノーサブのメインコンテンツはBTB全国大会。BTBで使われるシステムのAIヘリオスも、ガイアをベースとしたもの。2件のVRMMOのようなデータ消失が起きる、だけならマシで、もしRセンサー搭載のプレイバースが使われるとすれば、何が起きるのか全く予想がつかない。
洗脳された連中が発狂と云う形で暴走するのか……。6発の小さな銃弾だけで、果たして澪や夏樹たちを護れるのか……。流雫の不安は尽きない。
しかし、護るしかない。今までそうしてきたように。逃げないのではなく、逃げられない。だから、形振り構わず戦うしか、生き延びる術は無い。ただそれだけのこと。
「……美桜」
とだけ呟く流雫。その名前に澪が反応したのは、自分が呼ばれたと思ったからではない。
流雫のかつての恋人が、2人のカップルにとっての守護女神のように思えて久しい。初めて……唯一、流雫を肯定した同級生。
ブレスレットにキスして戦うのは、最愛の存在を手に感じていられるから。だが、戦禍に身を置く覚悟を求められる時には、今この世界にいない少女の名を呟くことが、2人のクセになっていた。
「美桜さん……」
……あたしと流雫を、護ってください。明日の放課後、少し寄り道して、そう祈りを捧げてこよう。今週末会えない流雫の分まで。澪はそう思った。
「メタバースの件、複雑なことになってるな……」
と、少し低めの声が、澪のスマートフォンから聞こえる。
「詩応さんには、無関係であってほしい……」
と澪が言うと、詩応は
「でも、何か有った時には……アタシも力になる。アンタたちが大事だからね」
と返す。
かつて、詩応が属する教団を標的にしたテロ事件が相次ぎ、このボーイッシュな少女は流雫や澪と手を組んで戦った。そして、一連の事件の黒幕の思惑を、宗教団体を隠れ蓑に日本を乗っ取る計画を潰した。
澪は詩応を慕っているが、詩応は澪に頭が上がらない。そして、その恋人にも。
「ありがと、詩応さん。……何も無いことが、何よりですけど」
と言って安堵の表情を浮かべる澪。
何も無く、全国大会の合間を縫って流雫とのデート、そして詩応も絡めたトライアングルデートを楽しみたい。ただ、その中心にいるのは流雫ではなく澪だが。
その全国大会は、棚牡丹的に手に入れたもの。練習はあれから全くしていないが、全国大会での結果は全く気にしない。それよりも優先したい思いが多過ぎる。
「それはそうだよ。でも、このまま何事も無いとは思えないからね」
そう言った詩応自身が、誰よりも不安を抱えている。
最愛の姉を殺された怒りや悲しみは、全て解決した今では残っていない……と云えばウソだ。吹っ切れていると思いたいが、そう簡単なものではないことを、事有る毎に思い知らされている。
その感情を、これ以上抱かないためにも、アタシは澪と流雫の力になる。無論、自分の死で2人に抱かせたりもしない。そう思うことが、伏見詩応の原動力だった。
少しだけBTBの練習をした後で、アムワックのプログラミングに手を付ける夏樹は、ふとスマートフォンを見つめる。ホーム画面を飾る写真は、流雫や澪と逢ったイベントのオープニング前に、明澄と2人で撮られたものだ。彼女はこの事を知っていて、軽く呆れているが。
「明澄を殺されかけて、黙ってられない」
と自分で言った言葉を思い出す。そして別れる直前、流雫が言った
「僕は2人を応援するよ」
の言葉も。
……美桜との時は、学校中が敵だった。澪との時は、とにかく彼女に縋りたかった。何より、味方が誰もいなかった。その流雫の言葉は、平穏な片想いを抱く夏樹への羨ましさを含んでいた。夏樹はそれに気付かなかったが、流雫にとっては寧ろそれが本望だった。
「敵わないな……流雫くんには」
と呟いた夏樹は、タブレットPCの電源を落とし、ベッドに寝そべった。
……二度とゲームに誘わないから力を貸してほしい、と言った夏樹は、流雫からゲームしようと云う言葉を引き出させた。だが、それは流雫が執拗な誘いに屈したからではなく、それだけの覚悟を見せた夏樹への覚悟の見せ返しだった。そのことに、夏樹は気付いている。
……最早、一緒にゲームすることはどうでもよくなってきた。ただ一緒に戦い、生き延びる。そして、ゲームを軸にしなくても、生涯付き合っていられるだけの関係になる。彼となら、それができる。そう期待していたかった。