LTR AIS 1-3「Connect to Arcadia」
今日から2週間、流雫と澪は一緒の学校に通う。遊びではないことは流雫も判っているが、澪と一緒だから楽しく思える。黒いセーラー服に身を包む少女も、微笑みを禁じ得ない。
澪と同級生の2人を除いて、誰もが流雫には無関心だった。否、それどころか疎ましく思っている。別に持て囃してほしいとは思わないが、その原因を2人は判っている。
昼休み。流雫が用意したサンドイッチを平らげる澪に、同級生2人が近寄る。
ライトブラウンのショートヘアの少女、立山結奈。そして黒い三つ編みロングの眼鏡少女、黒部彩花。入学当初から澪と流雫のことは澪から聞いているし、デート中に偶然遭遇した程度だが会ったことすら有る。
「流雫くんが毎日一緒なら、毎日通学デートだね」
「まさか、今から新婚生活シミュレーション?」
と続く2人に澪は頬を真っ赤にした。
自分から流雫の恋人だと自慢するのは平気だが、第三者から言われると撃沈する。結奈と彩花はその常習犯だが、毎回撃沈する澪も澪だ。だが、その光景は流雫にとっては微笑ましく見える。
その様子を、廊下から見る2人の男女。流雫はその視線に気付いた。
……昨日、渋谷の慰霊碑の前ですれ違った。その時も今も、紅色の険しい眼差しで見つめている。そして、昨夜スマートフォンで見た画像と、よく似ている。
「……誰?」
と問うた流雫に答えたのは彩花だった。
「室町愛理明。今の生徒会長よ。その隣が、書記の麻布有人。常に一緒にいるわ」
「流雫を一目見たかったんじゃない?」
と澪は続く。流雫は少し引っ掛かるが、そうだと思うことにした。
教室1つ分隔てても目立つオッドアイに、少女は釘付けになった。無意識に
「……誰?」
と隣の少年に問うと、すぐに答えが返ってくる。
「下の名前は判りませんが、名字は宇奈月とか。前話に上がっていた、山梨の学校との交換留学で来たようですね」
「それが、あの室堂と一緒……?」
「一昨日もそうでしたね。恐らく、そう云う関係では」
と少年は言う。
どうやって知り合ったのか疑問だが、何より澪は或る意味問題児だ。つまり、あの招かれざる高校生も問題児と見て間違い無い。それに、あの目立つオッドアイは見覚えが有る。
「……破壊の象徴……」
と少女は呟いた。警戒するに越したことは無い。
放課後。結奈と彩花は秋葉原に寄り道するらしく、2人とは学校で別れた。折角の通学デート、初日ぐらいは2人きりにさせたいと云う理由だったが。
最寄り駅までの道を歩く2人。……流雫にとっては、あの2人がいないのは或る意味好都合だった。
「アリア……」
そう呟く流雫に、澪は首を傾げる。
「昨日、アルスが言ってたんだ。新たな教団の象徴がアリアだと」
……昨夜、流雫は澪がバスタブに浸かっている間にアルスと通話していた。アリスとの話で聞いたUPのことを、流雫に話したのだ。当然、アリアの話題も出てきた。
「アバターの画像が送られてきて、それが室町さんに似てる気がして」
と言い、流雫はスマートフォンを見せる。
……愛理明が聖女のコスプレをした、そうとしか思えないようなアバターだった。尤も、写真ではなく美麗な3DCGだったが。
「偶然とは思えないんだ。名前も外見も同じだし」
「じゃあ、あの人がアリアの正体だと……?」
「アルスは、AIが生んだと言ってる。ただ、澪の言葉通りだとしても不思議じゃない」
と流雫は言った。偶然、その2文字で全てが片付くほど、この世界は甘くない。
「2つの世界を結ぶ方舟を浮上させる、その管理者」
と流雫は言った。
アドミニストレータ・フォア・ライジング・インターバース・アーク。その頭文字を合わせたのがARIA。キャプテンではないのは、語呂の関係とメタバースらしさを出すためだろう。
「方舟……。自分をノアだと思ってるのかな?」
と言った澪に、流雫は言った。
「ノアと云うよりは、アルカバースに降臨したメサイアか……」
仮にアリアの正体が愛理明だとしても、何も変わらない。そもそも接点が無いのだ。アルスが言ったように、僕と澪に被害が及ばないなら、それでいい。
そう思っていた2人に近寄る、ブラウンのロングヘアを揺らす少女。ブレザーの制服は、それだけで別の学校だと判る。
「澪!」
と名を呼びながら近寄る少女は、その隣に珍しい少年を見た。
「流雫くんも一緒?」
「今日から、少しの間だけ……」
と澪は答えた。
天王洲悠陽。それぞれの学校の最寄り駅が同じと云う接点から、彼女とは時々出会す。そして澪を軸に、流雫のことを少しばかり知っている。
何か思い立った流雫は、澪と無意識に目を合わせる。まるでテレパシーでリンクしているかのように。
「悠陽さん、教えてほしいことが」
と口を開いたのは澪だった。悠陽は澪を慕っている、だから澪からの頼みなら断らない、と思っていた。
駅前のドーナッツ屋に入った3人は、端のテーブル席に陣取る。
「……UPのこと……何か知ってます?」
と話題を切り出した澪に、悠陽は答えた。
「多少は知ってるわよ」
悠陽は情報科の生徒で、特にAIについて強い。アルカバースについての知識も有る。
「……まあ、実際にアルカバースを始めた方が早いわよ」
と、悠陽は説明の最後に言った。澪は
「少しだけなら、してみよう、かな……」
と、少し不安げな表情で言った。
流雫はVRデバイスを持っていないが、澪は持っている。母親がSNSのフォローキャンペーンで引き当てたものだが、逆にそうでもなければ手にすることは無かった。ただ、時々猫のVRコンテンツで遊んでいる程度だ。
初めてのVRメタバース。不安になるのは仕方ない。
「UPだけは気を付けないとダメよ」
と悠陽は言った。
「アリアと云う存在は、人を虜にするの。一言で云えばカリスマ、いやそれ以上よ」
その言葉に澪は
「……アリア信仰に陥らないようにしないと……」
と呟く。既にアリアを敵視しているのは、触れてはいけないものと思っているからだ。触れればどうなるのか判らない以上、警戒せざるを得ない。
「澪なら、問題無いとは思うけどね」
と悠陽は言った。
その隣で流雫は、愛理明のことが引っ掛かっていた。
……自分のオッドアイを、不気味がるどころか敵意を持って見ていた。それは、太陽騎士団を少なからず知る者特有の行為だった。
太陽騎士団が崇めるのは創世の女神ソレイエドール。それに仕えながらも悪魔に陵辱された炎の戦女神ルージェエールを、血の旅団が崇拝する。そして、それが産み落としたのが破壊の女神テネイベール。経典上では、最終的にはソレイエドールを護るために絶命する。
この女神の目は流雫と同じオッドアイ。当然ながら、流雫の正体が転生した女神などではなく、単なる偶然に過ぎないのだが。しかし、一度は警戒される。
そして、自分と一緒である時点で澪も同列に思われているだろう。それが流雫にとっては、何よりも屈辱だった。
夜。宿題を終えた澪は白いVRデバイスを装着した。本体とコントローラ2個で1セットだ。
アルカバースのダウンロードは宿題前に始めていたが、どうにか終わっていた。デバイスを装着した澪は会員登録を済ませ、アバターを作成し、チュートリアルに進む。
コントローラでアバターの動作を制御し、コミュニケーションは音声入力ベース。直接音声で遣り取りするトークと、文字起こしによるテキストで遣り取りするトランスクリプションから選べる。
エコシステムを確立したメタバースだから、ゲーミンググリッドにさえ行かなければVRMMOのような激しい動きは無く、VR酔いも起きにくいだろう。澪はそう思っている。
新たなグリッド上に降り立ったのは、碧を基調としたサイバースタイルのアバターだった。名前はミスティ。スマートフォン向けMMOでもそうだが、澪はミスティと云う名が好きなようだ。
「コネクト」
と言う澪。その音声コマンドで、画面はブラックアウトする。その数秒後、澪……ミスティの視界には、近未来風の都会の風景が広がっている。それが、MMOでのロビーやギルドが集まるパブに似た役目を果たすシティグリッド。そのグラフィックに
「綺麗……」
とミスティは呟く。
その隣で流雫は、ノートをテーブルに開き、ミリペンを置いた。澪がプレイ中に呟いたことを書くのだ。それが、流雫がアルカバースに触れる唯一の方法だった。
視覚と聴覚をVRデバイスに支配されている澪は、流雫の声を聞き取るために音量を極力下げた。少しだけ聞こえるようになった程度だが、それでもマシだ。
アルカバースは、エコノミー、エデュケーション、トリップ、カルチャー、ゲーミングのグリッドが、シティグリッドを中心に放射状に配置されている。一部入れない区画も有るが、今後実装されるだろう。
それぞれのグリッドには、シティグリッドからホバーシャトルと云う専用の乗り物を使って移動する。と云っても、その外見は手摺が付いた空飛ぶ円盤だが。
澪は早速、ミスティを走らせることにした。何処に行く、と決めてもいない。今はアルカバースに触れることが重要だからだ。
その間に、流雫はタブレットでSNSを開く。UP関連の投稿が無いか気になった。
……アリアへの信仰や帰依を誓う投稿の多さに、流雫が怪訝な表情を浮かべたのは、3分後のことだった。
「気付けば虜になっていた……」
と流雫は呟く。……それだけの求心力の持ち主なのか、と思う。だから聖女でいられるのだろうが。
「何故、一目惚れ状態に……」
流雫はその原因が気になりながら、引っ掛かる投稿をまとめていく。
澪は既にアバターの動かし方をマスターしているようで、ミスティは軽快な動きを見せる。ただ、一つ疑問が生まれる。UPの面影が無いのだ。宗教だからカルチャーグリッドだと思っているが、見当たらない。
ミスティをシティグリッドに戻らせ、一旦VRデバイスを外した澪は、或ることを思いついた。
「サポート、頼むわね」
と流雫に言い、イヤフォンマイクに手を伸ばす。そしてスマートフォンに接続し、流雫と通話状態にした。これなら、常に流雫と話しながら探索できる。邪道だと判っているが、あくまでも遊ぶ目的でプレイしているワケではないのだ。
「省電力モード、と」
と澪は呟きながら、本体の設定を変える。アルカバースはグラフィックやサウンドに強い反面、VRデバイスに高負荷を掛け続ける。バッテリーの消費も激しい。
USBケーブルを接続したまま使うのは鬱陶しいから、バッテリーを長持ちさせつつ使える範囲内で、と澪は思っていた。
画面の輝度とビットレートは最低になり、グラフィックが少し粗くなる。それでも、最低限のプレイには耐えうる。
「……UPの面影が強いの、ゲーミンググリッドだったりして」
と流雫は言った。
……先刻の投稿をまとめると、UPに好意的な投稿はゲーミンググリッドでVRMMOをプレイするユーザに偏っていることが判る。
ログインしてすぐ、ゲーミンググリッドに向かい、VRMMOで遊ぶと云うルーティンが有るなら、他のグリッドでUPに触れた可能性は低い。
「……行ってみるわ」
と澪は言い、ミスティをホバーシャトルに乗せた。
荘厳な城のようなオブジェクトが目立つゲーミンググリッド。複数のゲームが同時に提供されているが、澪はVRMMOに目を留める。
「エターナル・フェイス……」
と、そのタイトルを呟く。
久遠の信仰を意味するそれは、王道ファンタジーテイストのゲームだった。とは云え、シナリオ上明確なゴールが設定されているワケではなく、ギルドとクエストを中心にコミュニティスペースの役割を果たしている。
EFと略されるが、そのストレートなネーミングに、澪は思わず
「……判りやすいわね」
と言った。しかし、足を踏み入れないワケにはいかない。澪はコントローラを握り直した。
EF専用の設定を決めるのだが、ミスティはアバターのコスチュームを僅かにファンタジー寄りにしただけだ。あくまでも世界観に合わせる必要が有ったからだが、それ以外は何も変えなくてよい。
パブのようなギルドに飛ばされたミスティは、他のユーザから話し掛けられるより早く、街へと出て行く。
信仰、その中心は教会。もし何処かに有るのなら、入ってみる必要が有る。マスターの意志と操作通りに、大きな街を走り回るミスティ。その間も澪は街の様子を細かく呟き、流雫はその言葉をフランス語で正確に書き写す。速記力が問われる中、流雫にとっては祖国の言語が最も走り書きに適している。
広大なマップの端に、小さな十字架を飾った建物が見える。
「パブから80度に7分、小さな教会が有るわ」
と澪は言い、ミスティを進める。
漆黒の一面に、白いドットが不規則に流れるだけの不思議な空間。その中心に、白い光の環が浮かんでいる。ミスティがそれに近寄ると、声が聞こえた。
「……私はこの世界の創造主。そして、人々の救世主となる存在」
その言葉をリピートする澪。
ミスティを介して聞こえてくる声に、澪は聞き覚えが有った。そして、白い粒子を纏いながら環の中心に浮かび上がるアバター。それは、夕方流雫が見せてきた画像と全く同じだった。白き聖女アリア。
「……愛理明……さん……?」
その呟きに、流雫は眉間に皺を寄せる。それと同時に、アバターの画像を思い出す。
「……澪とアリアが出逢った……?」
と呟く流雫に、澪は言葉を重ねていく。
「戦争や混沌と無縁の理想郷、アルカディア。その理念は未知の預言を通じて、現実世界に浸透しなければならない。私の言葉に耳を傾けた賢者だけが、未来の勝利を得られる」
「私は断言する。汝とはまたこの場所で会う。今日と同様、汝からこの場所に訪れ、私の声に耳を傾ける」
「賢者ミスティ、また会おう」
その言葉を残して、アリアは消える。
澪は誰もいない不思議な空間から、ログアウトを選択した。
VRデバイスを外した少女を
「姉様」
と呼ぶ、ショートヘアの少女。愛理明に劣らず美しい顔立ちだ。
「……室堂澪……何が目的なの?」
と愛理明は呟く。少女は
「室堂……人を撃った、あの室堂のこと?」
と問う。
……今の学校で、銃を撃ったことが有るのは他にいない。しかし、澪も撃ちたかったワケではない。護身のために、そうせざるを得なかったたけだ。
ただ、経緯はどうでもいい。銃を撃ったと云う事実だけが必要なのだ。
「そうよ。……ミスティと云う名前で、私に接触してきたわ」
と愛理明は言った。
ミスティが教会を見つけたのは偶然だったとしても、グリッドでの接触でも微動だにしなかった。アリアの発言をリピートしていたが、しかし気が傾いている気配は微塵も無い。まるで、何かを探っているような感じがする。
宇奈月と云う少年が入れ知恵しているのか、と思える。しかし、彼にそれほどの学が有るとは思わない。何故あの見た目なのか、何故澪と一緒なのか、何もかもが判らない未知数な男だ。だが、賢者ではなく愚者なのは間違いない。
愚者は何をするか判らない。警戒する必要が有る。マイナス同士を掛け合わせればプラスになるが、愚者同士を掛け合わせてもマイナスにしかならない、それが世の常だ。
「……姉様」
と言った少女に、愛理明は
「あの2人には警戒しなさい、希明」
と言う。希明、と言われた少女は
「……はい」
と従うしかなかった。
希明が部屋を出ると、愛理明は深呼吸する。PCを落とす前に、一つだけニュースに目を通す。
「テックスタートの提携先交渉、白紙に」
その見出しに、愛理明は口角を上げた。
「……凄く不思議な感覚……」
と言いながら、ボブカットの少女はVRデバイスを充電する。その間も、教会に入った時から感じていた違和感を思い出していた。
「……教会の背景のドットの流れが、少し気になったの。それが何なのかは判らないけど。それより、アリアが現れる直前から、一瞬だけ何か……赤い映像が紛れてたの。処理落ちしてたから、何かの演出描画が乱れたのかな……?」
と澪は言う。
省電力モードで低下したVRデバイスの処理能力では、アルカバースのサーバから送られてくる情報を正確に処理できなかった。それがこの原因だろう。だが、それ以上に疑問が有る。その赤い映像が何だったのか、だ。
「赤……?」
と問う流雫に、澪は
「赤に黒っぽくて、それが何を象っていたのかは判らないわ。だけど、それが気になって……」
と答える。ただ、流雫はその理由に何となくながら気付いている。
……裏付けは翌朝の方がいい。流雫には、8時間の時差と日本語が通じないことを除けば最強の、チート級の知識の持ち主がいる。その名前はアルス。彼にとっては簡単なキーワードのハズだ。
明日に備えて寝ようとする澪が、部屋の照明を消す直前、流雫はノートの端に走り書きした。それはフランス語でこう読めた。
サブリミナル。