2-2「Escape From Riot」

 九州第二の都市、北九州。かつては重工業で栄えたが、今はハイテク企業の誘致に躍起だ。しかし、街の衰退に歯止めが掛からない問題を抱えている。何より、日本有数の危険な街と言われて久しく、それが足枷になっている。
 その中心部、小倉の地を踏む詩応の足取りは僅かに重い。日本海に面した立地故に風が強く、肌寒さが増しているのだ。
 駅近くの高層ホテルが、今日の集会の会場だった。しかも、伏見家が登壇することになっている。だが、やはり詩応には無関係だった。
 そのホテルのすぐ近くに建つ九州総合展示場では、何やらサブカルイベントをやっているらしい。ポップカルチャーサミット、通称ポプサミ。詩応はサブカルに特に興味は無いが、話のネタと暇潰しにはなりそうだと思った。尤も、澪が一緒なら1日中楽しめるのだが。
 入場は無料で自由だった。会場内はステージとブースが密集している。アルカバースも、EFのようにゲーミンググリッドを構えている都合上、サブカル関連ブースとして出展していた。
 赤いパーカーを着る詩応はアルカバース以外眼中に無く、展示場奥側のブースに向かう。
「あれ?詩応さん」
と、ショートヘアのボーイッシュな少女を呼び止めたのは、逢沙だった。澪や悠陽を接点に知り合った仲だ。グレーのスーツを着こなしている。
「わざわざ福岡に?」
「取材だもの」
と、首元のクレデンシャルパスを指しながら、詩応の問いに答える逢沙。
 アルカバースだけでなく、他のVRメタバースやVRMMOも出展しているだけに、取材のネタには困らない。尤も、昨日の初日の時点で大半の取材は終わっているが。
「尤も、アルカバースは取材拒否だけど」
と逢沙は言った。あの記事に対する報復と読んでいるが、逆に記事が間違っていない証左だと自信を持っている。
 「澪さんが指摘していたサブリミナル映像が、引き金かしら」
「澪はその辺りが鋭いので」
と詩応は答える。
「とは云え、このイベントで何かが判ったりするワケでもないし、来た以上は楽しんで帰らないと。私はそれどころじゃないけど」
と逢沙は言ったが、経費でイベントを見て回れるのだから、悪いことではない。
 折角再会したのだからと、2人はケータリングが混雑する前に軽食にした。一度外に出て、キッチンカーでホットドッグとフライドポテトを手に入れると、近くのベンチに座る。逢沙の奢りだ。
 「アルカバースがVRメタバースの全てじゃないけど、既にデファクトスタンダードだし、注目度は高いわ」
と逢沙は言いながら、フライドポテトを口に運ぶ。確かに、このイベント
「VRとAIを足掛かりに、日本は再び経済大国に返り咲く。この2つは政府も注目してるからね」
「政府も、ですか?」
「寧ろ政府が注目してるわ」
と逢沙は言い、紙製の容器を空にすると自分のスマートフォンのボイスレコーダーアプリを起動させる。
「澪さんにも聞かせたいからね」
と言った女記者は話し始める。

 国からの支援によって複数の国産メタバースが生まれたものの、マネタイズに唯一成功したのがアルカバースだった。VRの没入感とAIを駆使した止まらない変化を武器に、差別化を図ったのが功を奏した。
 そしてグループMによる事実上の買収も、裏では国がグループMに買収資金の援助を施していた。言い方を変えれば、あの買収は国が主導したものだった。
 ARIAの立ち位置は、国の関与をカモフラージュするための謂わば隠れ蓑の可能性が高い。
 ARIAを象徴、聖女とするUPがアルカバースを統治する、それ自体に間違いは無い。ただ秩序から宗教の匂いが漂う程度。
 だが、隠れ蓑としてアリアが前面に出ることで、アリアと云う生ける偶像への崇拝が強まる。誰もがアリアに盲目的になることで、実態を隠すことができる。
 室町愛理明は、グループMの令嬢として聖女を演じていても不思議じゃない。国にとっての利益、それが一家の利益に帰結するのだから。そこに彼女自身の意志の居場所は無い。
 アリアはARIAのため、そして国のためのマリオネット。

 この話は流雫や澪の方が断然詳しい。詩応はそう思いながら、逢沙の話に耳を傾ける。
「愛理明は澪さんと同学年らしいけど、高校生が背負うものじゃないわ。あまりにも大きく重過ぎるわよ」
社会人の言葉が、詩応に突き刺さる。
 ……本音を言えば、詩応は逢沙が少しばかり苦手だった。姉、伏見詩愛の面影が脳を過るからだ。
 生きていれば、逢沙と同い年だった。そして、言葉の節々で感じられる強かさが、一層詩応を揺さぶる。
 ただ、彼女は敵ではない。寧ろ味方だ。未だに姉の死に向き合えない、その自分の弱さに囚われている場合じゃない。
「……私は中に戻るわよ?」
と逢沙は言う。我に返った詩応は、それに続くことにした。
 一緒に中に戻ったが、アルカバースは相変わらず盛況だった。その手前で、2人は別れることにした。しかし、サブカルの祭典に地獄のゲートが開いた。

 人気アニメキャラのラッピングを施した白い痛車が、突然展示場のガラス窓に突き破り、ホワイエとホールを隔てる壁に衝突して止まった。それが会場の奥からでも見える。
「な!?」
目を見開く詩応の隣で逢沙は
「何事!?」
と声を上げた。
 警備員が3人、スマートフォンを構えるヤジ馬を押し退けドアを開けるが、大口径銃故の大きな銃声が3回響いたと同時に斃れる。赤いジャンパーを着た男が車を降りると、そのエンジンルームから火が上がり、瞬く間にラッピングを焦がしながら車全体を包む。
 男は殺意を剥き出しにした目で周囲を睨み、残る5発の銃弾を周囲に向けて乱射した。
「こらぁ!!」
と罵声を上げたヤジ馬が銃を取り出し、男に向けて撃つ。それが文字通り引き金となり、数人がそれに続く。男は文字通り蜂の巣になり、その場に斃れた。
「ざまぁまろ!!」
と、ダウンジャケットの大学生らしき男が勝ち鬨を上げ、銃を頭上に掲げる。その様子は音でしか判らないが、詩応は
「最悪……」
と呟く。
 ……澪が目の当たりにすれば、完全にキレる。護身のための銃でヒーロー気取りは、刑事の娘にとって最大級の地雷だった。そうなると、詩応どころか流雫にさえ止められない。そして叫ぶだろう、
「これはデスゲームじゃない!」
と。
 それほどの光景を前に、詩応は苛立ちを見せる。その視界には、イベントに水を差された怒りに駆られる集団も含まれていた。
 ステージエリアでは、人気声優のトークイベントが始まったばかりで超満員だった。そして出展エリアも多く、最も混雑する時間だ。
 耳を突き刺す火災警報と同時に、車が爆発して周囲に燃え移る。非常口に来場客が殺到する。しかしドアが開かない。数人が怒号を上げ、今度はドアを破壊しようとする。しかし歯が立たない。
 会場の入口は、既に炎の壁が立ちはだかる。事実上逃げ場は無い。
「どうする……」
と詩応は呟き、無意識に唇を噛む。だが、既に覚悟を決めていた。
 ステージの周辺に置かれた大道具に引火し、炎は更に大きくなる。スプリンクラーも歯が立たない。イチかバチか炎に飛び込み、ホワイエに出るしかない……。そう思った集団が、我先にと炎に向かって飛び込んでいく。
「行かないと」
と逢沙が言い、詩応は頷く。その手には中口径の銃が握られている。
 流雫や澪のそれよりは威力が大きい。その分反動も大きいが、後遺症が残る手でも辛うじて制御できる。
 逢沙が小口径の銃を手にしたと同時に、ホワイエから
「殺す気か!!」
と誰かの怒鳴り声が響き、銃声がそれに続く。
 起きているのは、想像しうる限り最悪の事態。しかし、その渦中に飛び入るしか術は無い。
「逢沙さん!」
詩応は言い、女記者の手を引き炎へと向かう。服に引火しなかったのは幸いだった。
 群集がホワイエと会場の外で暴れている。キッチンカーまで標的になり、数台が炎に包まれていた。
 痛車の事故から始まった暴動、そこに意義は無い。ただイベントを台無しにされたことへの怒りを起爆剤に、そして非常口が開かないことへの怒りを燃料に、来場客が暴徒と化していた。
 2人は逃げ場を探す。しかし、隣接するビルのエントランスは防火シャッターで閉鎖されていた。平面は平面で、並んだケータリングや物販のテントが薙ぎ倒され、火が回っている。
「くっ……」
詩応は周囲を見回す。逃げられそうな場所を探すが、どこにも無い。
 暴徒は見境無く暴れ回る。消防が先に駆け付けるが、消防車に向かって発砲し消火活動を妨害し始めた。その調子で警察と遣り合うことになるのは明白だった。
 とある男の銃口が詩応に向く。詩応は咄嗟に銃を構え、後遺症で震える腕で引き金を引いた。男の黒いダウンジャケットに血が滲み、その主が顔を歪める。
「殺せ!」
と誰かが叫んだのを合図に、複数の銃口が一斉に2人に向き、不規則に火薬が爆発する。
「こっち!」
と詩応は逢沙の手を引き、反対側を目指した。ステージ用機材が積まれた中型トラックが2台並んでいるが、コンクリートの地面と車のボトムの間はどうにか通れる。本来は御法度の危険行為だが、逃げるならそれしか無い。
 「逢沙さん!行って!」
と詩応は声を上げ、逢沙の後ろにつく。
「アタシにはソレイエドールがいる」
と言い、銃を強く握る。
 ……詩愛が渋谷で斃れた時、名古屋にいた詩応には姉を助けることはできなかった。その姉の面影が見える逢沙を、何が何でも護る。そう思っていた。
 逢沙は前を、詩応は後ろを向いて下に潜る。大人5人分だけの長さだが、油断は禁物。何時でも撃てるようにしたまま、文字通り地面を這う。
「逃がすか!」
1人が俯せになり、銃口を詩応に向ける。詩応は咄嗟に引き金を引いた。
 2発の銃弾は、的確に男の肩に刺さる。その間に逢沙が逃げ切り、詩応もそれに続こうとする。だが、隣の車の下に潜った男が、生意気なボーイッシュの少女を狙った。
「ぐぅぅっ……!!」
詩応の顔が歪む。右肩に激痛が走る。だが、数メートル先の男も同じだった。
 詩応が放った3発の銃弾は、男の肩と腕に突き刺さる。詩応は銃弾を使い果たしたが、トラックの下からの脅威は無くなった。
「詩応さん!」
と逢沙は声を上げ、詩応の足首を掴み引き摺り出す。その肩が血で汚れているのを目にし、顔を引き攣らせる逢沙の前で、詩応は一度転がって起き上がる。
「無事か……」
「詩応さんは無事じゃない……!」
と言った逢沙の声は、焦燥感に支配されている。
 ただ、肩を撃たれただけだ。痛いし息が切れるものの意識は有るし、遠退く気配も無い。首を切られ、死ぬ覚悟をする間すら無く気を失った時に比べれば、まだマシだ。詩応はそう思っていた。
 そのトラックに火が放たれる。軽油はガソリンと違い爆発こそしないが、危険なのは同じだ。2人はその場から離れる。
 反対側……会場の入口が有る方には特殊部隊が駆け付けたが、暴徒は警察車両にも銃を向ける。そして詩応がいる側にも、暴徒が走り寄ってくる。最早ただ暴れ、破壊の限りを尽くしたいだけだ。
 「止まりなさい!!」
と逢沙は叫ぶ。しかし、数人の男は嗤いながら近寄ってくる。そして標的に銃を向け、高圧的な目付きで睨んだ。
「逢沙さん……!」
詩応の声より早く、女記者は反射的に銃を構える。ゲームしか出来ない女じゃないが、そもそもこれはゲームじゃない。
 逢沙の銃身から薬莢が飛び出し、真ん中にいた1人の男の顔が歪む。本当に撃ってきたことに対する困惑に、男たちの手が一瞬止まった。それが怒りと殺意に変換されると同時に、銃弾が肉体に刺さり、激痛が走る。
 6発の銃弾はすぐに使い果たした。それと同時に特殊部隊が回ってくる。男たちは逢沙に撃たれながらも抵抗を試みたが、呆気なく身柄を拘束される。
「助かった……」
と詩応は言うと、小さく溜め息をつく。不意に意識が遠退いた。

 暴動が収束したのは、発生から3時間後のことだった。銃弾の摘出手術が終わった詩応は、麻酔の影響で眠っている。彼女の病室に入れない逢沙は、病院からも見える展示場へと足を進めた。記者として気になる事が有る。
 戦場と形容するのが最も適切、それほどの惨状だった。進入禁止のロープが張られた広場には焼け焦げた車やテントの残骸が散乱し、建屋からは煙が上がっている。鎮火宣言は出ていないようだ。
 逢沙は首元の取材パスを見せ付けながら、規制線の手前から現場の様子を撮る。イベントは前代未聞の形で打ち切られたが、レポートを書かなくてよいワケではない。事件も含めてイベントだからだ。
 痛車の突撃でイベントを台無しにされた、それが暴動の引き金なのは判る。だが、突撃の動機は何なのか。それはこれから明らかになってくるだろう。そして、これが仮にアルカバースやUP絡みなら、一連の事件は益々複雑で厄介なものになっていく。
「……世も末だわ」
と逢沙は毒突いた。

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