LTRA3-4「Unexpected Consensus」

 小さめの声で繰り広げられたフランス語のラリーは、店内の雑踏に容易く掻き消される。しかし、流雫とアルスにとっては好都合だった。
「前聖女の……」
と流雫は言う。アデルに関しては夜中、アルスから一通り教わっていた。
 「資質を理由とした失脚は前代未聞だ。本人にとっても最大の汚点だろう。だが、総司祭の過干渉がそうさせた。アデルもその意味では被害者だ」
一度は聖女に選ばれたのだから、やはりその点は評価されるべきだ。だからこそ、聖女をモノ扱いした総司祭は間違っていた、とアルスは思っている。
「そして、よりによってクローンに聖女の座を奪われた……」
「養子とは云え、マルグリットはマルティネス家の姓を名乗る。それが次の聖女に選ばれれば、再び総司祭一家の座を手に入れることができる」
と言ったアルスに、流雫は言葉を被せる。
「でも総司祭は……」
 「アデルは聖女に返り咲くことはできない。しかし、マルグリットが聖女になることで、手に入れられる地位が有る」
その言葉で、彼が何を言いたいか瞬時に判った流雫は、答えを口にする。
「……元聖女が総司祭……」
「そうだ。聖女経験者が総司祭に即位するのも前代未聞だ。何しろ、総司祭は過去男だけだったからな。それだけでも快挙になる。そして、アデル本人の名誉も取り戻せる」
「……ミヤキの殺害を画策したのはアデルだとして……」
「東部教会とパイプを持つ何者かが間に入り、実行犯に直接指示を出した。それなりの地位を有するか、地位は無くても特別な関わりを持つか……」
とアルスは言い、フィッシュバーガーの包み紙を丸めた。
 ……あくまでも、アデルが次期総司祭は自分だと思っていて、マルグリットの戸籍が変わらない前提だ。しかし、マルグリットが養子を解消すれば、次期総司祭の座はヴァイスヴォルフが射止めることになる。 
 選ぶのは兄か、戸籍上の妹か……。
「……どっちに転んだところで、何も無く終わるワケが……」
と流雫は呟く。その瞬間、アルスのスマートフォンにメッセージが届いた。
 それに目を通す2人は、同時に眉間に皺を寄せ、そして頷いた。

 アリシアからのメッセージは一言だけだった。
「聖女交代は無し」
2人は、少しだけ残っていたフライドポテトを一息に頬張ると、飲みかけのコーラを手に新宿駅前の喧噪に紛れる。店の前で端末を耳に当て、通話時間のカウントが始まると同時に
「アリスは聖女のままなのか!?」
と驚き気味の声を出す。メッセージが予想外だった証左だ。
「本部の上級司祭が、そう発表したわ」
「カトリックでの枢機卿クラス……教団の総意としてか」
とアルスは言った。
 聖女を認めるのは、本部にいる8人の上級司祭の役目。それ以外の政治的な事柄は、全て8人と総司祭で決められる。そして、失脚の是非を巡っては満場一致で否決された。
 総意、それは公式に認められたと云うこと。当然、買収しただの何だのと疑惑が持ち上がるだろう。納得しない結果は、大体陰謀論で括られがちだからだ。
 「ヴァイスヴォルフが総司祭になることは無い」
「そうよ。不服だとしても、決定には逆らえないわ」
とアリシアは言う。
 当然ながら、8人の司祭は決定的な証拠を掴んでいるだろう。その上で失脚は無いと決めたのなら、覆す術は無い。
「……アデルが総司祭に返り咲く可能性も、杞憂に終わったか」
と言ったアルスは安堵の溜め息をつく。しかし、その言葉が引っ掛かるアリシアは問う。
「アデルが……?」
「ああ。ただの妄想に過ぎないが……」
とアルスは言うが、アリシアは恋人の言葉を妄想だとは思っていなかった。今までが今までだからだ。
 「……外れていればいいけど」
とアリシアは言った。それと同時に、店を出た澪と詩応が近寄ってくる。他愛ない話で盛り上がっていたが、流雫とアルスが外に出て行ったのは見えていた。
「何か有ったのかい?」
と問う詩応に、通話を切ったアルスは
「アリシアからだ。聖女は交代しない。教団の総意だ」
と答える。流石に驚く詩応の隣で澪は
「これで全て終わってほしいけど……」
と言った。そう云うワケにはいかないことぐらい、判っているのだが。
 「流雫はどう思ってるんだい?」
と問う詩応に、フランス人2人の遣り取りが聞こえていた流雫は
「……2人が狙われる……」
と答えた。
 聖女が失脚を免れた以上、その座から引きずり下ろすために最も手っ取り早いのは、アリスを消すこと。そして、そのオリジナルのプリィも。オリジナルにアリスに成り済まされては不都合だからだ。今は事実上保護されている状態だが、油断禁物だ。
「だから……これは僕が持ち続ける」
と言って、流雫はプリィのネックレスを鞄から取り出す。
 プリィが持っていないことは、既にバレているだろう。だが一方で、今でも撹乱に使える可能性は残っている。
「あたしも、流雫の思いと同じだから」
と澪は言った。それに呼応するかのように、詩応は頷く。その様子を見ながら、アルスはアリシアにメッセージを入れる。
「日本は心配無い」
 それと同時に、流雫と澪のスマートフォンが鳴る。その主はニュース速報だった。
「日本のクローン問題に対して、関係機関が見解を発表」
クローンの関係機関が……?澪は詩応と、流雫はアルスと読むことにした。
 
 小城が三養基と完全なヒトクローンの研究を進め、フランスで男女1体ずつ生成に成功したのは事実。
 その上で、日本ではそのノウハウを活用することにより、100パーセント適合する臓器の生成で臓器移植のドナー不足をカバーすることに焦点を当てて研究を続けている。
 一方で、小城はクローンがフランス発の教団を統べる存在になることは想定していなかった。三養基はその意図が有ったが、小城が知ったのは彼女の死後のことだ。
 あの事件で見られるように、クローンは倫理的にも問題を孕む禁断の存在で、ヒトクローンにおいては慎重に慎重を重ねた在り方の研究が、引き続き求められる。

 小城の署名入りの文書をAI翻訳で読んだアルスは、思わず鼻で笑った。
「アリスが聖女になった原因はミヤキ、俺は生成しただけだから無実……とでも言いたげだ」
しかし、アルスは小城のような性格を見ると1発殴りたい衝動に駆られる。ただ、周囲に与えた影響を鑑みれば、1発では済まないだろう。
「でも、もしオギが一連の事件の何らかに関与しているとすれば……」
と言った詩応の隣で、流雫は何も言わない。
「流雫?」
と詩応が名を呼ぶが、流雫は
「少し、1人になりたい」
と言って、その場を離れる。
「……ルナなりに整理したいんだな」
とアルスは言った。
 幼馴染みが渦中の人物、そして恋人まで危うく殺されるところだった。思うことを整理するのに、1人きりになりたい時だって有る。
 それは判っている。ただ、もう一度立ち上がる時、隣にいるべきはあたし……。そう思う澪の背を、詩応が優しく叩く。ボブカットの少女は頷いた。

 アリスが聖女続投。ダンケルクからの一報に、新宿駅でタクシーを降りたばかりのヴァイスヴォルフは天を仰ぐ。渋谷までの戻る予定だったが、今はその気にはならない。
 教団にとって禁断の存在だが、短期間での聖女交代劇が相次ぐことは、逆に教団内の混乱を招くリスクが有る、と云うのがその理由だった。教団の理念より政治的な思惑を優先した……、司祭に対して不信感を抱くが、言っている事も一理有る。
 しかし、聖女は禁断の存在だ。世論に押されるか、教団が安定した段階で早い時期に交代するだろう。その時まで待つしか方法は無いのなら、そうするだけだ。今は下手に動くべきではない。次の聖女はマルグリット……もといマルガレーテ以外有り得ないからだ。
 それよりも気になるのは、小城のことだった。背後に誰がいるのか。数分の沈黙の後、ヴァイスヴォルフは一つの可能性を口にした。
「まさか……アデルか?」
 地方教会のうち、特に日本の信者と結びつきが強かったのは東部だった。それ故、アデル本人に対する人気は高く、失脚をよく思わない連中も少なくなかった。アリスが殺されかけた時の教会前の様子は動画で見たが、聖女を蹴落とした悪魔への女神による断罪……そう捉えた信者が多かったことを意味している。
 ……アデルの裏にも誰かいるのか。そう思ったドイツ人は片っ端から顔を思い浮かべていく。
 ……1人だけいる。
「奴か……」
とドイツ語で呟くヴァイスヴォルフは、フランスでインストールしたトラッカー専用アプリを起動させる。
 ……この近くに有る。プリィ以外の人間が持っているところまでは知っている。……奴は何を知っているのか、何を企んでいるのか。直接対峙するしかない。
 ヴァイスヴォルフは踵を返した。

 端の段差に座る流雫は、頭を抱えて俯き、喧騒をBGMに目を閉じる。ヴァイスヴォルフと云う男についての整理には、どうしても1人になることが必要だった。
 ……この所で、流雫はプリィと再会した。彼女はトラッカーを隠したネックレスを持っていた。日本へ発つと決まった後に家族から渡されたと言っていた。
 それが、本来はプリィを狙うためでなかったとするなら。製作者から家族に渡す前に間に入った何者かが、トラッカーの情報を入手して悪用を企てた。
 そして、プリィは空港と台場で狙われ、代わりに手にした流雫は秋葉原で狙われた。今も狙われる可能性は残されている。
 一方、別の何者かが三養基を殺したのは、アリスの正体をバラし、クローン生成と云う悪行を断罪するためだった。
 そしてマルティネスの死も、想定外ではなく鎮魂の儀を実行するために引き起こされた。元総司祭を弔う場で、その地位を剥奪したクローンと一家を断罪する……公開処刑としては最高のタイミングだった。
 そして、あの場で銃撃が起きた。しかし、あの場にいなかったヴァイスヴォルフにとっては想定外だっただろう。最初からそう狙っていた輩がいる……。
 そう、ヴァイスヴォルフが目を付けていた敬虔な信者は全て、何者かの支配下だった。義憤の暴走、それ自体最初から計算されていた。
 仮にアデルが関与していたとしても、彼女だけでは到底無理な話。彼女を崇拝する、日本にいる何者かが大きな見返りを対価に協力したのだろう。
 全てはヴァイスヴォルフが殺害や襲撃そのものに関与していない、と云う前提だ。立場と将来を鑑みれば、牽制球を投げ釘を刺す程度に留めるだろうからだ。
 そして、ミヤキがクローンのデータを持ち出した理由。わざわざ盗むように持ち出したのはプライドのため、それは合っているだろう。しかしその理由は……。
 「……流雫」
と名を呼ぶ声がする。顔を上げた流雫のオッドアイは、ボブカットの少女を捉える。
「1人にしたかったけど……」
とだけ言った澪は、流雫の後ろに座り、互いの背をくっ付ける。
「こうすれば、1人だけど独りじゃないから……」
と言った澪に、流雫は言う。
「……色々思うことが有って。でも、真相が見えてきた」
「……流雫がしてきたことは間違ってない。何一つ」
と澪は言った。
 流雫の全肯定ボットだと思われてもいい、今の流雫が間違っているとは思っていない。だから澪には、彼を否定する理由が無い。
「……こうして何度、澪に助けられてきたんだろう……」
「何度でも、あたしは流雫を助ける。流雫があたしを助けた、それ以上に」
と澪は言葉を被せる。
 隣に立ち、時には背中を預かる。だから屈するワケにはいかない。その想いは何が有っても揺るがない。

 恋人たちの、そして最強の戦士たちの束の間の休息。それに終焉をもたらしたのは、男の声だった。
「……テネイベール……」
2人は同時に顔を向け、目を見開き、そして反射的に立ち上がり正対する。流雫は無意識に、その名を口にした。
「ヴァイスヴォルフ……!」

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