LTRA2-9「Absolute Ally」
2組の取調が終わったのは、ほぼ同時だった。フランス人3人は渋谷、日本人3人は臨海副都心と、それなりに離れている。2組の連絡役は流雫とアルス。
誰も銃を持っていないことは、今に限ってはリスキーだ。しかし、プリィさえも見ていられないほど沈んでいるセバスを思えば、今は分かれたままでいることが最善策だと、流雫とアルスが思った結果だった。
プロムナードの端に並ぶ3人の表情は暗い。アルスからのメッセージが、暗い影を落としていた。
誰も殺されないように戦った自分を褒める……、そうやって無理矢理明るく振る舞うことはできない。人の死を目の当たりにし、どうやって自己肯定感を上げろと云うのか。
「流雫……詩応さん……」
と、澪は呼ぶだけだ。
「澪……」
とだけ声に出す詩応の隣で、流雫は脳にタスクを与えていた。それで紛らわせるしか、方法は無い。
……三養基が殺されるべき理由が有るとするなら、それはクローンのデータを持ち出したこと。しかし、犯人はラボなどではなく繁華街で、それも白昼堂々犯行に及んでいる。そして、秋葉原の時のように自爆しなかった。
最初から逮捕される前提だったのか?もしそうだとすれば、何故……?
「……逮捕されるメリット……」
と流雫は呟く。その隣で詩応は
「メリット……?」
と続く。
犯人にとって逮捕されることは、デメリットでしかない。生活に困窮した末、刑務所で過ごす方がマシだとして犯行に及ぶケースも有るが、それは稀だ。それ以外のメリットは何なのか……。
「あ……まさか……」
澪は思わず口にした。刑事の娘だからこそ、ほんの数秒でその答えに辿り着いたと言える。
流雫と詩応、2人の目に捉えられた刑事の娘は、軽く頷いた。
「……クローンの存在を……供述で明るみにできる……」
その言葉に、2人は目を見開いた。
渋谷での通り魔殺人。それ自体、社会が関心の目を向ける。捜査の過程でクローンに関する実績が明らかになるのは、時間の問題だろうか。
そして、もし犯人が犯行動機として、アリスのクローンについて触れたのなら。マスメディアは挙って、トップニュースで報じる。太陽騎士団が、何よりメスィドール家が最も怖れていることが、現実のものになる。こればかりは、3人には止められない。
「……どうすれば……」
流雫は呟いた。
総司祭一家にとっては、或る意味自業自得だ。だが、アリスやセブに罪は無い。プリィやセバスも、言わずもがな。
……ご都合主義だと言われても構わない。4人を護りたい。日本人ではないことを理由に疎まれてきた流雫にとって、教団内の思惑に翻弄される4人は、見ていられないのだから。
「……あたしがついてるよ」
と言葉を被せたのは、澪だった。
「4人を護りたい。護れるよ。流雫とあたしなら」
その声に詩応も
「……アタシもな」
と続く。
どうすればいいのかは判らない。しかし、今は馬鹿の一つ覚えだろうと、こうして絶対的な味方がいることを感じていたい。それだけで、何が有っても屈しない……そう思えるようになる。何度でも。
シブヤソラ。流雫曰く東京のトゥール・モンパルナス。超高層ビルの屋上が、屋外展望台として開放されている。地上230メートルの絶景が愉しめる。
アルスは流雫と訪れたことが有るが、確かに此処からの景色は魅力的で、フランス人2人を案内することにしたのだ。その隣でプリィは、漸く束の間の安寧を手にした気がした。
今日起きたことを忘れたい、しかしそう云うワケにはいかない。アルスはセバスに顔を向け、問うた。
「……アリスや総司祭に連絡していたのか?」
アルスの問いに、セバスは怪訝な表情を浮かべ、答えた。
「総司祭への連絡はしていた。毎日。そう云う決まりだった。怠ったことは一度も無い」
「アリスには?」
「連絡先を知らされていない。常に教会にいる者同士、知る必要は無いと云う総司祭の方針だ」
「総司祭はアリスに過干渉だったから」
とプリィは口を挟む。時々、セブからその愚痴を聞かされていた。
「連絡先を知られると不都合が有ったからか?だが、戸籍上は姉弟だろ?過干渉どころの話か?」
とアルスは問う。ただ、そうできる理由が一つだけ有る。アルスは少しだけ俯いて呟いた。
「……本当の父親じゃないからか……」
クローンの培養には、プリィやセブのデータが使われた。一方、父の精子や母の卵子は一切使われていない。つまり、対外的には総司祭と姉弟は親子だが、血が繋がっていないのだ。……アリスを自分の道具として扱えるのは、そう云う理由からか。
「じゃあ、お前の動きを知っていたのは総司祭だけか」
「動きと云うよりは、ただ収穫の有無だけだ」
「プリィの渡航は?」
とアルスは問う。
「知らされた。1週間前に。もし出会せば、身柄を確保しろと云う命令も出た」
「だから、ルナを追ったワケか」
と言ったアルスに、セバスは問う。
「ルナ?」
「ルーンの正体はルナ。俺のフレンドに変わりは無いがな」
とアルスは答える。あのセーラー服調の少女はルナと云うのか。セバスはそう思った。ただ、少女ではないが。
「トラッカーを追って、プリィを襲撃しようとする集団に遭遇した。だから身を案じたルナが、身代わりになった。まさか引っ掛かったのが、メスィドール家の子息とは思わなかったがな」
引っ掛かった、その言葉が聞き捨てならないセバスは、無意識にアルスを睨み、問うた。
「連中の正体は!?」
「俺も知らん。昼前の連中は自爆し、先刻の連中は逮捕されたようだが、何を話しているかは知らん」
とアルスは答える。
海外の映画で目にするような司法取引は、日本では個人に対しては適用されない。語弊を招く言い方をすれば、減刑されないのに自供して報復を怖れるよりは、黙秘を続けた方がマシ。そう思われても、不思議ではない。
今日だけを見ても、秋葉原で流雫が戦ったのはプリィを捕まえたい側、そして渋谷で戦ったのは三養基を始末したい側。双方の狙いは、真逆に思える。
言い方を変えれば、その双方と戦わなければならない可能性を十分孕んでいる。厄介にも限度が有るが、避けられないことは判りきっている。
……経緯が経緯とは云え、またしてもルナが銃を手に戦い、苦しみを抱えることになる。それは悪魔と踊るようなものだと、悲壮感を湛えたオッドアイの少年は言っていた。
悪魔の手を握った、邪教と手を組んだ。全ては護りたい人のため。そうやって身の丈よりも大き過ぎる思いを背負った戦士に、私利私欲に塗れた連中が敵うとは思わない。
「……俺はあいつらの味方だからな。あと、お前らも」
と言ったアルスに、セバスは漸く、僅かながら表情を緩めた。
アリスを死産した母は、その3週間後に病死した。しかし、そのことはトップシークレットだった。2人目の培養が成功したタイミングで、セバスを産んだ直後に死去したと発表した。
戸籍上は別として、2人には肉親がいない。強いて言えば三養基が生みの親だったが、それも殺された。血縁と呼べるのは、それぞれのオリジナルだけだ。
メスィドール家の人工的生命体にとっては、フリュクティドール家の姉弟だけが家族のようなものであり、味方だった。尤も、2人を道具として扱うだけの総司祭にとっては、プリィとセブの存在は教育上好ましくなかったが。
「まさか総司祭が、此処まで腐っているとは……」
と毒突くアルスに、セバスは言う。
「総司祭の座が現実味を帯びてきた頃から、露骨になった。全てはアリスの功績でしかないと云うのに」
「……東部教会の二の舞を望んでるのか?」
とアルスは問う。聖女がその座に相応しくない、と云う理由で資格を剥奪され、失脚したことは、東部教会にとって最大の汚点だった。
「そうはならない、と総司祭は思っている」
とセバスが答える。
「総司祭が聖女に課したのは、恐怖政治そのものだ。血の旅団と話していること自体タブーだ、バレれば処罰は重い」
その言葉に、アルスは道理で……と思った。あの時の露骨な拒絶は、総司祭から植え付けられた影響が強いか。
だが、ドクター・ミヤキの死が、聖女を大きく揺さぶった。今頃、セブに遣り場を失った怒りや悲しみを吐露しているだろうか。否、そうであってほしい。人間らしく在ってほしい。
「……アリス……」
とプリィは呟く。
プリィが空港で、流雫との予想外の再会に驚くより早く、拒絶の言葉が出たのは、聖女候補としての教育の成果だった。アリスの身代わりに相応しい聖女候補になることを、求められていたからだ。
そのアリスが、今となっては不憫に思えてくる。できることなら、抱きしめて慰めたい。
この展望台を下りて十数分も歩けば、教会には着く。しかし、聖女が2人いると云う事実を知られてはいけない。動けない。
もどかしさに、プリィは俯く。その隣で、セバスは総司祭のことを思い出していた。
総司祭、クロード・メスィドール。年齢差はアリスと30。但し、これは公称で、実際は31。死産の1年後にアリスが生成されたからだ。
母オリヴィア・ルイ・メスィドールがいない2人の世話は、教会の従者が担ってきた。そして、2人に不干渉どころか家族として無関心だったクロードに、父と云う感情を抱いた事は一度も無い。
不意に鳴ったアルスのスマートフォンが、2人を現実に引き戻した。
「どうした?」
その第一声に被せてくる恋人の、少し低めの声は、不穏に満ちていた。
「レロワ・マルティネスが死んだわ」
その名前に、アルスは心臓の鼓動が大きくなる。何度か聞いた名前だ。それも悪い方で。
「レロワ・シュルツ・マルティネス……?ストラスブールのか!?」
僅かに焦燥感を帯びたアルスに、アリシアはあくまでも冷静を装って告げた。
「そう。太陽騎士団の元総司祭よ」