LTRL1-6「Mysterious Lovers」
飛び入りで一気に埋まったエントリーリスト、その最後に載った2つの名前。ルーンとウェイク。
流雫……元は月のルナ。だからフランス語でルーンと名付けた。一方、澪は単語として訳すると航跡を意味する。だから女子らしくないものの、ウェイクと名付けた。ウェイクボードのウェイクだ。尤も、恋人を含む周囲は誰もが、もう一つの意味……澪標の方が合っていると思っているのだが。
生まれて初めてゲームのアカウントを取得した流雫は、しかし1日前の自分にこうなることを言い聞かせても信じなかっただろう。
「Rセンサーと昨日の発砲事件……その謎に迫りたい」
と呟く流雫。
……一夜明けた頃には、あの犯人はゲーム依存症だと報じられていた。それで片付けられるとは思っていないが、それが社会的には手っ取り早い上に好都合なのだ。Rセンサーの件もバレないだろうし、度々ネタになるゲーム依存問題そのものを、他の問題のスケープゴートにさえできる。
「何でもゲーム依存にすればいいってワケじゃ……」
と夏樹は愚痴を零す。理由は違えど、意見そのものは流雫も同じだった。
……他のVRコンテンツの体験もできるイベントのムードは、やはり重苦しい。それは関係者も判っている。ただ、メインとなるBTBの予選会だけは成功させたい。
プログレッシブ自体、個人向けのエンタープライズ事業は後発で、直接手掛けているのはファンタジスタクラウドとBTBのみ。そして前者があの事態に陥った以上、後者の成功はVRメタバース事業……ワンワールドへの布石として絶対だった。
ワンワールド。それは、プログレッシブがファンタジスタクラウドから移行するVRメタバースの名称。仮称ではなく、既に正式名称として発表されている。
人種、国籍、宗教、言語、通貨……あらゆる柵を超えた、文字通り一つの世界を、デジタルの世界に創造し、VRメタバースの覇権を握ると云う壮大なプロジェクト。リアル通貨との換金が可能な独自の仮想通貨を使用し、国際ビジネスをも迅速化させられると謳っているが、世界規模の企業だから実現できることだった。
メタバースの覇権を握った者が、世界最大のIT企業として、そして新世界の主として君臨できる。その座が、アメリカ発の企業の大いなる野望だった。そして、深圳の中国法人ではなく、日本法人がその皮切りを担当することになった。ただ単にプレイヤー人口が比較的少なく、その分ハードウェアへの初期投資額も抑えられると云うのが大きかっただけだが。
試遊台で遊ぶ連中から少しだけ離れた場所で、トーナメント方式のBTBの大会が始まった。これで上位入賞を果たせば、1ヶ月後の全国大会に行けるらしい。
その1回戦。ランダムに組み合わせが発表された。ルーンの対戦相手は……ウェイク。
「え!?」
と2人は同時に声を上げる。
……流雫と澪が、FPSでとは云え初めて戦う。……キルしても殺さない、キルされても死なない、それは判っているが、2人でデスゲームだけは避けたかったこと。
ただ、3人にとっては或る意味最大の注目カードだった。紛れと言いながらも手練れの亜沙をキルした澪と、澪に影響を与えながらも戦わない宣言をした流雫。2人がバーチャルで戦った時にどうなるのか。
「……やるしかないか……」
と呟く流雫の隣で、澪は頷くしかなかった。
対戦は2番目。制限時間は3分。……3分さえ乗り切れば、どうにかなる。
「続いては、ルーン、バーサス、ウェイク!!」
と、MCが声を張り上げる。覚悟を決めた2人は、パイプ椅子から立ち上がった。
手渡された白いプレイバース本体には、Rセンサーは着いていないようだ。それだけで安心する。デバイスを装着し、ルーンのアカウントでログインする。画面上にはボブカットの少女のアバターが見える。VRデバイスのカメラ映像やスマートフォンの画像からアバターを作成できるのだ。
会場のディスプレイは、それぞれのプレイ画面2面とフィールドのバードビュー2面の4面構成。その画面を見れば、秋葉原で流雫と澪が戦っていることに他ならない。
……衆人環視でデスゲームを見られている感覚が拭えない。ただ、流雫も澪も、思うことは後回し。今は3分間、乗り切るだけだ。
恋人同士の戦いは、ウェイクの勝利で終わった。ただ、判定だった。それも、互いにノーダメージだった故に僅差で。
夏樹に宣言した通り、流雫はすぐ近くに有るウェポンすら手にしなかった。ただフィールドを走り回るだけだった。そして澪は、撃ちながら追うだけでいい。だが、身体能力の差は無いのに追い付けない。ワンサイドゲームなのは誰が見ても明らかなのだが、当たらない。
……澪は流雫の戦い方に影響を受けた。それが意味するのは、対戦相手としての澪はもう1人の自分だと云うこと。そしてゲーム故に小細工は限られている。時を止める、と形容できる勢いの殺し方はゲームでは通じない。
……自分の動き方は、自分が誰より知っている。だから逃げ切るのは簡単だった。それに何より、ゲームとは云え澪を撃ち殺すことなど……できるワケが無いから逃げ切るしかない。
端から見れば、ロクに操作方法も判らず走り回ることしか能が無い初心者と、追うのに必死で数打ちゃ当たる戦法もできない初心者の凡戦でしかない。ただ、2人を知る3人にとっては異様に映った。
特に夏樹は、流雫を軽く怖れていた。もし、心変わりしてFPSに真面目に取り組むようになった日には、自分ですら勝てないのではないかと。それはそれで面白そうだが。
プレイバースを外した流雫は、心臓の鼓動が激しいのを感じた。最後の1分は酔い始めていたが、どうにか耐えた。
「耐えきったわね、流雫」
と澪は言った。自分でもそう思う流雫は、しかしこれで二度とBTBをプレイしなくて済むと思うと、安堵の溜め息しか出ない。
「……澪を撃たなくてよかった……」
と言葉を返す少年は、しかしRセンサーが有ったことを想像して戦慄した。
仮に撃たれた、キルされたとなると、それなりの強い刺激が飛ぶことになる。人によっては気絶するケースも有るだろう。どんなにボーダレス化のためのデバイスと云っても、そこまでリアルに寄せるべきなのか……。
出番が終わった流雫は、他の試合ではなくイベントの会場全体に目を向けていた。そして昨日知り合った3人のうち、女記者だけはスマートフォンの画面と睨めっこしている。追っているのは、このイベントに関するSNSの投稿だった。
……BTB予選会は流雫と澪の1戦こそ興醒めしたが、それ以外は概ね盛り上がっている。だがその一方で、プログレッシブの関係者が現地入りしているのに、例の件で何も動いていないのが気になる投稿も有る。
会見は予選会の後。しかし、其処で何を話すのか。富山側のシステムも動かなかった、あの言葉が何よりも引っ掛かる。
ふと、場内が騒がしくなる。亜沙が顔を上げた先のディスプレイには、決勝戦にコマを進めたウェイクの名が有った。同時に
「1回戦は何だったんだよ……?」
と書かれた投稿がSNSに流れる。
……2回戦と準決勝、そのいずれも60秒以内に相手をヘッドショットでキルしていた。あくまで中の人は紛れだと言うだろうが、先刻のディードールとの練習試合でも、同じ勝ち方をした。
……2回戦以降の戦い方は最早紛れ、偶然では説明が付かない。そして、今日初めて人間と……それどころかチュートリアル以外で亜沙と1度対戦しただけ……のプレイヤーが、既に全国大会への出場権を獲得しているのは、前代未聞のことだった。
それだけに、ギャラリーにとっては1回戦が不可解でしかなかった。だが、所謂舐めプとは思えない。事実、AIは残り数秒までルーンにアドバンテージ判定を出していた。
それがAIのバグでないとするなら、逃げ回るだけだったルーンと云う奴は何者なのか……!?
ウェイクと名乗る少女の番狂わせと、既にトーナメントから消えたルーンの存在が、僅かながらBTBの予選会の注目になっていた。
決勝戦と3位決定戦は午後から。2人は、朝流雫が焼いてロール状にしたガレットを頬張る。……澪自身、まさか決勝戦にまで進出するとは思っていなかった。
「……流石は澪……」
と呟く流雫に、澪は
「早く終わらせたいと思っただけ。でもキルされたいとは思わないし、ヘッドショットは偶然よ」
と言葉を返した。
そこに明澄が近寄り、シルバーヘアの少年に
「……アンタたち、何者なんだ?」
と問う。
「撃つのも撃たれるのも怖い、だから走り回るしか能が無い……それだけのことだよ」
と流雫は答える。それは謙遜でも自虐でもなく、シルバーヘアの少年にとっての単なる事実。しかし、だから周囲から見て余計に不可解なのだ。
「……普段から互いを知り尽くしてるから、次の手を探り過ぎて決定打を逃した……そう云う感じです」
と澪は続く。それが無難な答えだった。すかさず夏樹が
「流雫くんも、頑張ればかなり強くなるよ」
と言ったが、流雫はそれに耳を傾けず、会場の端を見つめている。
……ネイビーのスーツの男がいない。ランチタイムで何処かに消えたか。ただ、やはり気になる。
「ところで、全国大会の場所……」
と澪が言う。
「北九州。福岡の東側かな。そこで、サブカルチャーの大きなイベントが有って、そのコンテンツの一つになってるの」
と亜沙は答えた。
北九州。福岡県の東北端に位置し、本州に最も近い工業都市。製鉄に代表される重工業で栄え、かつては九州最大の都市だったが今では衰退の一途を辿る。その地域経済再生の起爆剤として、自治体が主導してサブカルチャーを活用しようと躍起だ。
その最大の目玉が、ノーザンナインサブカルチャーパーティー、通称ノーサブ。ノーザンナインとは、北を示すノーザンと九州の9……つまりナインを組み合わせたものだ。
自治体の公共事業として開かれるそのイベントの目玉コンテンツの一つに、BTBの全国大会が組まれている。全国から集まった2クラスそれぞれ32人のプレイヤーが、トーナメントで競うのだ。
「福岡……」
と澪は小さく声に出す。その隣で、流雫は最愛の少女が何を思っているか判る。
……1年前の、澪の修学旅行先は北部九州一周。最初の到着地は札幌に次ぐ地方都市第2位の福岡だった。だが、初日の昼間、着いたばかりの空港で自爆テロに遭遇し、夜前にはそのテロに触発された暴動に、宿泊先のホテル近くで遭遇した。
結奈や彩花と一緒だった澪は、初めて1人で引き金を引いた。自分と結奈が殺されそうだったからだ。
愛しい同級生2人も含めて無事だった。だが、河月のペンションからタブレットとスマートフォンを駆使してサポートしていた流雫が、澪がいない時どんな思いをしてテロと戦っていたのか、思い知らされた。
結果として、臨時の宿泊先だったビジネスホテルに最終日まで缶詰状態になった澪の修学旅行の記憶は、初めての飛行機と、捜査のために東京から駆け付けた父親と取調の後に堪能した名物の鍋料理だけだった。それだけでも、何も無いよりはマシなのだが。
……その福岡へ、再度行くことになる。数万円もの旅費は、プログレッシブが負担するらしい。
「……今度こそ、何も無ければいいな……」
と澪は呟く。……我が侭を言えるなら、流雫と行きたい。ただ彼に数万円、手出しで負担させるのは流石に気が引ける。それでも流雫自身は行くと言いそうだが……。
「……もし流雫くんさえよければ、一緒に行けるわよ?」
と言ったのは亜沙だった。澪の心が判るのか、と思うほどタイミングがパーフェクトだった。
「私の同行者として、メディア枠を使えば」
イベントの様子を取材するメディアのパスを発行させることで、合法的に行ける。名目は、事実上初プレイながら全国大会に進出した謎のプレイヤー、ウェイクの取材。
「……それで頼めるなら……」
と流雫が答えたのは、2秒後のことだった。
「……何か起きそうな気がするから……」
そう小声で言った。
澪と一緒にいたい、と云う思いをカモフラージュしたいから、ではなく、今までが今までだっただけにナーバスになっているからだった。そして、それが外れた例しがないことが、それに拍車を掛けている。
「じゃあ後で手続きを……」
と言った亜沙に、流雫と澪は頭が上がらない。ただ礼を言うだけだった2人の高校生は、しかし視界の端で人の動きが慌ただしくなることに気付いた。関係者が集まるエリアだ。
「何だ……?」
と小さく声を上げた流雫は、無意識にショルダーバッグに手を入れる。それが何を意味しているのか、唯一判った澪は
「流雫……?」
と名を呼ぶ。その瞬間、大きな銃声が肌寒い空気を切り裂いた。
「誰か!!」
その叫び声にいち早く反応した少年は、咄嗟に地面を蹴る。
「流雫!!」
と叫ぶ少女も、それに続いた。
「くたばれ悪魔!!」
と叫んだ、眼鏡を掛けカーキ色のセーターを着た中年の男の前で、仰向けに倒れているのはネイビーのスーツの男。腹部を赤黒く染めている。その周囲で数人の男女が警察と救急を手配しつつ、被害者を介抱していた。
「!!」
奥歯を軋ませ、眉間に皺を寄せた流雫は、隣に並ぼうとする澪を腕で邪魔する。
「……見るな……」
とだけ言った少年の声に、焦りが滲んでいる。
「……流雫……!?」
と名を呼んだ澪には、何が起きているのか想像は容易だった。
「撃たれたの……!?」
と問う少女、しかし恋人は答えない。……答えはイエス、そう思った少女は奥で銃を握る男を睨む。……目が合った。
「狂ってる……!」
と、澪は声を張り上げ、目の前に伸ばされた流雫の手を押し退けて前に出た。……警察一家に生まれ育ったが故の正義感は、誰にも止められない。
「澪!?」
流雫は慌てて隣に並ぶ。
大口径の銃を手にする男は
「俺の分身を消されたんだぞ!!これは天罰だ!!」
と叫ぶ。
……ファンタジスタクラウドの被害者だとは、容易に想像がつく。しかし、この剣幕は一言で言えば異様でしかないが、だが同時にゲーム脳で片付けるには乱暴だった。
「天罰なんかじゃ……!!」
そう言い掛けた澪の言葉を遮った流雫は、数歩前に出る。……衆人環視で、この一言が周囲にどう影響を与えるかは未知数、そして犯人がどう動くかも読めない。
ただ、冷静を欠かせるには一つしか無い。それに賭けるだけだ。
「澪……下がって……」
とだけ言った流雫の言葉通りに、澪は後ろに下がる。
「何イキってんだ、こら!?」
そう叫ぶ男は、バッグに手を入れて銃を取り出そうとする少年の足下を撃つ。しかし、アンバーとライトブルーのオッドアイの持ち主は怯まず、ガンメタリックの銃身を出す。
「撃つぞ!?正当防衛だよなあ!?」
と声を張り上げる男の目は、沸騰した怒りと銃を向けられることへの恐怖が交錯している。
流雫は銃を下ろしたまま、セーフティロックだけを外す。そして目を鋭く睨み付け、吐き出す。相手の理性を吹き飛ばす、最大級の地雷を踏むように。
「……ただのアバターのために人を殺そうとしたのか!!」
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