LTR AIS 1-7「Conflict For Sister」

 救急病院の待合室、その端で流雫は頭を抱えていた。隣には澪と、弥陀ヶ原陽介と云う刑事がいる。弥陀ヶ原は澪の父、常願の後輩で20代後半の刑事だ。
 流雫は、途切れ途切れに言葉を出すだけだ。代わりに澪が、何が起きていたか説明する。
 ……男を仕留めることを優先しなければ、3人揃って撃たれる可能性が有った。それに、有人は仕留めようと焦った結果撃たれた。酷な言い方だが自業自得だ。
 しかし、もう少しベターな方法は無かったのか、流雫は自問自答している。時々流雫が溺れる泥沼だ。
「あれが正解だったんだよ……」
と澪は言い、流雫を抱き寄せる。
「流雫は間違ってない、何一つ」
 誕生日は、澪の方が3日だけ遅い。しかし、澪の方が年上のように見える。それは初対面の時からだった。
 その様子に、弥陀ヶ原は小さな溜め息をつく。流雫が予想以上に参っているのが判るからだ。
 悠陽は愛理明と一緒に、ベンチ2つ分離れた場所にいる。いる。今この場で話してみたいことは有るが、彼女から口を割らない限り黙っているのが正しい……悠陽はそう思いながら、澪に目を向ける。
 愛理明にとっては、自分が標的になっていたことが、ダメージとして大きかった。忌んでいる銃で自分が助かったが、それも皮肉でしかない。
 その隣で、悠陽は
「流石は澪と流雫……」
と呟く。
 全てはゲームでもメタバースでもない、リアルで起きていること。その一発が生き死にを分けかねない中で戦っている2人は、褒められ讃えられ、そして慰められるべきではあっても、忌まれるべきではない。
「……これが現実なのよ……」
と悠陽は言った。一緒にいた人が生き死にの境界を彷徨っているところに追い打ちを掛けるのは、判っている。だが、それは自分への戒めでもあった。決して、ゲームと現実を混同してはならない、と。 
 愛理明はその声に、何も言わない。何も言えない、が正しい。

 有人が病室へ移されたのは、3時間後のことだった。一命こそ取り留めたものの、当面入院が必要らしい。
 流雫と澪は、弥陀ヶ原の運転で家に帰らされる。病院を後にする2人は、愛理明とは目も合わせようとしなかった。昼間の件が尾を引いているのではなく、何と言ってやればいいのか、最適解を持ち合わせていなかった。

 夜、澪が浴室に行くと、流雫はスマートフォンを耳に当てた。
「……ルナ?」
淑女の声に安堵する流雫は
「……僕は正しかったのかな?」
と問うた。
「誰も死ななかったのなら、それが答えよ」
我が子の話を一通り聞いた後、そう言った通話相手に、流雫は
「……サンキュ、母さん」
と言った。
 アルスやアリシアと同じ、フランス西部のレンヌに住む流雫の母親、アスタナ・クラージュ。ルナの名に流雫の字を当てたのも、日本語を一通り話せるこの淑女だった。
 澪の言葉は力になる。しかし、時々それですら吹っ切れない時も有る。流雫が母を頼るのは、そう云う時だ。
 「……もっと人を頼りなさい。頼られる以上に」
とアスタナは言った。それこそが、流雫の弱点だった。
「頼る……?」
「ミオさんには頼ってるでしょう?それと同じように。ルナなら、できるハズよ」
とアスタナは諭す。
「……やってみる」
と言った流雫は目を閉じる。少しだけ、目に冷たさを感じた。
 ……移り住んだ日本で苦労しないようにと、両親は流雫を1人帰化させた。だから、戸籍上は家族ではない。ただ、アスタナにとって流雫はたった一人の我が子だし、流雫にとってもアスタナはたった一人の母親なのだ。そして父も同じだ。
 通話を切ると、流雫は指で目の上を拭い、溜め息をつく。少しだけ心が穏やかになるが、目を閉じると
「まだまだだな……」
と無意識に呟いた。そのことすら、母にはバレているだろう。

 澪は自分の部屋に戻る前に、リビングで詩応と通話する。アルカバースで会うのを明日にしたい、と云うのは流雫の前では言えない。流雫が気にするからだ。
 詩応は
「流雫が最優先だからね」
と言った。こう云う時に、最愛の少年の隣にいてこそ澪だ。
「じゃあ、明日」
と言葉を交わして切れた通話の後で、澪は流雫の部屋に戻る。
 ……人が撃たれる瞬間は、何時だって最悪だ。今まで何度もテロや銃撃と戦ってきたが、後味が悪くなかったものなど一つも無い。
 隣に座り、
「……流雫には、あたしがついてる」
と言った澪に、流雫は頷く。そして一際大きな溜め息を吐く。
「……サンキュ、澪」
「あたしだって、流雫がいないと何もできないんだから」
と澪は言った。流雫に助けられたことは数え切れない。流雫がいない未来は、澪には想像できない。する気も無い。
 今はアルカバースのことすら忘れ、2人だけの時間を過ごす。一夜明ければ、またアリアと向き合わなければならなくなるからだ。それまでの、束の間の休息だった。
 
 愛理明は全てを投げ出し、ベッドに身を預ける。
 澪の父親に会ったのは、今日が初めてだった。臨海署の刑事だと名乗っていた。澪と目付きが似ているのが印象的だった。
 愛理明は無意識に呟く。
「何故、私が襲われるの……?」
 アリアの正体が愛理明だと知っていたとして、何故狙われるのか。UPを、アリアをよく思っていない犯人の犯行なのか。何故よく思っていないのか。疑問は尽きない。
「姉様」
と言って、望明が部屋に入ってくる。
「……望明。昼間、2人と何を話していたの?」
と、体を起こした愛理明は問う。
「ARIAのこと?UPのこと?真面目に答えなさい」
 今の姉に、本当のことを言うのはリスキーだ。だが、適当に答えて遣り過ごすワケにもいかない。望明は言った。
「……ARIAのこと。私が何故ARIAのベースじゃないのか……」
「馬鹿馬鹿しいわ」
と愛理明は一蹴する。
「望明、私がARIAの理由は簡単よ。私がARIAに誰より相応しいから」
あたかも当然であるかのように言った愛理明に、望明は釈然としない表情を浮かべる。
 「ARIAに選ばれたのは私。その命令に従うことが、私の役目。父がアルカバースを手中に収めることができた、それも全ては私がARIAだからよ」
その言葉に、望明は無意識に言葉にする。
「……単に父の言いなりでは」
タブーだった。しかし、今の愛理明には単なる嫉妬にしか聞こえない。
「父がわざわざ、有人を私に寄越したのも、全てはアルカバースのためよ。新たな収益の柱、その役割を超えた新たな社会インフラ、いや世界そのもの」
「アルカバースを手に入れたのなら、姉様の役目は……」
「私は引き続き、ARIAに人格を与える。それが、ARIAを中心としたUPへの信仰によって、アルカバースが秩序を保つための唯一の方法」
と言った愛理明の目に、一瞬だけ覚悟が見えた望明は
「……姉様にARIAは相応しくない」
とだけ言って、姉の部屋を出た。
 自分の部屋に入った望明は、大きな溜め息を吐く。
 ……宣戦布告と受け取られかねない。しかし、あの場で愛理明が覚悟を見せた時点で、望明は自分が間違っていないと云う確信を得ている。
 覚悟の裏には、悲壮感が滲んでいる。そう云うものまで抱えなければいけないのか。
「……だからダメなのよ」
と望明は呟いた。

 ARIAに相応しくない。その一言が、アリアの脳に突き刺さっていた。だが、数時間前の惨劇は、望明には自分の代わりなど務まるワケがないことを、強く思わせる。
 ……犯人の正体も、犯行動機も判明していない。その動機次第では、ARIAとの関連性が有るだけで命の危険と戦わなければならなくなる。望明を危険に晒すことはできない。
 ……そのためなら、妹を敵に回したって構わない。愛理明はベッドに体を預け、目を閉じると一度大きく頷いた。
 
 「……有り得ない話じゃないな」
とアルスは言う。猫柄のエプロンを着る流雫は、キッチンで小麦粉を溶かしている。今日のモーニングは地元の郷土料理ガレットだ。
 ……望明が何故、今の愛理明に対して敵意を向けているのか。その答えが、夜中に浮かんだ。だから流雫はアルスに言ったのだ。
「姉が崇められることへの嫉妬からじゃない。姉がARIAのベースとして背負わされる十字架の重さに、妹として一種の恐怖を感じてる。でもARIAは止められない。だからノアは、姉から十字架を奪いたい」
と。
 軽く飛躍した話だと、自分でも思っている。だが、姉にぶつけることができないのは、そう云う想いだからだ。だから敵意と云うベールで隠している。それが、暗い部屋で流雫の頭が導き出した答えだった。
 「ただ、ノアはアリアの代わりになるのか?」
と問うアルスに、流雫は答えた。
「なるとは思えない。でも、ノアはなるしかないと思ってる。昨日アリアが狙われたから、その思いは更に強まるハズ」
「……そもそも、何故アリアはARIAに固執する?言い方は悪いが、最早病的な領域だぞ?」
とアルスは問う。
「アルカバースは、グループMの傘下。ARIAはUPの象徴。つまり、アリアがARIAに貢献すればするほど、UPによるアルカバースの秩序が維持され、やがてグループMにとっての利益になる」
「一家のための生け贄か?」
とアルスは言ったが、その言葉が怖いぐらいに当てはまる。
 大手コングロマリットの令嬢として、室町の姓を名乗る身として、求められる意識。それは流雫やアルスには判らない。本心を隠し、一家のために求められるロールプレイを続けているだけに見える。
「昨日狙われたことで、アリアはそれがノアでなくてよかったと思っているハズ」
「姉妹揃って、相手のために自分が大変な役目を背負おうとしているのか」
「多分。ノアが、僕やミオに話そうとしたかったのは、そのことだったと思う」
と流雫は答えた。結果的に有人に邪魔されたが。
 澪の問いに少しだけ詰まったのは、一瞬の躊躇いが有ったからだ。姉にも言えない本音を、姉が警戒する2人に話すのだから、或る意味では当然のように思える。
 「泣ける話だな。だが、アルトの正体が判らない以上は、警戒を緩めるな。お前なら心配は要らないが」
「判ってる」
と流雫は言った。
 
 早朝からVRメタバースにログインするのは疲れるが、これも取材の一環。逢沙はVRデバイスを外し、紅と黒のアバターを2時間操った結果を、タブレットのノートアプリに記録する。
 澪が話した通りだった。映像に何か仕組んである。極限までリフレッシュレートを落とし、更に意図的に遅いネット回線を選び、後はタイミングを狙ってスクリーンショットを残すことに成功した。
 ……赤を基調としたSFの街並みに見える。致命的な環境破壊か戦争の末に人類がいなくなった未来都市のようだ。4枚の画像を並べると、1枚ずつ差分になっているようだ。その最後には、不鮮明ながら空に顔の輪郭らしき楕円が浮かんでいる。
 それが何を意味するのか、どうやってUPへの帰依に至るのかは判らないが、本当にサブリミナル効果をもたらしているのなら、公式がVRを悪用していると云う大問題に発展する。
「パンドラの箱みたいね……」
と逢沙は呟きながら、記事を打ち始めた。

 昨日の事件を鑑みて、今日は臨時休校となった。リビングにいた父親は、娘とその恋人に昨日のことについて再度話せと言ってきた。
 流雫は昨日とは打って変わって、淡々と答える。そして、フランス人と話したことを最後に持ち出した。
 ……愛理明はARIAの表だけでなく、裏も知り尽くしているから、望明にその座を譲ることはできない。望明はARIAについて半ば無知だから、得体が知れないものに姉が苦しめられているように見える。
 一通り話が終わると、澪の端末が鳴った。逢沙からだ。
「澪さんが言ってた通りだわ。気になったから、記事にしたわよ」
とメッセージには書かれていた。
 流雫がニュース記事に目を通す。元eスポーツプレイヤーがアルカバースを2時間プレイしてみた結果、と云う長いタイトルで綴られている。勿論、彼女の遊びが入っている。
 ……澪が感じた違和感にも触れていたが、そのスクリーンショットを全て残していて、それも含めて投稿していた。
「アルカバースにとっては痛手ですね」
「仕掛けは演出の一部と言うだろうけど、サブリミナル紛いのことをするのは間違ってるわよ」
と逢沙は返事を打つ。同時に、痛手は一種の自業自得だと思っている。
「テックスタートとグループMの反応は、大方読めてるわ。ただ、私が見たのは事実だからね。何も無かったことにはできないわよ」
女記者が続けたメッセージを、澪の隣で見ている流雫は、アルスが寝る前に寄越してきたメッセージを思い出していた。

 流雫がベッドで意識を失っている頃、ディナーを済ませたアルスとアリシアはパリの街並みに溶けていた。既に夜だが、それはそれで趣が有る。
 地元レンヌとは比べものにならない首都のシンボル、エッフェル塔を見上げるシャン・ド・マルス公園の片隅で、これまでの数日を思い出す。
 ……収穫は少なくない。あくまでも宗教面からのアプローチにはなるが、少しずつ実態が見えてきた。
 UPにはテックスートが絡んでいるが、テックスタートそのものにUP創設の意図は無かったし、寧ろ否定的ではあった。第三者が創設の圧力を掛け、それに屈した形だ。
 その正体は、グループM。互いの資本関係を見れば、UPが赤い糸になった可能性は大いに有る。ただ、厳密にはグループMではない、と云う部分までは突き止めた。
 流雫は、気になる人物をメッセージで挙げていた。
 アルト・アザブ。コングロマリットの令嬢の側近と云う立場、自ずと立場は絞られる。それなりの地位を持った一家の末裔と思ってよい。
 アルスはその名字を調べてみたが、これと言って気になるものは無かった。
「何者だ……」
とアルスは呟く。
「アルトは、寧ろアリアを監視しているんじゃない?」
とアリシアは言う。
「監視?」
「アリアの立場が、右腕だと思わせているだけだとすると……」
「そうだとして、何故監視したがる?」
「それは、アルトしか知らないと思うわ。ただ、恐らくアリアにとっては、味方のようで味方じゃない」
と言ったアリシアに、アルスは問う。
「スパイ……か?」
「そう疑われても、文句は言えないハズよ」
赤毛の少女はそう答えた。
 ……ウェブメディアを中心に、UPを採り上げ始めた。それだけ、バスティーユ広場の事件が大きかったことを意味する。
 これが、アリスが懸念していたリアルへの影響の一つだと、アリシアは思っていた。同時に、これはその一端に過ぎない。
 アリスやルートヴィヒとは違い、末端信者故に無名、つまりは誰もがノーマーク。その立場を上手く使えば、どうにかなる。アルスはそう思っていた。

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