LTRL1-9「Digital Overload」

 プログレッシブが会見を開いたのは、鳥栖が撃たれた日から2日後の午後のことだった。新宿の日本法人本社の会議室で開かれた会見の場には、全ての経営陣が並んでいた。
 ファンタジスタクラウドの件は、データ消失の原因から顧客であるユーザーへの対応、はたまた業績への影響から経営陣の進退問題まで多岐に及び、会見時間は3時間を超えていた。VR戦略については、大きな見直しを迫られることになるだろうと語られたが、データ消失の原因については調査中とのことだった。
 今日も休みだったハズの亜沙は、会見が開かれるからと新宿へ出向いた。近くのカフェで、音楽で喧噪をシャットアウトしながら一息に記事を書き上げた後、新宿駅の新南改札前に広がる広場、シンジュクスクエアに立ち寄った。
 ……あの日、鳥栖が語るハズだったデータセンターの件については、ただ調査中の一点張り。海底データセンターは熱暴走が原因だと云うのは報道陣の間でも噂にはなっていたが、富山のそれについては謎のままだ。
 秋葉原で詰め寄った時の口振りと態度から、鳥栖は今日の会見では語られなかったことを掴んでいるに違いない。もし今日の会見と全て重複するとしても、本人から直接聞き出さなければ気が済まない。先ずは、その容態の回復を待つしか無い。
 忙しなく行き交う列車を眺める亜沙は、大きく溜め息をつく。
 ……ネクステージオンラインの事件から、もう2週間が経とうとしている。なのに、何の進展も無いどころか、より大規模な事件に発展している。ただ、関連する企業は全て、不気味なほどに沈黙している。
 社内調査中でコメントできる状態ではない。それだけならマシなのだが、そうじゃないとすれば……一体 何が……。
 今日会見に出た代休は無い。明日からは、改めてこの件の取材と記事に追われるだろう。その明日も朝早い。
「……帰ろう」
と呟いた亜沙は、背後の改札へと踵を返した。

 「デジタル・オーバーロード……?」
スマートフォンを耳に当てながら、通話相手にそう問う少女。初めて耳にする単語だ。
「うん。デジタルによる過負荷。絶えず情報を受け続けることで、脳への負荷が処理能力を超える。そして、脳疲労に直結するんだ」
と答えた少年の手元には、フランス語で走り書きされたノートが有る。
 1時間近く前にアルスが送ってきた写真は、直前の授業で書いたノートだ。彼曰く参考までに、らしいが大いに役立つと思った流雫は、そのまま書き写した。
 「……脳の疲労……物事の判断にも影響を与える……、理性すら覚束なくなる……」
と言った澪に、流雫は
「……VRMMOをプレイする中で無意識に受けていた負荷を、データが消えたことによるストレスが増幅させ、脳が満身創痍に陥っていた。そして、Rセンサーからの電気信号が追い打ちを掛けた」
と言葉を返しながら、ドローイングペンを走らせる。日本語に訳して、澪に改めて送ろうと思っていた。
 「理性を吹き飛ばされ、プログレッシブへの怒りに脳を乗っ取られ、アバターの報復のための凶行に走った……。逮捕された後に覚えてないと言ってるのは……」
「黙秘のためじゃなく、本当に記憶が無い。事件の動画を見せられて混乱したのも、演技なんかじゃなく……何故人を襲ったのかすら判らないんだ」
そう言った流雫に、澪は一つの疑問をぶつけた。
「でも、被害者をピンポイントで狙ったことと、あの罵声はどう説明するの?」
 ……流雫も、その点は引っ掛かる。偶然隣にいた被害者を狙ったのなら未だ説明はつくが、わざわざ離れた場所にいた鳥栖を狙っている。
「……矛盾してるけど、矛盾せず成り立たせる何かが有るんだと思う。僕たちが知らない何かが」
と答えるのが精一杯だった流雫に
「成り立たせる何か……」
と声を被せる澪。その何かが、全ての事件を結び付ける鍵を握る……。
 「それが、電気信号による脳内麻薬だとしても、不思議じゃない」
「オーバーロードの限界突破と脳内麻薬の相乗効果……。……だとすると、厄介過ぎるわ……」
と言って、眉間に皺を寄せる少女は
「……何も気にしなくて済むように、平和になってほしいけど……」
と呟く。その声が聞こえていた流雫は
「何が起きても、澪には僕がついてる」
と返す。だが、それ以外の言葉が出てこないことに苛立ちを覚えた。
 流雫を支えてきた言葉は、同時に澪を支えてきた。しかし流雫は、その言葉だけでは足りない……と思っている。言葉だけでなく、もっと力になりたい。
「ありがと、流雫」
と落ち着いたトーンで返す澪は、
「何時だって、流雫はあたしの力になってるから」
と続けた。
 何時だって一緒だからこそ、時々判らなくなる、自分が澪の力になっていると云う感覚。それだけ流雫が澪のために必死だと云う証左。
 流雫は、何時だって力になっていて、そして決して弱くなんかない。そのことを、この世界で誰よりも知る存在……それが室堂澪だった。
 「……だといいな」
そう言った流雫は、溜め息をついてペンを置き、ノートを閉じた。
 少しだけ脳が疲れた感覚はする、しかし澪と話せたから、どうにかなった。……僕には澪がいないと。だから、澪の力にならないと。

 週末を迎えようとしても、鳥栖からのコメントは無かった。それどころか、その容態については全く報道されていない。尤も、被害者のことについてより、犯人の事や事件そのものの方がセンセーショナルだし、誰もが気になっていることだろうから、報じられないのは仕方ないことなのだが。
 篭川亜沙と宇奈月流雫、それぞれの名前と顔写真が貼られた2枚のプレス用クレデンシャルパスを受け取った女記者は、明日彼に渡そうと思いながらバッグに入れる。澪曰く、土曜日東京に出てくるらしいからだ。
 ただ、そのデート先は警察署。事件が事件だから仕方ないのだが、亜沙は、その意味でも2人は風変わりなカップルだと思っている。
 昼過ぎ、直帰宣言をしてオフィスを出た亜沙は、秋葉原から少し離れた病院へ向かった。905号室が目的の部屋だ。
「……来ると思ってたよ」
と、白い病院着に袖を通し、ベッドに背を預けたままの鳥栖は言った。1週間近く前の風貌も威厳も感じられない。
「一命は取り留めたようで、安心しました」
と亜沙は言い、パイプ椅子に座る。
「……Rセンサーの副作用で、俺が撃たれるとはな……。ファンタジスタの件が有るとは云え、流石に驚いた」
と言って、鳥栖は目を閉じる。他人事のようだが、それ以外適切な言葉が見つからない。
 「……先刻、プログレッシブの連中が来た。容態を気遣うどころか、例の件について口止めされた」
「口止め……?」
「篭川……オフレコな」
と言った鳥栖の目の前で、亜沙はボイスレコーダーを取り出した。
 アプリではないから、何かのトラブルでネットに流出する危険も無い。オフ・ザ・レコードではなく、オフライン・レコード。それが篭川と鳥栖の間だけで通じるオフレコの意味だった。
 「……ファンタジスタの件、最初に死んだのは富山側のデータセンターだ」
鳥栖の告白に、亜沙は目を見開き、
「どう云うこと……ですか?」
と問う。
 「ゲームチェンジャーのケースと同じだ、突如サーバのデータが全て消えた。ハードウェアの状態は常にモニタリングしてあるが、直前まで何の予兆も無かったし、熱暴走なんてものも起きていない」
「……じゃあ、イレギュラーだったのは、海底側のデータセンターだと……」
と問うた女記者に、
「そうだ。当然、異常動作への対応でスイッチングを試みる。だが、操作を始めた時には既に海底側でも消失が起きていた。海底地震は本当に偶然が引き起こした、不幸な事故だった。あれこそ事故だ」
「海底側は、排熱ができなくなったことによる熱暴走の結果で間違い無い。だが、富山側は……原因が不明だ。そもそも、AIが暴走して自分ごとデータを全消去するとは……」
 「そのこと、まさかヘラクレスは……」
と言った亜沙に、鳥栖は
「知らなかったようだ。ゲームチェンジャーの件から、深圳は大騒ぎだ」
と声を被せる。
「AI自体、ディープラーニングについての解明がされていない。だから何が起きようと不思議ではない。しかし自ら全消去は……」
「開発サイドにとっても、完全に予測不能だった……」
と続いた亜沙に、鳥栖は
「ああ」
と答え、溜め息をつくと話の方向を少しだけ変える。
 「……気になるのはFTWの動きだ。Rセンサーがプレイバースごと押収されたとは聞いている。ただ、俺は先刻のプログレッシブの連中から、イベントに持ち込まれていたこと自体初めて聞かされた」
「……先刻、Rセンサーの副作用と……。やはり電気信号で発狂を起こしたと?」
 「電気信号だけでなく、それが分泌させた脳内麻薬との相乗効果。だが、その成分は取調の頃には跡形も無く分解される。……そう云う可能性も有る。しかし、あの犯人が無意識下の犯行に至り、何も覚えていないことを最も矛盾しない形で実現させるなら、それが最適だ」
「とは云え、笑って済ませる気は毛頭無いがな。何しろ、俺の身体に弾痕を着けやがった」
そう言った鳥栖は、贅肉が無い腹部を病院着の上から擦りながら目を開けると、眼鏡越しに鋭い眼差しを亜沙に向ける。
 「プログレッシブのワンワールドを、FTWのRセンサーが強力に後押しする。両者が手を組めばボーダレス化を実現できる、VRメタバースの覇権を握れる。スピンアウトと言いながら、プログレッシブが出資しているのもその理由だ」
「Rセンサーの押収は、両者にとって予想外だったろうな。ワンワールドの進捗にも、大きな影響を及ぼしかねん。……だから、プレイバースのトップの俺に口を割るなと言ってきたワケだ」
 「プログレッシブが何よりも護りたいのは、ワンワールドの未来……ですか?」
と亜沙は言う。鳥栖は
「当然だ」
と頷いた。
 「オールウェイズ・ネクスト・レベル。常に次の次元を目指す、それがプログレッシブのキャッチコピーだ。ワンワールドはその集大成として位置付けられている。俺がプレイバースに移らされたのも、そのためだ」
「……あれはゲーム依存症の果ての凶行で、Rセンサーには問題は無い。それが、開発の手を止めないために連中が望む唯一の結論だ。……だからオフレコなんだ」
その言葉の間、ただ険しい表情で見つめるだけの亜沙に、鳥栖は言った。
 「……お前がTMNに入り、やがてメタ部に回されたのは、メタバースのダークサイドを暴くため。それは流石に出来過ぎた話か」
「教授の話、強ち……間違っていないのかもしれませんよ」
と亜沙は言い、漸く微笑を零した。

 ……大学で亜沙が学んでいた情報系の科目の一つを担当していたのが、客員教授を務めていた鳥栖だった。亜沙の授業での直向きな態度とeスポーツプレイヤーとしての活躍ぶりには目を見張っていた。
 TMNに彼女の採用を提案したのも鳥栖だった。彼から女記者への要求はただ一つ、篭川亜沙はゲームしかできない女だと思われるような働きぶりだけはしないこと、だった。
 表向きは仕事上の面識が有る程度だったが、それはそう云う事情が有るからだ。
 それから2年近く、亜沙はひたすら働いてきた。ゲームで培ったと言えなくもない執念ぶりから、同業者からはハイエナ呼ばわりされる時も有るが、それだけ怖れられている証拠だ。メタ部に異動になっても、それは変わらなかった。
 そして今、その目の前にいる恩師が撃たれた事件は、メタバースと云う新たな世界を巡る陰謀の影響と言えなくも無い。
 ……ハイエナにも、ハイエナのプライドが有る。軽く頷いた亜沙を鳥栖は
「篭川」
と改めて呼び、睨むような目付きで問う。
「……TMNにも手が回るかもしれん。あくまでも穏便に解決したい手がな。勿論、お前にも。……今更問うが、覚悟は有るのか?」
「はい。……穏便に片付くことに、越したことは有りませんが」
と亜沙は答える。
 ……自分から何か事を動かすことは無いが、プログレッシブがTMNに圧力を掛けてくることは最初から判りきっている。上層部は、事と次第によっては真相を有耶無耶にしようとするだろう。その時は絶対に噛み付く。亜沙はそう決めていた。

 女記者が去って1分後、鳥栖はスマートフォンを手にした。とある先にメールを1件送った後、帝国航空のアプリを起動させ、プログレッシブのアカウントから航空券とホテルの予約を済ませる。
 6インチの画面に表示された旅程は、東京から福岡への最終便と、福岡市内での2泊。その数分後に届いたメールで、VIPパスも発行された。
 ……ノーサブ行きの手配は整った。

 病院を後にした亜沙は、溜め息をついた。鳥栖との会話は、元の立場の違いからか緊張する。
 かつての教授で尊敬はしているが、何しろ今は特に、渦中の企業の上層部にいる。自分から余計な事を話すワケにはいかない。
 ……そして最も余計な事、それは澪の存在だった。
 女子高生を仲介して、警察との個人的なパイプができた。このことが他に知られれば、厄介なことになる。力を貸してほしいと頼んだ末に、澪とその恋人が被害を受ける……それだけは何が何でも避けたい。
 ただ、そもそも何故……鳥栖はプログレッシブの内部問題まで話したのか。義憤に駆られたから、では説明がつかない。
 亜沙は溜め息をつきながら、帰り道を急ぐことにした。帰ってすぐ、ボイスレコーダーの件を書き留めたい。同時に、明日臨海署へ出向くことに決めた。今日の話を出すことは多少なりリスクが有る、だがそうも言っていられない。
 メタバースの未来のため、とカッコつけたいワケでもない。自分の記者としての才能を見せつけたいワケでもない。ゲームしか能が無い女と思われないように、踊り子を由来とするプレイヤーネームに劣らないように。
 それがハイエナ、篭川亜沙の何よりのプライドだった。


次回 https://note.com/lunatictears/n/n41df6f04e024

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