LTR AIS 1-1「Unknown Prediction」
花の都、パリ。無数の観光客が行き交うバスティーユ広場。世界的にも有名な場所の隅に、石碑が建てられている。
その前に跪く、一組の男女。赤いシャツの上から白いジャケットを羽織るブロンドヘアの少年と、赤いロングヘアに緑のシャツの少女。
何十分もそうしている気がするが、腕時計の表示は1分しか経っていないことを示す。
「少しは、贖いになるといいが」
「十分じゃない?」
フランス語で短い言葉を交わす2人。赤毛の少女は、隣の少年が何を思っているのか判っているだけに、否定しない。この場所は、彼にとって或る意味重要な意味を持つからだ。
アルス・プリュヴィオーズ、アリシア・ヴァンデミエール。16年来の幼馴染みで、気付けば恋人になっていた。無論、2人に特別な意識は無いのだが。
アルスはこの場所で、1人の少年を思い出していた。1万キロ離れた日本で暮らす、元フランス人。彼の運命は、16年前この場所で変わった。
パリでの最大の目的までは、2時間有る。この場所で過ごしてもいいが、寄りたい場所も有る。アルスは踵を返すと、目の前の光景に目が止まる。
人が飛び出したワケでもないのに急停止するタクシーに、クラクションを鳴らしながらバスが追突する。後部を大破させて弾かれるタクシーを捉えるブルーの瞳、その主は
「アリシア!!」
赤毛の少女に抱きついてその場に押し倒す。
「アルッ……!!」
アリシアの声は、爆発音に遮られた。
爆風と熱が去った後で、アルスはアリシアの目を手で覆いながら上半身を起こす。
燃え上がるタクシーのボディは飴細工のように変形し、バスも炎に包まれている。
「テロかよ……!!」
と、声を張り上げたアルスは、怒りに満ちた眼で
「お前は此処にいろ」
と言い残し、アリシアから離れる。
タクシーには近寄れない。文字通り火に包まれ、近付くと逆に危険だ。アルスは、バスの非常口から脱出する乗客を手伝う。
運転士は頭から出血し、ステアリングホイールに覆い被さっている。意識は無さそうだが、助けない理由は無い。
「……何なんだよ……」
とだけ呟き、男の身体に手を伸ばすアルス。運転士を非常口から降ろすと、最後に飛び下り、そのままアリシアの眼前に戻る。
「……最悪だ」
と呟いたアルスの頭に手を乗せたアリシアは
「よくやったよ」
と言う。恋人への二次被害を怖れ、自分をこの場に残させた。そして出来る限りのことをした。それだけでも彼はアリシアの誇りだ。
……この場所に立ち尽くしていても仕方ない。この怒りは忘れることにし、アルスは今日最大の目的地へ向かうと決める。
その瞬間、アルスのスマートフォンが通知音を鳴らす。ポップアップの見出しに目を向けたアルスは、無意識に黒い端末を耳に当てた。
パリの中心部にそびえる教会。その扉を開けた2人を出迎えたのは、三つ編みにしたブロンドヘアの少女だった。白いケープを羽織っている。
「パリへようこそ、敬愛すべきシュヴァリエたち」
と言って、彼女は2人を特別室へ通す。騎士、それは彼女ならではの言い方だ。
「……聖女が俺らを招いていいのか?敵対関係だぞ?」
と皮肉っぽく言うアルスに、聖女と呼ばれた少女は
「私の特権よ」
と答え、秘書が淹れた紅茶を啜る。それに被せるように、アリシアは
「……聖女アリス。アタシたちをパリに呼び出して、一体何を?」
と切り出した。
聖女アリス・メスィドール。フランスで生まれた新宗教、太陽騎士団の象徴。普段はフランス北部のダンケルクにいるが、今日は2人に会うためにパリまで来た。同い年のアルスやアリシアは血の旅団と名乗る教団に属しているが、2つの教団はルーツこそ同じながら敵対関係に在る。
かつて、アリスを巡る大事件が起きた際、アルスとアリシアが彼女を助けた。それ以来、聖女は2人を騎士と呼び、尊敬している。尤も、立場としては御法度なのだが。
「……UP、聞いたことは有るかしら?」
とアリスは問い返す。2人揃って、小耳に挟んだ程度だ。
「アルカバースのバーチャル教団か」
とアルスは答える。
「そうよ」
とアリスは頷いた。
日本発のVRメタバース、アルカバース。アルカディアとメタバースの造語。海外でも急速にシェアを伸ばしている。そのアルカバースで、UPと名乗る教団が生まれた。
未知の預言を英語で略したのが由来だが、その信者は徐々に増えていると言われている。ただ、知っているのはそれだけだ。崇拝対象すら知らない。
「UPと何か有ったのか」
とアルスは問う。
「今は何も。ただ、教会も無くて実態が掴めないから、現状は少し警戒せざるを得ないわ」
とアリスは答えた。
メタバース上に教会のグリッドを構えてあるだけで、物理的な教会を持たないことが、UP最大の特徴だった。当然、崇拝すべき偶像も無い。
「0と1の集合体に平伏す宗教な……。新時代的だが、どうも違和感が有る」
とアルスは言う。
VRデバイスを装着して、場所を問わず礼拝する。その光景が、想像する度に滑稽としか思えないのだ。とは云え、近い将来当然の光景になるのだろうか。
「公には言えないけど、協力してほしいの」
とアリスは言った。
アリスに敬愛されるアルスとアリシア。しかし、2人は対立する異教の、それも末端信者に過ぎない。つまりは、本来こうして対等に話すこと自体有り得ないし、御法度だ。だが、その決まりを自ら破ってでも、私的扱いとしてでも頼りたいほど、聖女は悩んでいるのだ。
メタバースを活用しての教団の求心力も然る事ながら、信仰する者の態度次第では現実社会に混乱が起きる。その懸念が、アリスの不安を掻き立てている。
十数秒の沈黙を経て、アルスは
「……どう云う形で、か教えろ。後で構わない」
と言った。アリシアも同じ答えだった。
ノーと云う答えは最初から持っていない。ただ、一度は答えに迷っているフリをしたかった。その場の勢いだけで即答できるような軽い話ではない以上、それが礼儀だとアルスは思っている。
「尽力を期待するわ」
とアリスは言った。依頼していながら冷淡な言葉に、アルスとアリシアは口角を上げた。
アリス自身、2人に大いに期待していた。しかし、聖女としての立場がそうさせる。異教徒、悪く言えば邪教の傀儡相手なのだ。対外的に冷たい態度でなければならない。そして、その理由を2人も知っている。
今日はこの教会に泊まることになっている。異教徒を泊まらせるのは、周囲の目が有る。だから人目に付かない、上級司祭用の部屋を特別に宛がわれた。教会の主も、2人のことをよく知っていて歓迎する。
ディナーの後、2人の部屋に男が入ってきた。
「私も歓迎するよ、シュヴァリエたち」
「お前の口からそう出るとは、そろそろアルマゲドンでも起きるな。ルートヴィヒ・ヴァイスヴォルフ」
とアルスは言った。
ルートヴィヒ・ヴァイスヴォルフ。ドイツ人で、アリスの秘書の一人。一時期は彼女の即位をよく思わなかったが、今では有能な秘書として活躍している。
悪態に関しては天才的だ、と思いながら、ルートヴィヒは昼間のアリスの話の補足をする。
「UPの象徴は、ARIAと呼ばれる存在だ。AIが生み出したとされている」
「聖女のようなものか」
「そうだ。偶像を持たないバーチャル聖女だ。日本ではサブカルチャーを中心に、ストリーミングが流行っている。その延長としての求心力が高い」
とヴァイスヴォルフは言う。だが、2人の頭には一つの疑問が浮かぶ。
「太陽騎士団が、UPの何を警戒する?現実社会での台頭か?」
「そうだ」
とヴァイスヴォルフは答える。
「日本は特に、ストリーミング文化の先進国だ。それで一つのマーケットすら成り立っている」
「カリスマと呼ばれるライバーの感覚で聖女を仕立て、アルカバースを舞台に布教して勢力の拡大を狙う。それが現実社会に……」
とアリシアが言う。ヴァイスヴォルフは頷いた。
「実態が見えない以上、現実社会にどんな影響を及ぼすか判らない。だが、アルカバースの海外展開拡大に乗って、フランスでの影響力も増すことは明白だ」
「あくまでも潰す気は無く、必要なら予防線を張りたい。そのために俺らを必要とした。それが実態か」
と言ったアルスに、ヴァイスヴォルフが続く。
「お前らに頼るのは、個人的には不本意だ。だが、聖女アリスがそう仰せだからな、俺は秘書として従うだけだ」
その言葉に、アルスは眉間に皺を寄せた。
アルスとヴァイスヴォルフは、或る意味似た者同士。それはアリシアから見てもよく判る。
「……太陽騎士団も、アルカバースにグリッドを構えている。その都合、教団としてVRデバイスを持っている。そいつを貸す」
とシュヴァルツは言った。
アルカバースにログインし、UPの実態を探り出せ。それが協力の中身だった。アリシアは言った。
「……聖女アリスのためにも尽力するわ。ところで、見返りは何?」
ヴァイスヴォルフの眼が、赤毛の少女に向く。
「血の旅団を頼った時点で、要求は予見できていたハズよ。何も求めないとでも思ってたの?」
「……褒美は後々決める」
とヴァイスヴォルフは言い、部屋を出て行く。今この場所で不毛な争いをする気は無い。
アリシア自身、別に見返りは求めていない。ただ、そう言って牽制するのは、甘く見られないための口実だった。
アリスに罪は無い。だが、目の前の上級司祭候補は、敵視の必要こそ無いが話を鵜呑みにすることはできない。
「……宗教がメタバースに進出か」
と言ったアルスに、アリシアは続く。
「何時かはそうなると思ったけどね。でもやっぱり……」
「日本は厄介な国だ」
とアルスは言った。