LTRL1-7「Visit A Mine」

 「ただのアバター……!?」
男の声に殺気を感じるが、流雫は怯まない。プログレッシブ関連で何が起きているかは知っているから、一言で言えば確信犯だ。尤も、アバターの意味は分身だから、言葉だけを捉えれば流雫も間違ってはいないのだが。
 「お前も死にたいか!?」
そう声を張り上げ、流雫に銃口を向ける男。しかしその手は震えている。火薬の爆発の反動に抗うこと2回、腕の疲労は一気に高まっていた。
 ……あと4発。流雫はブルートゥースイヤフォンをリンクさせた。
「流雫……」
と最愛の少女の声が聞こえる。それがグリーンシグナルになって、一気に地面を蹴った。

 ワンルームマンションと職場を往復するだけの、惰性的に過ごす日々。出逢いも無ければ代わり映えなど何も無い。その唯一の癒やしがゲームだった。特にファンタジスタクラウドは、そのリリースと同時に手を出し、1日もログインを欠かしたことは無く、休日も朝から夜までプレイしていた。
 白銀の聖戦士として、AIが生み出す敵を華麗に薙ぎ倒し続けた。無双し、その強さから慕われ、ゲーム内での恋人すらできた。リアルよりも充実したVRMMOは、もう一つの生活空間と化していた。
 ……栄光が、原因不明のデータ消失で全て消えた。リアルでの連絡先交換はSNSを含めてしていなかったから、徹夜してまでSNSを片っ端から捜し回ってみた。だが、恋人どころかパーティーのメンバーすら誰一人見つからない。
 無に戻ったのではなく、虚無を手に入れた。それは、無よりも空虚なもの。到底受け入れられるワケもない。だから、これはアバターとゲームデータの仇討ちであり、正義の鉄槌と同義。それなのに、目の前の少年はたかがゲームのアバターだとほざいている。
 どうやって思い知らせるか……。
 そう思った男の前で、流雫は銃を持ち替えた。
「ほっ!!」
と声を上げながら、銃身の角を脇腹に叩き付ける。
「おご……っ!!」
見難い声と共に顔を歪める男は、シルバーヘアの少年を睨んだ。もう容赦しない、殺す……。
 流雫は、正対する男を見ながら後ろに下がろうとする。……このまま自分だけを標的として、一気に近付いてくれば、救急隊員は撃たれた男に近寄れる。後は警察が駆け付けるまで、どう凌ぐか……。
「てめぇ……!!」
男は脇腹に手を当てながら声を張り上げ、走り出した。流雫は咄嗟に踵を返す。……干支2周以上も年下の生意気な少年の戦略に、嵌まった瞬間だった。
 流雫に銃を向けた男は、しかし僅かに右にずらして撃った。銃声と同時に、銃弾が流雫の後ろの看板に刺さる。
 シルバーヘアの標的は微塵も表情を変えず、しかし正当防衛成立の条件が全て整った瞬間を逃さなかった。オッドアイの瞳で標的を捉え、両手で銃を構え、銃口を僅かに下に向ける。三日月状の引き金、その中心にはみ出た最後のセーフティロックごと、一息に引く。
 救急車のサイレンと周囲の騒ぎ声に掻き消される2つの銃声、そして顔を歪める男。しかし、
「この程度か!!」
と声を一際大きく張り上げる。流雫と澪は目を見開き
「何が……!?」
と同時に口にした。
 ……中年の男の、くたびれたデニムの太腿には血が滲んでいる。2発の銃弾が刺さっているハズだが、痛みを殆ど感じていないのか、威勢だけは衰えない。
「まさか、Rセンサー……!」
と澪は呟く。その声は、流雫の耳にも届く。
 データ消失に対する義憤が、痛覚を麻痺させている……それだけでは説明がつかない。もっとダイレクトに麻痺させるだけの要因。今思い浮かぶ限り、答えは一つだけ。流雫は思わず口にした。
「……副作用……!?」

 脳に直接電気信号を送り、本来在りもしない感覚をもたらす。それは言い換えれば、本来脳に届くべき情報と感覚を改変していることになる。脳はあまりにもデリケートな部位だけに、改変の副作用が有っても不思議ではない。
 そして、理性の制御が通じない……まるで薬物中毒に陥った……ような……、……薬物……!?
「……脳内麻薬が……副作用の正体……!?」
恋人の口から出た言葉に、澪は目を見開く。
 ……脳内麻薬。もし昨日の事件も同じ原因なら、Rセンサーの副作用で脳内麻薬が生まれ、それが発狂に至らしめた……。
「澪!」
と声を上げ、明澄が近寄る。澪は
「……あの犯人が直前に遊んでいた、プレイバースを探してほしいんです……!」
と頼む。
「一体何を……!」
「後で話します!」
とだけ言った澪は、靴底を鳴らすと最愛の少年の隣に寄る。
 「澪!?」
「天罰!?立派な殺人未遂よ!」
と声を張り上げる少女に、男の殺意が向く。
 自分を肯定し、拠り所にすらなっていたゲームを失い、それに対する義憤さえ真っ向から否定された。……全てを否定された。
「ふざけ……やがっ……!」
力が入らない苛立ち混じりに、ボブカットの少女を睨む中年の男は銃を構える。しかし足がふらつき、照準を合わせられず、遂には膝を地面に突いた。
 だが、それで少しは身体が固定した。男は怒り任せに引き金を引くが、標的から外れた銃弾はタイルの表面を削るだけだった。
 流雫は一歩だけ踏み出し、一気に地面を蹴る。男が反応するが、しかし足の痛みに邪魔され目を瞑る。
「!?」
一瞬の間に、標的が消えた。左右を見回そうとする……より早く、背中に重い一撃が刺さる。
「ごっ……!!」
目を見開きながら涎を吐き出す男。その頭上を跳び越えた流雫の両足が、背中を踏み付けていた。踏むと云うよりは、足の裏全体で蹴落とす感覚に近い。
 そのまま地面に叩き付けられた男は、銃を落とした。澪がそれに反応し、その銃身を踏み付ける。流雫は後ろ首を掴み、背中に膝を押し当てて力を入れた。
 2人に屈した犯人の患部に、急に痛みが戻ってきた。脳内麻薬が切れたのか……?
「ああああああああ!!」
と大声で叫ぶ男の声が、ビルの壁に反響する。
 何時しか人集りができていたが、誰もが唖然としている。昨日の件も今日の件も、BTBでは絶対に見られない動きとその結末が繰り広げられた。それは、これがデスゲームなんかではないことを思い知らせている。
 「そこまでだ!」
と声がした。警察官が漸く駆け付けた。流雫が警戒しながら男から離れると同時に、犯人の手に手錠が掛かる。
「ふぅ……」
2人揃って無事……そのことに一瞬安堵した流雫は、目線の先で担架に乗せられた鳥栖が救急車に運ばれるのに気付く。
 「……デスゲーム、なんかじゃないんだ……」
そう呟くように言い、唇を噛む流雫の隣で、澪はただ
「流雫……」
と、最愛の少年の名を呼ぶことしかできない。
 ……ゲームのデータ消失、憤怒したい理由も判らなくはない。だが、だからと人を撃っていい理由にはならない。そして、犯人を止めるための戦いはデスゲームなんかじゃない。
 言葉を失った人集りの中心で、複雑に交錯する感情と戦う少年に近寄る夏樹。
「無事……そうだね……」
と安堵の溜め息混じりに言った相手に、流雫は言葉を返さない。その隣に、プレイバースを持った明澄が近寄る。先刻頼んでいたやつか。
 「これらしい……」
と言った男勝りな少女からデバイスを受け取った澪は、眉間に皺を寄せ、無意識に口にした。
「……着いてる……」
昨日写真で見たものと全く同じものが、目の前に有る。
 「Rセンサー……!?」
と夏樹が声を上げる、と同時に
「流雫くん!澪ちゃん!」
と2人の名を呼ぶ刑事が近寄る。
「弥陀ヶ原さん……!」
と流雫は呼び返した。
 弥陀ヶ原陽介。エムレイド所属の刑事で、澪の父常願の後輩。流雫にとっては、何となく年が離れた兄のような感覚がする。
「まさか、昨日と同じか!?」
と問うた弥陀ヶ原に、流雫は頷く。それと同時に
「……この2日間の事件の手掛かりに、なりそうなものが……」
と言いながら澪は、顔見知りの刑事にプレイバースを手渡す。
 「VR……?」
「犯人が直前にプレイしていて……」
と答える刑事の娘の隣に亜沙が寄り、
「TMNメタ部の篭川です」
と名乗り、続ける。
「……彼女が言った件で、話が有りまして」
「話……?」
と弥陀ヶ原は首を傾げながら
「とにかく、取調だ」
と言い、全員を駅前の交番に連れて行った。

 5人を通すだけの小さな部屋は、交番の奥に有る。
「近くの署は昨日から慌ただしくて、部屋が使えなくてな」
と言いながら、弥陀ヶ原はインスタントコーヒーを5人に出す。少し遅れて、澪の父も現れた。別の現場から駆け付けたようだ。
 あの場で何が有ったのか、淡々と答える5人。3人は短くて済んだが、流雫と澪……特に流雫は引き金を引いただけに長引く。正当防衛に至った経緯を説明しなければならないからだ。それが面倒なことが、できる限り撃たない、その理由の一つでもある。
「……ゲームのデータ消失が犯行動機にしたってな……ゲーム脳の狂気、ゲーム中毒の末の凶行だとして片付けられるだろうな」
と言ったベテラン刑事に
「その鍵を握るのが、このRセンサーではないかと……」
と亜沙が被せる。
「Rセンサー?」
と初めて耳にする名前を口にした常願に、女記者は簡単に仕組みを説明する。
 「つまり、脳への電流が感覚や性格の改変を招いたと……」
と言った弥陀ヶ原に頷く亜沙は、しかし眉間に皺を寄せ、
「ただ、それが個人差による偶発的なものか、と言われると……。何しろ2日連続なので……」
と言う。
 この2日間で、このデバイス1台でプレイした人数は多くても60人に満たないが、結果2人が発狂した。
「FTWを当たる必要が有るな……」
と常願は言った。それに澪が問う。
「Rセンサーのこと……直接聞き出すの?」
「それしか有るまい」
と、その父は答えた。

 中断したままのイベントは、5人が解放される前に午後の部のキャンセルが発表された。BTBの予選会の残り試合は行われなかったが、準決勝に進んだ時点で全国大会のメンツは変わらない。
 その最後に、その出場プレイヤー4人が並んだ。澪は紅一点として、そしてチュートリアルを除いて今日が初プレイだっただけに、注目を集める。
「……キルされないようにと思って、それだけで……」
と澪は言ったが、謙遜ではなく事実だった。そして、誰もが気になる1回戦のことは
「相手の手を深読みし過ぎて……」
と答えた。ギャラリーや他の出場者は、ただのビギナーあるあるだと思っていた。ただ、澪にとっては、互いを知り尽くしているからこそ陥った。それに比べれば、キルした2人は楽だった。
 それが終わると、MCが閉場のアナウンスをしようとした。しかし突然、何人かの男女が前に飛び出す。聞こえた怒号は、ファンタジスタクラウドについてだった。
 罵詈雑言が気になるが、この件はあくまでも無関係。5人は駅前の会場から離れ、駅の商業施設に入ることにした。だが全員、表情は明るくない。
 2日間のイベントは、そのどれもが途中で打ち切られた。それも、来場客の発狂による殺人未遂として。だから正直、楽しいと思うことは無かった。
 少しだけ話して、流雫と澪は3人と別れた。何か、VRだの事件だので、別世界にいたような感覚さえ抱く。
「……渋谷、行きたい」
と言った流雫に、澪は
「美桜さんに会うの?いいよ、あたしも会いたいし」
と答える。2人は改札へと足を速めた。

 日本有数の繁華街、渋谷。そのハチ公広場の一角に、慰霊碑が建つ。2023年8月の東京同時多発テロ、トーキョーアタックで2度目の爆発が起きた場所だ。その前に立つ流雫は
「……美桜」
と呟く。それは、流雫のかつての恋人の名前だった。
 欅平美桜。流雫とは高校の入学式で知り合った。恋人……とは云え、それまで家族以外とロクに話したことが無かったから、どう接するべきなのか……全てが手探りで、戸惑っていた。
 ただ、美桜と少しずつその経験を経て、漸く人と接すること、恋愛することが判ってくるようになった。だから1学期の終わり、夏休み明けに初めてのデートをしようと約束した。そして流雫は、フランスの故郷に帰った。
 ……だが、あの夏休み最後の日曜日。美桜は同級生と高速バスで日帰りの東京観光に出ていて、大規模な爆発に遭遇した。ほぼ即死だった。そして2学期になって、
「宇奈月が欅平を見殺しにした」
と学校で言われるようになった。
 ……美桜が渋谷に行くことを知っていれば、フランスから帰ってくる飛行機が遅れていなければ、合流して回避できた。そもそも里帰りしなければ、同級生と東京に行かず地元でデートして遭遇しなかった。だから流雫の落ち度でしかない、と。 
 味方が欲しいワケではなかったが、流雫をフォローする手を差し伸べる人などいない。いや、いたことはいた、ただ流雫が無意識に拒んでいた。そうして完全に周囲を拒み続ける中、澪とSNSで知り合った。
 ……語弊を怖れず言えば、美桜の死が流雫と澪を引き寄せた。それが、2人の今に至っている。
「……美桜さん……」
澪は流雫に続いた。
 彼女の死の上に成り立つ恋愛を、喜ぶべきなのか……そう迷っていた澪は、夢で美桜と出逢った。その夢で、別れ際に美桜に託された。
「流雫のこと、頼むよ」
と。その一言を言ってほしい、そう深層心理で思っていた。だから、彼女との夢を見た……と少女は思っている。ただ、それでも託された……だから迷わないと決めた。
 そして澪はかつて、この場所で約束した。流雫を絶対に死なせはしない、と。流雫を殺されないことは、美桜との約束を果たしていることと同じこと。そのためには、自分も死ぬワケにはいかない。
「……見守っていてください……あたしと流雫のこと……」
と、少女は小さな声に乗せた。その隣で流雫が
「美桜……澪を頼むよ……」
と言った。僕は強くないから、その一言は口にしないが、最愛の少女には判る。
 今まで澪がテロに遭遇しても死ななかったのは、美桜が護っていたからだと思っている。流雫はよくも悪くも、自分の功績になりそうなものの類を認めていなかった。
 宗教を巡る大きな戦いも、澪や詩応、それにアルスたちがいたからこそ、誰も死ななくて済んだ。そのフランス人に讃えられて否定しなかった事は有るが、単に澪や詩応の名前も混ざっていたからに過ぎない。
 ただそれだけに、詩応の首の怪我は敵の動きを予測できなかった自分の落ち度だと思っていた。流雫は悪くない、と澪は恋人を宥めるのに必死だった。
 ……この場にいると、大都会の喧噪も何故か聞こえなくなる。その静寂に身を任せると、2人は不意に身体が軽くなり、そして軽く背中を押される気がした。この地球にいない少女を感じられたからか。
「サンキュ、美桜」
「ありがと、美桜さん」
2人の声が重なった。


次回 https://note.com/lunatictears/n/n5df7357d37e5

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