LTR AIS 1-5「Engage Ring」

 10日間だけ一緒の学校生活も既に3日目。相変わらず、流雫には3人を除いて誰も近寄らない。その分気楽でいい、と流雫自身は思っている。
 放課後、帰ろうとする2人は、教室の外に1組の男女を見る。愛理明と有人だ。目的は言わずもがな。
「……時間有るかしら?室堂澪 、宇奈月流雫」
と正面から問う愛理明に、澪は
「……UPのことですか?」
と問い返す。愛理明の目付きが険しくなる。しかし冷静な態度のまま
「……生徒会室へ」
と言った。
 ……予想外のことに、流石の流雫と澪も身構える。今の反応は、アリアが愛理明だと暗に認めたようなものだ。そしてUPとの関連にも否定しなかった。
 生徒会室は謂わば愛理明のホーム。飛躍すれば、敵の拠点に招かれた……ことになる。どんな話になるのか。
 整然とした生徒会室に5人。流雫と澪、愛理明と有人、そして望明。澪はその名前を呼ぶのを聞いて、初めて彼女が愛理明の妹だと知った。
「……UPの何を嗅ぎ回っているの?」
愛理明の口調に、聖女としての穏やかさは無い。
 先に動いたのは流雫だった。
「教会グリッドにサブリミナル効果を仕掛けた理由は?」
「サブリミナル?」
「画面に赤い映像が混ざっていました。黒い線が何本も走って、そう……何かの輪郭のような」
と、今度は澪が言い、更に流雫も続く。
「低リフレッシュレートだからこそ表面化した問題。逆に言えば、気付いてない連中も多い。そうして知らない間に、UPへの帰依を誓うようになる」
愛理明には、2人が言っている意味が判らない。赤い映像など見た覚えが無い。ただ、固執したがるなら話を強制的に変えるだけだ。
 「何を嗅ぎ回っているの?」
と愛理明は再度問う。
「……パリの自爆テロ犯が、UPを信仰していたと言われてる。果たしてそれが真実なのか、気になってる」
と流雫が答えると、愛理明は怪訝な表情を露わにする。
「フランスのことを日本で気にするの?」
「グローバルなVRメタバースである以上、現実世界への影響がどの国に及ぶか判らない。だからフランスでのことでも、対岸の火事ではいられない」
と流雫は言った。
 アルスからの話と、愛理明がアリアと同一人物なのではと云う疑問が全ての発端だった。言わば好奇心の延長だ。しかしパリの件が、流雫を突き動かした。
 流雫にとっての祖国には、今も両親が住んでいる。毎年2週間ほどフランスに帰り、家族で平和を享受しているのだ。その国で起きる不穏に、流雫がナーバスにならないワケがない。
 「……UPは他の信仰を妨げない。犯人がUPを信仰しているからと云って、UPが犯罪者の巣窟扱いされる理由は無いわ」
と愛理明は苛立ちを露わにする。しかし、流雫は止まらない。
「それは逆も同じこと。UPのために他の教団が影響を被るのも違うハズだ」
「そこまでだ」
と口を挟んだのは有人だった。
「……愛理明様に無礼だと思わないのか?破壊の象徴の分際で」
その言葉に、流雫の目付きが変わる。
 「太陽騎士団……?」
「私が知識を与えたまでだ。私は15歳までフランスにいた。信者ではないが、関連書物を読んだことが有る。そのオッドアイの意味も判っている」
と愛理明は言い、澪に目を向ける。しかし、澪の眼差しは鋭さを弱めない。
「流雫が、破壊の象徴……?」
と、澪は小さい声で口にする。その理由も、澪は流雫を通じて知っている。
 「UPはこれからの時代を率いる規範となる。その中心にアリアが鎮座し、人々はアリアを信仰することで、勝利者として新たな時代を生きることができる」
と愛理明は語気を強めた後で、少しだけトーンを落として諭す。
「太陽騎士団を貶める気は無い。しかし、その目をしている以上、奇怪な目で見ざるを得ないのだ。それは判るだろう」
それは、流雫が地元で同級生から疎まれている理由そのものだった。澪は何か言いたげだが、何も言わない。
「俺は、愛理明様に噛み付こうとする奴には容赦しないからな」
と有人は言う。それは男女問わずだ。
 「……僕にも知りたいものは有る。護るべきものだって有る」
と言って椅子を立ち上がる流雫は、
「澪、帰ろう」
と言って踵を返し、生徒会室のドアを開ける。有人が
「未だ話は……」
と呼び止めるも、流雫は
「僕は終わった」
と意に介さない。澪は頭を下げ、
「……あたしは、流雫の味方ですから」
と言い残し、生徒会室を後にした。
 「……帰りましょう」
と愛理明は言った。
 ……2人を牽制して黙らせたかったが、感覚としては黒星だ。有人の言葉が逆鱗に触れたか。そう思ったが遅い。
 だが、今日はアルカバースにとっては最高の日になる。当然、自分の一家にとっても。

 苦虫を噛み潰した表情の澪は、大きく溜め息をつく。
「流雫は……」
と澪が呟く。先刻の遣り取りで、流雫をバカにされた。その苛立ちの遣り場を見つけられない。
「どう出てくるかは読めたから」
と平気な表情で返す流雫。
「澪がよく思っていないのも判るけど」
「……うん……」
と頷くだけの澪に、流雫は言った。
 「……麻布が気になる」
「え?」
「室町さんには従順だけど、恋人同士の態度じゃない。絶対的な主従関係が見え隠れしてる」
と流雫は言う。
 「生徒会長と書記、それ以外に?」
「うん。室町さんがグループMの創業一族、ならば麻布はそれに仕える立場の一家。だとしても、何か線がつながらないんだよね……」
その言葉に被さるように、逢沙からのメッセージが澪のスマートフォンを鳴らす。
「アルカバースが室町家のものになるわ」
とだけ書かれている。
 ……テックスタートがグループMの出資を受け入れ、その傘下に入る。その合同発表が始まったのは1時間前のことだ。当然ながら逢沙も出席し、矢継ぎ早に質問を浴びせている。
 少しだけ新宿に寄ることにした。と云っても駅近くの雑貨屋で、新しいペンとノートを手に入れるためだ。授業中にインク切れになったのは痛いが、アルカバースの件も含めて書き続けているのだから、或る意味当然ではあるのだが。
 その用件をすぐに終えた流雫と澪は、シンジュクスクエアに戻る。肌寒さが、少しだけ頭をクリアにする感じがする。
 近くで捜し物をしている女子がいる。何でも、婚約指輪をこの辺りで落としたらしい。近寄った手前、流雫と澪が手伝うと、割とすぐ見つかった。
 深々と頭を下げられる2人は、安堵の溜め息をつく。婚約指輪か……、……婚約?
「まさか……」
と流雫は呟く。
「流雫?」
と声を上げた澪に、流雫は言った。
「室町さんがアリアなのは、婚約指輪代わり……?」

 アリアがいるのは、アルカバースが公式に構えた教会グリッド。そしてUPの目的も絡めば、アリアの存在は言わば、テックスタートとグループMの婚約指輪。難航しているとされた提携先交渉も、一種のカモフラージュだったとすれば話は繋がる。
 愛理明はAIに言動を学習させ、アリアと云うマリオネットを操っている。しかし、彼女自身は一家のマリオネットでしかない。
 だとすると、有人はテックスタートサイド……とは思いにくい。書記と云う右腕の振りをした婚約指輪の片割れではない。恐らくは、もっと別の目的で愛理明にコンタクトしている。
「……あたしには判らない立場ね。でも流雫をバカにされたことは、黙っていられないわ」
と澪は言った。
 ただ同時に、愛理明の妹が気になっていた。室町希明。あの場では何も言わなかったが、4人を見る目が終始不安に駆られていた。まるで今の姉を、よく思っていないかのように。

 澪は今日ばかりは、アルカバースにログインするのを止めた。折角流雫といるのだし、1日ぐらいログインしなくても何も変わらない。とは云え、澪のスマートフォンから聞こえてくるのは、アルカバースの話題だったが。
「明日あたり、一緒にする?」
「いいですよ」
と、通話相手の誘いに乗る澪。
「詩応さんとなら、楽しめるハズですから」
「澪と遊ぶ手段が増えるのは、いいことだしね」
と、詩応と呼ばれた少女は返す。
 伏見詩応。名古屋に住んでいる少女。ブラウンのショートヘアは、濡れた猫の毛のように見える。ボーイッシュなのは、かつて陸上部にいた名残でもある。
 通り魔に殺害された姉に関する謎を探る中で、同い年の流雫や澪と知り合った。今は澪を慕っている。
 澪は結奈と彩花、そして流雫以外と話す時は丁寧語だ。意識しているワケではないが、気付けばそうなっている。
「じゃあ、明日」
と言って、詩応は通話を切る。2人は隣同士、肩を合わせる。
「……アルカバースにいると、何か不思議な感覚がするの。リアルとバーチャルの境界線が、曖昧になっていくような」
と澪は言った。
「でも、イヤフォン越しに流雫の声が聞こえるから、あたしは未だ正気でいられる」
彼に依存している、と言われれば否定できない。しかし、流雫と一緒だからこそ、澪はテロの脅威に屈することなく、戦って真相を掴んできた。
「僕は何でもやるよ、澪のためなら」
と流雫は言い、微笑む。そのオッドアイに、澪は引き寄せられる。
 人の死と云う悲しみを、人を護るために銃を撃つ辛さを、流雫は誰より知っている。辛くても、澪を殺されないためと云う理由で、押し殺してきた。
 その想いを抱える少年に護られるだけでは、彼の隣に立てない。それが、澪を突き動かす。
「……ありがと、流雫」
と澪は言い、顔を近付け……乾いた唇に、静かに唇を重ねた。
「ん……」
甘い息を合図に、澪は流雫を抱き寄せる。……最愛の少年が今こうしていることを、何より感じていられる。
 唇を離すと、甘い吐息が絡む。
「流雫には……あたしがいなきゃ……」
と囁く澪。残っていた、夕方からの怒りは鎮火した……と思っている。

 点滅するタイマーを止めた愛理明は、ペンを置いた。今日の自習はここまでだとして、溜め息をつく。
 ……流雫と云う男は、正直目障りだった。帰国子女でなく、帰化した元フランス人。一応同郷ではあるが、シンパシーは微塵も感じない。
 あと1週間半で、流雫は山梨へ帰る。それまでの間、目障りな振る舞いさえしなければいい。そう思っている。
 ただ、その流雫が言及していたフランスでの事件が、どうも引っ掛かる。AI自体は多言語対応だし、海外のユーザで既に信者と言える連中もいる。だが、UPの賛同がテロの動機だと言われては、UPにとって大きな損失だ。
 ……言動の意図が読めない流雫の出方には、一層警戒しなければならない。あの目が示すように、UPに牙を向ける破壊の象徴なのか。
「UPを、ARIAを護らなければ」
と愛理明は呟く。それがアルカバースにとっての利益に帰結する。
 ……望明の態度が少しだけ引っ掛かる。自分がARIAになりたい、とでも思っているのか。しかし、ARIAはアリア、即ち私。私だけが務まる。

 愛理明の部屋とは隣り合う、望明の部屋。その隅で、部屋の主は悶々としていた。
 ……ARIAが方舟の意味を持つなら、何故ノアの名を持つ自分が聖女では、ARIAのベースモデルではないのか。その思いが日に日に強まる。
 しかし、自分ではどうにもできない領域で決まったことだ。どう足掻いても、何も変わらない。
 ……姉はいい顔をしないが、あの人にコンタクトしたい。そう思った望明は、ホットミルクに手を伸ばした。

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