LTRL1-8「Link Your Tears」
一夜明け、学校での話題は昨日のイベントだった。事件のことは当然だが、それよりも……。
「澪が全国大会!?」
「なかなかエグいわね……」
と同級生が続けて口にする。放課後、駅前のドーナッツ屋のテーブル席で刑事の娘が放った一言は、この日最大のニュースだった。
スマートフォンのパズルゲームしかプレイしていなかった澪が、初プレイのVRゲームで全国大会に出場する。しかも流雫以外全員をヘッドショットでキルした。対戦相手にとっては悪夢でしかない。彩花がエグいと言ったのも肯ける。
「あたしが驚いてるわよ」
と言った澪は、少しだけ微笑を浮かべて続けた。
「……行くとなった以上、修学旅行の分まで楽しむわ」
初日の夜、1人部屋のホテルでスマートフォン越しに流雫に
「あたしと一緒だから、結奈と彩花がとばっちりを受けた」
と泣き叫ぶ声を、隣の部屋にいた同級生2人は今でも忘れない。
ただ、何時だって自分より2人の無事を優先したい……その思いが、彼女といると確かに伝わってくる。自分を危険に曝してでも、2人を危険から遠ざけようとし、そのために苦しみながらも戦っている。
だから、2人は澪を尊敬し、何が有っても澪を見捨てないと誓う。流雫ほどの力にはなってやれないとしても、彼が隣にいない時は、その代わりになりたい。そして、今度こそは何も起きてほしくない。
「……流雫くんも行くの?」
と結奈が問うと、ボブカットの少女は頷く。そこに彩花が
「最早新婚旅行だね!」
と被せる。
「……新こ……ん……」
とだけリピートした澪は、一気に顔を真っ赤にする。……そうだ、彩花はこう云う意味でスナイパーだった。最近は形を潜めていたから、油断していた。
「あーあ……」
と結奈は声を上げ、その恋人は
「最強の戦士も、このテの不意打ちには弱いわね……」
と笑う。
その光景に、誰よりも安堵しているのは撃沈したハズの澪だった。こうやって戯れていられるのも、世間が平和だからに他ならない。こうしていられる日々が終わらないように、と願うばかりだ。
店を出た3人が改札で別れると、澪は左から
「澪さん?」
と名を呼ばれた。ボブカットの少女が振り向くと、そこには亜沙がいた。
「偶然ね」
と言った女記者は、今日と明日が休み。ただ、何もかも忘れて気ままに過ごす……ことはできない。秋葉原での騒ぎが、大きな影を落としていたからだ。
「偶然だけど、会ったから……時間有るかしら?何か奢るわよ?」
と、亜沙からの誘いに乗った澪は、向かい側のスターダストコーヒーに連れられた。
「……私も先刻まで、昨日までの件で取り調べを受けてたの」
と、苦めのラテを目の前に話を切り出す亜沙は、溜め息をついて言った。
「……澪さんたちが戦った犯人を擁護する意見が多くて、それで話を……と頼まれて」
……ファンタジスタクラウドのデータ消失に対する怒りは当然で、事件に至ったのは仕方ないことだった。犯人は遣り過ぎだが、同情を禁じ得ない。一方の鳥栖は一刻も早く回復して、会見を開く必要が有る。
……そのSNSへの投稿が、一部の界隈でバズっていた。
「……動機はどうであれ……人を撃つことは犯罪……」
と言った澪の表情は、年頃の女子高生から刑事の娘としてのそれへと変わっていた。それが、明澄と同い年の女子高生が見せるべきものなのか、女記者は複雑な思いを抱える。
「単なる遊びの域を超えた拠り所、それが消えたことに怒る……それは尤もだと思います。ただ、その報復として関係者を殺そうとするのは間違ってる……!」
と、最後だけ口調を激しくした澪に、亜沙は続く。
「ゲーム依存症の暴走の果て……ネットニュースやワイドショーでは既にそう報じられているわ。VRMMOは特に窮地に立たされるわね……」
「VRメタバースにも問題が波及する……」
「避けられないと思うわ」
と言った女記者の前で、澪は奢られた甘めのラテを口にすると目を見つめながら
「……あたしは、流雫の味方です」
と言った。亜沙が思うことを見通したかのように。
「明澄さんが思うことだって、あたしは判ってると思いたい。ただ、流雫には……流雫を肯定してあげられる人が、他にいないから……」
詩応やアルスもいるが、誰よりも彼に近い存在と云う一種のプライドを、澪は少しだけ露わにした。ただ、物理的にも心理的にも最も会いやすいと云うのも事実だった。その意味では間違っていない。
「明澄は、今までスポーツできなかっただけにeスポーツ、BTBに活路を見出したの。だけど、逆に言えばそれしか無くて。だから、自分が好きなものを否定されたと思って、あの態度に出たんだと思うわ」
と亜沙は言い、ラテを啜る。
「……悪い子じゃないんだけど……」
「それだけ、熱中したいものが有る……そう云うの、何かいいな……」
とフォローする澪に、亜沙は言った。
「澪さんは、流雫くんに熱中してるでしょ?」
……ここにもスナイパーがいた。他人から言われることに免疫が無く、簡単に撃沈する少女は
「あ、愛して……ますから……」
と尻窄みに言い返すのが精一杯だった。同級生やアルス……と通訳の流雫はグルだ……は見知った顔だから未だしも、亜沙相手だと墓穴を掘った感覚しか無い。
……好きではなく、愛している。そう人前で普通に言えるのは澪の強さだった。流雫の短所まで知り尽くしているからこその言葉。そしてそれは、美桜と約束を交わす前からのことだった。
「……そ、それより……ファンタジスタクラウドの件は……」
と澪は話を変えようとする。亜沙は
「プログレッシブの関係者が未だに話してないから、知り得る情報は未だ……。ただ、単なる事故じゃない。……尤もそれは、もう警察の管轄だけど」
とだけ言った。
2つのVRMMOが相次ぎ消滅したことが、何者かによる事件なのだとすれば、一体何が原因なのか。そして、犯人の目的は何なのか。犯人以外の誰もが首を傾げる謎。
社会人2年目の女記者の亜沙と、刑事の父を持つ女子高生の澪。互いに黙ったまま、唇を噛む。2分ほど経って先に沈黙を破ったのは亜沙だった。
「……澪さん、私に協力してほしいの」
「え?」
突然の言葉に、澪は目を見開く。
「……澪さんのこと、私を担当した刑事の人から聞いたの。……言い方は悪いけど、この接点が有れば……謎は解ける気がするの」
BTBの件で、うちの娘が世話になる、と改めて常願に言われた亜沙は、その流れで室堂澪と云う少女がどんな人物なのか知ることになった。
変なところで繊細で、よく泣きじゃくる。そして何より、大切にしたい、護りたい人のために時折暴走する正義感の塊。一歩間違えば死ぬ、それでも絶対に退かないのは、その証左。
危険な目に遭ってほしくないが、その限りで力になってほしい。女記者はそう思っていた。
「……あたしでよければ」
と澪は言った。
あの事件に出会し、あの話を耳にした以上、無関係ではいられない。そして彼女は、自分を頼っている。都合よく使われているだけ……だとしても、自分を使うことで少しでも平和が戻ってくるのなら。あたしは亜沙さんの力になる。
「有難う、澪さん」
と亜沙から言われ、澪は少し頬を紅くした。流雫のサンキュもそうだが、少しだけくすぐったいような、そう云う感覚がする。
同級生と挨拶さえ交わさず、ただ授業を受けて帰る。それが宇奈月流雫の日常だった。澪といる時とは正反対にポーカーフェイスで、淡々と学校生活を送っている。
例外だったのは、短期留学でアルスがいた時だ。フランス人コンビに見える2人がフランス語で交わす遣り取りは、最早別世界そのものだった。だがその時だけ、流雫は喜怒哀楽を見せていた。
誰もが流雫を煙たがっているのは、その日本人らしくない見た目と、美桜を見殺しにした罪人だからだ。
……美桜の死、本当は不可抗力でしかないことぐらい、誰もが判ってはいる。だが、トーキョーアタックと云う事件の大きさ、そして同級生がそれに遭遇して死んだと云う現実に、誰もが正しく向き合えなかった。
だから、元恋人の流雫をスケープゴートにしたかった。よくないことだと判ってはいるが、誰にも止められなかった。
……今の流雫にとっての味方など、この学校には誰もいない。澪とアルスに依存している、と云えばそれまでだが、その河月にいない2人にしか頼れない。
昼休み、流雫は屋上でスマートフォンと睨めっこしていた。昨日の事件のことが気になる。
……ニュースによると、鳥栖は一命を取り留めた。しかし、犯人は犯行の一部始終を何も覚えていなかった。だから今、専門家による鑑定が行われているらしい。
「……昨日のこと、思い出してるのか?」
と言った男の声に聞き覚えが有る流雫は、ふと顔を上げた。そこには、昨日も会った刑事が立っている。
「弥陀ヶ原さん……!」
「昨日のことで話がな。担任には伝えてある」
そう言った刑事に連れられ、流雫は学校を早退することになった。
話をする場所は、流雫が住むペンションのユノディエール。共用リビングに2人だけだ。
「……改めて昨日のことだが……」
と弥陀ヶ原は話を切り出す。
「先刻、室堂さんから連絡が有った。犯人にネットに上がっていた動画を見せた。俺がやったのか、有り得ないと驚いていたらしい」
「発狂したから、何も覚えていないのか……」
と流雫は言った。
「撃たれた痛みも感じていないほどだからな。今は鑑定と脳検査を並行している。Rセンサーの仕組みが本当なら、脳や人体に何らかの影響が出ていても不思議じゃない」
と言った弥陀ヶ原は、溜め息をついて続ける。
「一難去ってまた一難……か。何故悉く遭遇するのか……」
「そう云う体質だから?」
と言って軽く笑う流雫。そう思わないと、やっていられないのが本音だ。だが、
「笑い事じゃない」
と弥陀ヶ原は一蹴した。
「君は、銃刀法改正後の日本で誰よりテロに遭遇し、誰より銃を撃った。そして、その不名誉な記録を更新しようとしている」
その苛立ち混じりの言葉に、流雫も唇を噛む。
……何度も取調を担当する中で、流雫は弥陀ヶ原を年が離れた兄のように慕っている。そしてこの刑事も、減らず口を叩く年相応の弟のように思っている。それだけに、単なる高校生が銃を手にテロや通り魔と戦ってきた事実に、余計苛立ってくる。
「……そう。だから、もう笑うしかないんだ……」
と流雫は言い、悲壮感に満ちた微笑を浮かべる。自分自身を嘲笑うかのように。その表情を、弥陀ヶ原は見ていられなかった。
「……頭が痛いよ」
と刑事は言い、コーヒーを啜ると溜め息をついて話題を変えた。
「AIが人を間接的ながら操る……SFみたいだな」
「既に操られてる……それも無意識に。僕はそう思う」
と自分の言葉に続いた流雫に、弥陀ヶ原は首を傾げる。
「アシスタントアプリに話し掛ければ、欲しい情報を簡単に手に入れられる。誰もがAIを使って便利に過ごしてる。だけど、逆に言えばAIに依存してる。でも誰も、そう意識しない。当然のように使ってる」
と言った流雫に、弥陀ヶ原は続く。
「……もし、今回のような発狂がプログラミングされた、意図的なものだとすると……」
「……AIに操られた人間兵器が生まれる……」
と流雫は言葉を被せた。
人間兵器と云う言葉は、流雫にとっては自然だった。かつて澪の力を借りて立ち向かった、政治家の巨大な陰謀でも、黒幕が不法入国させた難民を使い捨ての駒としてテロに送り込んでいたからだ。それは、人間と云う形をした武器のように意志を持たず、ただ命令のままに襲撃し、或いは自爆し……。
「……人間は兵器じゃない……」
と言った少年は、爆発させたい感情を押し殺そうとしていた。この場に澪やアルスがいれば、爆発しているだろうか。
……2歳の頃、パリで大規模な宗教テロに遭遇し、それがきっかけで両親とレンヌに引っ越した。その数年後、フランスの安全を理由に親戚がいる日本に1人だけ預けられることになり、ルナの本名が流雫に変わった。
親戚が受け入れ先だったから自分は定義から外れるものの、宗教難民に近い過去を持つ……それだけに、流雫は難民をテロの駒にされることにナーバスになっていた。違法と判っていても、祖国を捨てて安寧を求めて辿り着いた先で、使い捨てにされる……それが理不尽でないなら何なのか。
「……プログレッシブは……何故動かないんだろう……」
と、話題を変えるかのように流雫は言った。
2日前のデータ消失以降、一向に会見を開く気配が無い。調査中のため改めて報告する、と云う趣旨のプレスリリース1枚すら出されていないことが、メディアやユーザーへの不信感を募らせていた。
少年の唇の隙間から、小さな声が零れた。
「……動けない理由でも有るのか……」
……自分がどうこう思ったところで、何にもならないことは流雫にも判っている。ただ、正当防衛とは云え銃を撃つことで事件の一端に関わった以上、その結末を自分の目で見たい。起きている事件の本質に迫りたい、その一心で。
時には褒められないその好奇心は、しかし宗教を土台とする日本乗っ取りの阻止に大きく寄与した。……二度と銃を持たなくていい、泣かなくていい日々が訪れると信じて、そのためだけに形振り構わなかっただけだった。
「亜沙さんと偶然会ったの」
その一文から始まった恋人とのメッセージの遣り取りは、音声通話に変わっていた。既に時計は23時台の後半を示していた。
弥陀ヶ原は2時間ほどして帰ったが、流雫はその後ペンションの手伝いに没頭していた。先刻の話を紛らわせるかのように。
親戚の鐘釣夫妻は、役立っていると思う反面遊ぶことを知らない流雫が気懸かりではあった。澪と会うことについて一度も苦言を呈したことは無いのも、そう云う事情からだ。
「……人間は兵器なんかじゃない……」
その一言に、澪は最愛の少年が何故スマートフォンを鳴らしたのか、全て判った気がした。……爆発しそうな感情を必死に抑え、そしてもう限界だったから。1人で爆発させるには、あまりにも残酷だから。
「……流雫」
そう小さな声で名を呼ぶ澪。
「泣いてもいいよ……」
その声と、流雫の視界が滲むのは同時だった。
「澪……」
とだけ聞こえた声が震えている。
「流雫……」
とだけ返した澪は、思わず机に伏せてルームウェアの袖を目蓋に押し当てた。まるで、流雫の嘆きにリンクしたかのように。
悲しみや苦しみも受け止める。ただ、代わりに薙ぎ払うことはしない。あくまでも、冷たいことと甘やかさないことは違う。それが、好きではなく愛すると云うこと。その本質だと澪は思っていた。
だから、抱きしめてあげられなくても泣き声だけは聞く。ただ、何も言わない。気が済むまで、吹っ切れるまで付き合う。それだけだった。
……机に伏せ、端末を耳に当てたまま、部屋の外に声が漏れないよう腕で口を塞ぎながら泣き叫ぶ流雫。
……スピーカー越しとは云え、澪がいることがどれだけ心強いのか。今まで何度も、そう感じてきた。だから、こうやって泣き叫んでも立ち上がれる。そう、何度だって。
「……澪……サンキュ……」
と嗚咽混じりに囁く声に返ってくる
「流雫……あたしがついてるから」
の声に、流雫は頷く。
……その一言に、何度救われたのか。何度でも耳にしたい、シンプルな言葉。ただ、それだけじゃダメだった。何度でも、救われた以上に救いたい。
「僕がついてるよ」
と言って。自分が死ぬことより、澪が死ぬことが怖いから。そのためのリセットが今。……嗚咽が大きな溜め息に変わる。
「流雫は……孤独じゃないんだから」
机に伏せたままの澪の言葉に
「澪……」
と返すだけで精一杯だった少年は、しかし少しだけ頭がクリアになった感覚を抱く。
……澪は何時でもこうして、色んな形で誰かの力になりたいと必死だった。だから、褒められない時も有るがあの同級生2人だけじゃなく、詩応も慕っているし、アルスも尊敬している。もし、この世界に輪廻転生が有るのなら、女神の転生ではないかと思えるほどに。
気付けば、日付が変わっていた。流雫はベッドに身体を預けると、大きく溜め息を吐き、目を閉じる。意識を手放すまで、数十秒もかからなかった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?