LTRP1-9「Call You Friend」

 澪と悠陽は、駅のホームで別れようとした。夕方の帰宅時間帯で、駅は混み始めている。少しは明るい話題も出さなければ、とは思うが話題が無い。
「またね」
の言葉を残し、互いに踵を返す2人。しかし、不穏な予感がした澪の瞳は悠陽の背を捉える。ロングヘアの少女は厚手のコートを着た男とすれ違い……急に倒れた。
「ゆ……!?」
ボブカットを揺らす澪は、柱の非常ボタンを殴り、地面を蹴る。
「待ちなさい!!」
その声に男は反応しない。居合わせた人は誰も、悠陽の介抱も男の妨害もしない。誰もが自分まで被害に遭うのを避けたいのだ。
 あたしが捕まえなければ、そう思った澪は鞄からシルバーの銃を取り出す。銃声こそ聞こえなかったが、銃を持っている可能性も有るからだ。
 ……あの時点で男に背を向けていたのは、悠陽でなく澪。それなのに、悠陽を狙った。単に近いからか、最初から彼女を狙う気でいたのか。後者、澪はそう読んだ。
 男はホームの端で、澪に体を向ける。手には長方形の武器。
「スタンガン……!!」
澪は呟く。
 高電圧の電気で相手を麻痺させる制圧手段の一つ。ただ使う場所によっては、気絶させることすらできる。その場に捨て、銃を取り出す危険性も孕んでいる。
 ……銃は護身専用。それ故、先に銃口を向けてはいけない。それが絶対ルール。刑事の娘は、そのことを誰より判っている。先手必勝が通じないのが、この銃社会で犯人を捕まえるためのセオリーだった。
「彼女に恨みでも有るの!?」
と声を張り上げる澪の懐を狙い、男は突進する。澪は右に避けながら、男へ背を向けないよう意識する。
 駅員が悠陽に駆け寄る。遅れて来たもう1人の手には、AEDが握られている。
「心停止……!?」
澪の口から、最悪の予感が漏れた。
 スタンガンを胸部に当てると、心臓の動きを司る電気信号が体外からの高電圧に干渉されて脈などの異常を起こし、心臓に影響を与える危険性が指摘されている。最悪の場合は心停止。
 AEDが持ち出されたことは、澪に最悪の事態を予感させた。
 ……悠陽とは知り合って4日目、しかし澪にとっては既にフレンドだ。何時かの流雫と似た暗い陰を抱える少女を、放っていられなかった。
「悠陽さん……!」
自分が口にした名前を引き金に、殺意すら滲ませた眼差しで男を睨む澪。
 絶対に捕まえる、そう決めた少女に見せ付けるように男は、懐から銃を取り出した。スタンガンよりも断然危険な凶器。その銃口が澪に向く。しかし、刑事の娘はピンチと思っていない。
「正当防衛、成立」
そう呟いた澪は、しかし口径の大きさでは不利な銃を構えない。左手を飾るブレスレットにキスしながら
「流雫……」
と、最愛の少年の名を吐息交じりの微かな声で紡ぐ。それが、この場所で死なないと誓う儀式。
 「デスゲームでも始める気?」
と言った澪に、男は
「アレは神に逆らう女だ……」
と言い返す。
 結奈から聞いた話、EXCの原作となったエグゼコードは、社会を司るAIを神格化する教団と、その裏の陰謀に立ち向かう少年と少女のストーリーだ。その主役が、神に逆らう存在だとして蔑まれているのだが、その真似なのか……?
「神?」
「感情を挟まない新たな神が、ついにこの世に現れた」
「……AIのこと……」
と澪は口にする。
 自ら学習と出力を繰り返す高度な自律型AIでも、物事を機械的に処理することしかできない。逆に言えば、感情を持たないからこそ、何に対しても公平だ。悪意のコードでトレーニングされていない限り。
 最も公平なるもの、つまりAIを神と崇める。そして公平な判断による、世界と個々の安寧を実現させる。そう言っている集団もいる。ただ、フィクションの話だと澪は思っていた。まさか現実にいるとは。
 「アレがやっていることは、神への冒涜だ!お前もグルか!」
と男は声を張り上げる。澪は
「グルよ。彼女のフレンドだもの!」
と言い返す。グル認定されて危険が及んでも、味方でいられるなら本望。時々危なっかしい一面も有るが、それが澪の強さの一つだった。
「命を軽視する神は神じゃない!!」
その言葉への返答は、銃声だった。
 顔2つ分外れた銃弾に動じない澪。怖くて動けないだけだ、と思った男は近寄りながら
「これは殺人じゃない。救済だ!!」
と銃口を向ける。澪は銃を数センチだけ浮かせ、銃身を掴む。その一部始終を目にした男の頭に、疑問符が生まれる。それ自体がブラフだと気付くには、時間が無さ過ぎた。
 シルバーのグリップが男の指の関節を砕く。
「がっ!!ぉっぁ……っ!!」
醜い声を絞り出す男は顔を酷く歪め、前屈みになる。
 スライドに護られているとは云え、万が一バレルが変形しては弾詰まりを起こして爆発する。だから、本来鋭器に分類される銃を鈍器として扱うにはバレルを握り、グリップ部分で叩くのがセオリーだ。
「人を殺そうとした罰は受けないとね」
と澪は不敵な表情で言い、再度持ち替えた銃の引き金に触れる。
「ふ……ざけ……っ……」
男が声を上げ、痛みと闘いながら銃を上げようとする。
 あのままなら、線路に飛び下りて逃げ切れたハズだ。しかし今は、ホームの上で女子高生相手に苦戦している。このまま逃げられないなら、殺して逃げるだけのこと。
「殺す……!!」
そう声を張り上げた男は澪に銃口を向け、引き金を引く。
 5発の銃声が周囲に反響する、しかし痛みに気を取られて照準が合わず、セーラー服を纏った悪魔を仕留めるには至らない。
 スライドは動かなくなった。銃弾を使い果たした。男に残された武器は、スタンガンだけだ。澪は咄嗟に銃を構え、引き金を引く。
 小さな銃声が2発。男は更に顔を歪め
「ぐぅっ……!!」
と苦悶の声を絞り出す。赤く染まるズボンの上から患部を押さえる、しかし倒れない。ただこれで、戦闘力はほぼ削げた。後は警察官に引き渡すだけ……そう思った澪に、スタンガンが飛んできた。銃身で弾く間に、男は足を引きずりながらホームドアに手を掛け、体を乗り出す。
「待ちなさい!!」
と澪が叫ぶが、男はその反対側へ落ち、線路に転がった。
「待て!!」
と叫び、駅員が線路へ下りる。隣の線路に移った男に向けて、けたたましい警笛が鳴る。澪は思わずその場にしゃがみ、目を閉じて耳を塞ぐ。
 ……或る意味、後味最悪の結末。1分がその何倍にも感じられる。澪は耳から手を離し、スマートフォンを手にする。今から耳にするだろう音から逃れたい。
「悠陽さんが……襲われた……!!」

 流雫は自転車を止めたまま、何も言わず澪の吐息を聞いていた。怒りや混乱と戦う澪にとって、今何よりも必要なのは流雫の存在を感じられること。それは判っている。
 こう云う時、流雫は何もできないことに苛立ちを感じる。ただ、最愛の少女の名を呼ぶだけだ。
「澪……」
しかし、澪にとってはそれだけで救われる。
「……ありがと、流雫……」
とだけ言った澪は、漸く落ち着きを得た。今は、悠陽が生きていることを願うだけだ。
 澪との通話が切れた後で、流雫はペダルに足を掛ける。
 ……MMOはリアルで死人を出すようなゲームではないハズだ。こうなることは、どんなに高性能なAIですら予見できなかっただろう。
 人間は最も厄介なブラックボックス。アルスが言った通りだ。

 病室のベッドの上で、悠陽が目を覚ましたのは3時間後のことだった。開ける視界が最初に捉えたのは、ボブカットの少女だった。
「悠陽さん……!」
泣き出しそうなその声に、
「澪……?」
と名を呼ぶ悠陽。
 ……澪と別れた直後に、男とすれ違い、胸に感電したような痛みを感じた。そこまでは覚えている。
「助かった……」
と言った澪の頬が濡れていく。
 ……澪は近くの交番で、父親から取調を受けた。護身のためとは云え、銃を使った以上取調は免れない。正当防衛を確定させるためには避けられない、それは判っているが、この事後が何よりも厄介なのだ。
 その後、澪は父親から悠陽が搬送された病院を聞き出して向かった。そして医師を拝み倒し、病室で目を覚ますのを待っていた。その事実を悠陽が知ることは無い。
 悠陽は泣く澪を見ながら、何故自分が狙われたのか、思い当たる節を探す。
 通り魔でなければ、スタークの死と同じような理由。そうでなければ説明が付かない。
「……私を襲ったのは……?」
と悠陽は問う。澪は大きな脈動を感じた。
 ……澪が追ったが、最後は線路に下りて列車に撥ねられた。逃げられないなら死を選ぶ、その結末だった。ただ、正直に言わなければ悠陽の気が済まないだろう。澪は頬を手で拭うと、溜め息をついて言った。
「……死にました。悠陽さんを、神に逆らう女だと言って、列車に飛び込んで……」
「神に……逆らう……?」
「AIを神と崇め、それに逆らう者を排除しようとした。悠陽さんは、スタークと同類だと認定されたんです」
「あんな奴と同類……!?」
と、悠陽は目くじらを立てる。何故あんなのと同類なのか。
 「スタークはかつて、EXCの開発に携わっていました。時折見せるEXCやAIへの批判も、元関係者故の目線。そして悠陽さんも、最近の動きについては不審に思ってる。……何かそれらしいこと、EXCで言及してませんか?」
そう問う澪に、悠陽は
「……一度だけ……」
と答える。

 2週間近く前、悠陽は小さな騒動に遭遇した。突如としてチート級モンスターが現れ、アルバと云う6人編成のコミューンが1つ壊滅した。全員がトップクラスの強さを誇っていたが、次々と葬った。
 影響は周囲に居合わせたユーザーにも及び、レイド戦の様相を呈した。
 悠陽が操るアウロラは、他のアバターが負わせたダメージに便乗する形で仕留めたが、キルされたアバターは14体に及んだ。
 その直後、悠陽は居合わせた数人に対し、EXCへの批判を思わず口にした。
「AIの生成に異常が起きてるなら、早く是正しないと」
それに言葉を被せたのがスタークだった。
「AIも完璧じゃない。だがこれは、エンタメの範疇じゃない」
 あの日より前にスタークと言葉を交わしたのは、この時だけだった。それも、他にもアバターがいる中で。
 スタークは、あの週末の時点で悠陽の敵になった。死亡したことは残念だが、それはそれだ。だが、その
数分だけは同じ疑問を抱える、謂わば同士のようなものだった。
「何故、スタークのことを知ってる……?」
と悠陽は問う。澪は小さく溜め息をつく。話を進める上では、カミングアウトしなければならない。
 「……父が刑事で……」
と澪は答える。まさかの言葉に、悠陽は眉間に皺を寄せる。
 「……スタークは元関係者だから、厄介者として扱われた。そして悠陽さんは、その時居合わせたスタークにAIの異常の可能性を指摘した。指摘と呼べるほどのものではなくても、アドミニストレータAIは批判と判断した……」
「だから私も狙われた……?」
「恐らく。でもリアルにまで危害を及ぼすのは……」
と澪は言った。
 お前は悪くない、と父親が言ったことを思い出す。通り魔を取り押さえようとした、その度胸は褒められるべきだからだ。
 ……こう云う話は、流雫の方が詳しい。そう思った澪は悠陽の目を見つめ、言った。
「あたしは、悠陽さんのフレンドですから」
澪は何度でも言うだろう。彼女は孤独じゃないことを、知ってほしかった。

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