LTRA4-7「Edge Of Metropolis」

 経緯が経緯だけに、臨海署に連行された6人の取調は長かった。特に流雫とアルスが長く、残る4人は休憩室の端で2人を待っていた。
 臨海副都心が一望できるフロアから外を眺める、プリィとセバス。それから1人分離れ、澪と詩応が並ぶ。
 渋谷で流雫に抱かれて泣いていた少女は、父親の前では誰より気丈に答えていた。一頻り泣いたから、後は求められる役割を全うするだけだと思っていた。そしてそれも終えた今は、愛しい街の遠景を眺めている。
 ……信じるべき人を信じた。モンドに対して言ったその言葉は、自分にも突き刺さっていた。
 詩応とアルスを、そして何より流雫を信じた。だからこうして、平穏に触れることができた。
 常に信じるだけで上手くいくほど、世界は簡単ではない。しかし、信じることで絶望との戦いに光を見つけられる。
「ミオ」
と名を呼ぶプリィに顔を向けた澪は、数日前引っ叩いた白い頬に掌を重ねる。ダークブラウンの瞳に映る少女は、今は頼もしく見える。アリスの身代わり、影武者としてその大役を果たしたことが大きい。
「ミオの正義は、確かなもの。迷う者にとっての光になるわ」
とプリィは言った。彼女の最も古い記憶に残る少年にとっての、光であってほしい。
 ……船が運河で座礁しないためのガイドラインとなるマーク、澪標。美桜が引き寄せた流雫の澪標となる、そのためにこの名前が付けられた。ボブカットの少女には、そう思える。

 脊振は病院へ搬送されたが、13時間に及ぶ緊急手術の結果、辛うじて死を免れた。その一報に流雫は安堵した。ミリ単位ながら急所を外れていたらしく、密造銃故の精度の低さに助けられた、と少年は思っている。
 その背振には、長い取調が待っている。容態が安定したその父親も含め、これからが本当の試練だ。
 しかし、クローン事業の倫理的側面と小城を匿ったことへの批判こそ避けられないが、小城と違い人を殺してはいないし、銃を人に向けてもいない。その意味で、面倒なのは警察よりも報道陣だろう。
 小城は長い取調の末、ついに三養基の殺害への関与を認めた。そして来日したアリスやプリィの殺害を、ツヴァイベルク家と共謀した件も自供した。
 トップを失ったクローン事業は、停滞を避けられない。既に生成した個体の扱いも含め、日本は新たな課題に直面しようとしている。ただ、その行く末は世界的にも前例が無く、誰にも判らない。
 フランスでは、リター・ツヴァイベルクが当局に身柄を拘束された。モンドはクローンが聖女であることへの正義を唱えつつも、銃を流雫や澪に向けたことは認めている。
 日本での事件も公にされた以上は、一家の追放も免れない。しかし。

 「ツヴァイベルク家については、特赦とします。家族の罪を、隠すこと無く証言したハイリッヒに免じて」
モンドが中断したままだった会見は、豪雨が幻だったかのように晴れた翌日、セブの主導で改めて開かれた。
 その壇上で、白い装束に身を包むアリスはそう告げた。詩応と、詩応に招待された澪の目の前で。2人は特に驚かなかった。
 追放すべきと云う上級司祭の総意には反するが、彼女まで追放するのは残酷だと思った末のことだった。司祭からの批判も承知しているが、聖女としての権限を初めて行使した。そして、アリスならそうするだろうと、2人は思っていた。
 ……会見の前、アリスはプリィの頬に触れて言った。
「私は聖女。聖女こそ私の使命。本当の覚悟はできているわ」
教団の象徴として崇められる存在。それは生まれながらに求められた終着点。しかし、それは対等な立場で接する人がいないと云う孤独も抱えることを意味する。
 しかし、全てを受け入れることで、本来の形で生まれた人間が人間らしく、自由に生きる選択肢を持つことができるのならば。
 禁断の存在である時点で、何を言っても批判されることは覚悟している。綺麗事だと言われる覚悟もしている。しかし、私は聖女。常に気高くなければならない。
 ただ、最早何も怖くない。
「……セブ」
と秘書の名を呼ぶアリスの目には、希望だけが宿っている。
 禁断の存在でも、人を愛する権利は有るし、尊重されなければならない。何時かは家族間の取り決めの下に結ばれる事が決まっていても、互いの想いが固まっていなければ話にならない。
 そして今、アリスはそのファーストステップを踏み出そうとしている。セブがいるなら、怖いとは思わない。

 教会の外。スマートフォンに挿されたイヤフォンをシェアする男子2人は、アリスの声をBGMに濃密で慌ただしく、そして命懸けだったこの数日を思い出していた。
 血の旅団信者には相応しくないと、アリスからの誘いを断ったアルスに流雫が乗った。誰も止めなかったのは、フランスをルーツとする男子2人で思うことが有るからだろう、と澪が思ったからだ。
 「偵察レポートは、今回の出来事をまとめる。本が1冊できそうなほどのボリュームだがな」
と言ったアルスは、あと2週間近く日本にいる。その間、流雫が住むペンションで過ごすのだ。流雫のPCを借りて書くレポートは明日には終わらせ、後は遊びたい。 
 「……アリスにとっては、これからが試練だ。教団がクローンを認める方針に転換したとしても、受け入れられるには時間が掛かる。その間、アリスは批判に晒され続ける」
「でも、それすら受け止め聖女の座に就く。取り決めや一家のためではなく、プリィのために」
と言葉を返す流雫に、アルスは続いた。
「プリィの自由のために、聖女としての孤独を抱えることが、禁断の存在であることへの贖い。それが、アリスが聖女に執着した最大の理由だろう」
とアルスは流雫の言葉に続き、空を見上げる。
 「ツヴァイベルクにとっては、僕は敵だった。聖女アリスの味方だったから」
と流雫は言った。取調の最中も、それが引っ掛かっていた。
「ああ。誰かにとっての味方は、誰かにとっての敵。人間の正義はそう云うものだ。だが、ツヴァイベルクはそのために人を殺めたが、お前はそうしなかった。だから女神は、お前を選んだ」
とアルスは言う。最後の賭けに勝ったのは、ソレイエドールが流雫を正しい者として選んだから。ブロンドヘアの少年はそう思っている。
 「アリスがいる限り、太陽騎士団は安泰だ。間違い無く、歴代最高の聖女になる」
とフランス人は話題を変えた。リップサービスが苦手だから、本音しか言わない。
「何時かは聖女を下りる日が来るが、それでも総司祭であってほしい。聖女になるために生まれてきた以上、その知見で次の聖女に助言するのも立派な役目だ」
「ただ、今までの太陽騎士団の流れからは逸脱する。司祭も首を縦に振るかが……」
「アリスの正体を知りながら、聖女の失脚を認めなかったのは上級司祭だ。政治的な思惑が有るにせよ、クローンが聖女で在り続けることを認めたと云う前例は揺るがない」
と言ったアルスは、目を閉じる。
「それは教団に絡む連中がどうにかすることだ。俺はそう望みながら、行く末を見守るだけだ」
 アリスを巡る騒動が収束に向かい、国に平穏が戻ろうとしている。母国フランスの平穏に帰結するためなら、太陽騎士団にすら力を貸す少年にとって、漸く平穏が戻ってきた。 

 イヤフォンから、アリスの声が聞こえる。
「……私がこの場所にいるのは、私の存在を肯定した騎士が、私のために尽力したから。壇上に上げて讃えたいところですが、生憎この場にはいないので……」
澪と詩応は、プリィから事前にこの行を聞いていた。しかし、揃って拒否した。あくまでも、聖女アリスが改めて聖女であることを宣誓する場だ、信者である詩応ですら壇上は相応しくない、と思ったからだ。
 だから聖女は、その場にいる2人を不在だと言った。尤も、2人に目を合わせて少しだけ微笑んでみせたが。
 ……改めての宣誓は終わった。自分たちの役目は果たせたが、その賛辞は聞く必要も無い。そう思いイヤフォンを外した流雫とアルスは、目を閉じたまま口角を上げ、少しだけ勢いを付けて掌を重ねる。
 大都会の片隅に微かに響く、乾いた軽快な音。それはこの数日、誰より必死に戦い続けた2人だけの祝砲だった。

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