LTRL3-1「Worst Miscaluculation」
学校を午前中で早退して空港へ向かう流雫を、女子高生の恋人はモノレールへの乗換改札で出迎えた。高架を走る車窓からの景色が好きな流雫に、澪が合わせた形だ。
……明澄が狙われた事件から11日。ついに福岡へ行く日だ。
東京中央国際空港のターミナルに着くと、夏樹と亜沙が既に待っていた。明澄は人工的な昏睡状態から脱したが、流石にベッドから動くことはできなかった。だが、大会には予定通り参戦する。事情が事情だけに、特例でオンライン対戦にスイッチしたのだ。
澪と同じく予選を勝ち上がった他の3人と夏樹、そして亜沙は北九州空港行きの飛行機に乗る。しかし流雫と澪だけは福岡空港行き。前者は飛行機が小さく、このカップルの分だけ席を確保できなかったのだ。
流雫は亜沙から、改めてノーサブのタイムテーブルを教えられた。初日の明日は、9時半に会場に着けばいいらしい。
北九州行きの飛行機の15分後、福岡行きが出発する。
毎年里帰りでパリまで飛行機に乗っているが、国内線は初めての流雫。飛行機自体、福岡への修学旅行で往復した時以来の澪。最後列の2人掛けの座席に座る2人を乗せた真新しい飛行機は、定刻通りに駐機場から離れた。
札幌に次ぐ地方都市第2位で、九州最大の都市。それが福岡。日本の主要都市で最もユーラシア大陸に近いためか、インバウンドが盛んだが、同時に日本の深圳を目標に掲げるハイテク特区でもある。亜沙の父が勤めるATAの本社も福岡だ。
気流が悪かったのか割と大きく揺れたが、定刻通りに着いた東京発の飛行機を最後に降りた2人は、連休を控えて混雑するターミナルを歩く。
ふと澪が足を止め、後ろを振り向く。
……修学旅行の時、この場所で騒ぎ声が聞こえた。その直後発砲音が鳴り響き、犯人は自爆した。結奈と彩花が慰めたが、澪は怯えていた。無差別テロと云う悪夢の再来に。
それももう、過去のことになってほしい。そう思う澪は、平穏な今この瞬間に安堵して軽く溜め息をついた。
地下鉄で向かったのは博多。福岡最大の繁華街の一つ。新幹線も止まる博多駅を中心に商業施設が並ぶ。手配された宿で荷物を下ろした2人は、小さなショルダーバッグを肩に掛け、20分ぶりに博多駅に戻った。
福岡の名物でもあるうどんを選び、ビジネスマンや観光客に混ざって啜る2人。高校生故に手頃な値段で楽しめるものが条件だったが、正解だった。
その後は、冷たい空気に抗うように選んだ熱いラテを手に、駅の屋上広場へと上がった。
都心に程近い空港の立地故に、ビル群ですら低層の建物がフラットに並ぶのが福岡の特徴だ。逆に言えば、低くても遠くの景色を遮るものが少ない。そう云う、東京とは正反対の街並みも悪くない。
広場は2フロア構造で、下には小さな神社と広場、上には展望デッキが有る。
流雫は澪から送られた写真で見た景色を、直接オッドアイの瞳に映す。その時は夕方前だったが、今は夜。全くの別物だ。
少し風が強いが、月の光が優しい晴れた夜。渋谷の展望台で2人を祝福した、街明かりと云う名のイルミネーション……それに似た光に包まれる。そして何より、澪が隣にいる。
「月……綺麗……」
と澪は見上げた夜空に、白い息を溶かす。修学旅行でこの景色を見た時、何時かは流雫と一緒にと思っていた。1人で見るより、断然楽しい。それが叶った。東京の景色が何より好きだが、それはそれだ。
こうして少しずつ、2人で過ごした記憶が増えていく。世界一幸せとすら信じて疑わない。
しかし、その平穏な束の間の平和は、一瞬で崩壊した。
空気を切り裂く大きな銃声が2発。周囲から悲鳴が上がり、1箇所だけの階下への階段に人が殺到する。
……何故こう云う時に限って。そう思っている時間は無い。
「流雫!」
名を呼ばれた流雫は、その声の主に目を向け、同時に頷く。2人のカップルが、最強の戦士として覚醒した瞬間だった。
北九州空港からバスに揺られた5人は、小倉と云う市の中心部に着いた。
人口的には大都市に分類される北九州だが、活気を感じない。その地域再興策として開かれるイベント、ノーサブに賭ける市の思惑が、女記者には透けて見える。
違和感を抱くが、しかしそれはそれだ。
女記者のスマートフォンが鳴ったのは、手配された駅前のビジネスホテルにチェックインし、部屋に入ったと同時だった。
「篭川です」
そう言った亜沙の耳に響いたのは、かつての恩師の声だった。会場を見下ろす、市内で最も高層のホテルに泊まっている。
「ついに明日からだな」
「何事も起きないようにと、願うばかりです」
と亜沙は言った。
……シェンチェン・ショックの後、事態の進展は見られなかった。そして何事も無かったかのように、イベントウィークを迎えた。
「そうだな」
と言った鳥栖は
「オフレコと云うワケでもないが」
と前置きして、続けた。
「ゲームチェンジャーの身売りが決まった。買い手はATAだ。やはりと云うべきか」
ネクステージオンラインの事件の後処理で損失が膨れ上がり、自力で再建することが困難になるとして、支援するパートナーを探すことにした。そこに最初に手を挙げたのがATAだった。買収と云う形でATAの傘下に収まることになる。
「……予想はついていました」
と亜沙は言った。あの高校生カップルが言っていた通りになった。
「政府が裏で動いて実現した。これでATAが、ネクステージライブを牛耳れる。無論、ATAも被害者だが。言い方は悪いが、ゲームチェンジャーを押し付けられたワケだからな」
「後は、対プログレッシブ……ですか」
「そうだ。だが、一連の件でアメリカ本社は、かなりナーバスになっている」
と鳥栖は言った。当然だが、ワンワールドの重要な足掛かりを潰されたことが大きい。
「兎に角、明日のノーサブでゲームチェンジャーから発表が有る」
「それと。……これはオフレコだ」
そう続けた鳥栖の言葉を、亜沙はリピートした。
「オフレコ……ですか?」
「……そのプログレッシブが、ヘラクレスの支援に乗り出す」
その言葉は、女記者の脳に深く突き刺さる。
広州の中国法人プログレッシブ・チャイナ……中国进步公司が、ヘラクレスを傘下に収める。シェンチェン・ショックの震源地を支援するのは、ファンタジスタクラウドでのAI供給契約の延長だった。
しかし、それは一つの可能性が真実となった瞬間だった。日本法人が政府からの因縁で手を出すことができないなら、台頭著しい中国法人に手を出させる。
「明日か来週には、リリースが出るだろう」
「中国法人が買い、世界中のプログレッシブのグループ全体をヘラクレスのAI群で統一……」
と言った亜沙に、鳥栖は
「政府の思惑は外れた。それも最悪の形でな」
と言葉を被せる。
「……恐らく、次の標的はFTWだ。Rセンサーが有れば、疑似フルダイブとして差別化を図れる。世界で最も進んだメタバースになる」
「ストップ・ワンワールドを目的に、FTWを巡る政治的な争いが……」
「それで済めばいいがな」
と鳥栖は言った。河月で起きたエンジニアの入水自殺に、Rセンサーが使われた疑惑も否定できない以上は、開発を禁じる可能性が有る。
「ノーサブにVR関連のブースが有る以上は、恐らく何かが起きる。……BTBのビギナーが全国大会制覇、ぐらいのことであってほしいが」
と鳥栖は言った。
秋葉原の会場を沸かせた、ウェイクと名乗るボブカットの少女。亜沙も、かつてディードールとしてeスポーツイベントでギャラリーを沸かせてきた。その頃のプレイ動画を何度か見たが、昨日例のイベントの動画で見たウェイクのそれと、何処か似た部分が有る。
何事も無く大会が無事開かれれば、最大の番狂わせが起きる可能性も有る。鳥栖は寧ろ、その結果を望んでいた。それで、他の厄介な出来事が起きないのであれば。
黒いショルダーバッグから銃を取り出す2人、弾数は合わせて12。UVカットパーカーとコートのケープを、それぞれはためかせる流雫と澪の視界の先に、銃を持った男4人がいる。周囲は明るいワケではなく、カーキ色のジャケットを着ていることぐらいしか判らない。
「……流雫……」
そう名を呼ぶ澪の視界は、最愛の少年を捉えている。それに答えない少年とは、ブルートゥースイヤフォンを通じてリンクする。
「僕が撹乱する」
と口を開いた流雫の隣で、澪は頷いた。
理想は、その隙に澪が逃げること。非常口の前には犯人がそれぞれ張り付いて、誰も逃げられない。それなら、自分が動くだけのこと。
階下から怒号が響く。警備員が駆け付けた。しかし銃声で威嚇され、近寄れない。
銃を持つ最大の目的は護身。同時に、事件の抑止力になる側面を期待されていた。だが、実際にはその効果は無い。否、有ったとしても犯人連中にとっては、知ったことではない。
流雫は溜め息をつく。それが合図だった。
「ほっ!」
片手を突いた手摺を軸に、5メートル下の広場に飛び下りる流雫。わざと大きく立てた音に、4人はその原因に目を向ける。
「……目的は何だ?」
そう言った流雫の声に、男は銃口を向ける。逃げようと階段に殺到した人々は人質になり、広場に集められている。
「誰だ!?」
広場の中央にいた、リーダー格の男の問いに
「悪魔の化身……なんてね」
と答える流雫。
シルバーヘアにオッドアイ……一見異質に見える少年は、犯人からすれば悪魔でしかない。
同時に流雫に向けられる4つの銃口、その一つから銃声が響く。
「っ!!」
悪魔の身体2つ分外れた銃弾が、ガラス製のドアを破った。人質から悲鳴が飛ぶ。
「流雫!!」
澪が声を上げる。その方向に、1人の目が向き、その足が動き出す。
「澪……!」
流雫は思わず、小さく声に出す。階上に1人残したのが裏目に出た。
「……何が目的だ?」
流雫は再度問う。だが、やはり返事は無い。
……答える理由が無いのか、答えられないのか。否、その両方か……。ただ、今はとにかく逃げ延びることだけだ。
身体を僅かに左に振った流雫は、3人が自分に意識を向けるのを確かめ、地面を蹴る。1人が動いた。
先刻デッキから一瞥しただけで、流雫は階下のフロアの特徴を把握した。奥は小さな参道の先で行き止まり。それよりは別の行き止まりを使うか。
視界の端に入る男は
「袋のネズミだ!!」
と声を上げる。しかし、非常口が無いことすら、流雫は判っている。
駅に出入りする列車を見渡せる展望スペースが、その行き止まりの正体。ガラス張りの前に手摺が有り、左右は壁に囲まれている。
後ろからの銃声は、強化ガラスにヒビを入れた。
「悪魔は俺が殺す」
そう言った男は、自分に正面を向けた自称悪魔の化身に銃口を向ける。
トリコロールのシャツに薄手のパーカー。この時期、見ている方が寒くなるような服装の少年は、命乞いする気配は無い。この期に及んで助かると思っているのか。
踵を返した流雫はノーハンドで手摺に足を乗せ、前に蹴った。後ろ向きに宙に浮き、高さを優先した放物線に委ねた身体を捻り、男に正対する。
「何!?」
と男が声を上げるのと、頭が押さえ付けられるのは同時だった。
膝が折れ曲がり、地面に崩れる男は首を後ろへ向ける。悪魔は両足で綺麗に着地し、踵を返して銃口を向けた。
「流雫!」
澪の声がイヤフォン越しに刺さる。それが合図になって、流雫は引き金を引いた。
1発の銃弾がデニムを突き破って脹ら脛に刺さり、男は
「ぐぅぅぅっ……!!」
と声を上げて転がる。流雫は手を蹴って銃を手放させると、黒い銃身を拾い上げて踵を返した。
銃声の後に聞こえる悶絶の声が、流雫のものでないことを知ると、澪は微かに安堵する。後は3人……うち1人は階段を上がってきている。
「来い!!」
男は叫ぶ。しかし、澪は近寄らない。……抵抗はしない。正当防衛が成立するまでは。
躙り寄る男の目を睨む澪は、流雫のように階下に飛び下りることはできない。少しずつ距離が狭まる中で、行き止まりの展望デッキからどう脱出するか。
「目的は何!?」
澪は声を張り上げる。しかし返事は無い。
「話す必要すら無いってワケね……」
澪は呟く。ならば、戦うしかない。目的は2つ。警察に引き渡して全てを吐かせる。そして、流雫との福岡小旅行……もとい遠征を邪魔されたことへの報復。
澪に銃口が向く。それが反撃の合図。澪は銃を構える。火薬が爆ぜる音、しかし少女は倒れない。
「澪!」
流雫の声がイヤフォン越しに響く。
「無事よ!」
とだけ返す澪の声に安堵した流雫は、しかし早く恋人に駆け寄りたかった。……撹乱より使える手が有る。
流雫は、その特徴的な外見で男2人の気を引く。それに気を取られた1人は、シルバーヘアの少年を追い始めた。
「止まれ!」
その声に反応しない流雫が目指したのは、上のデッキへ行く階段。
流雫が望むのは、自分が1対2で挟み撃ちにされ、澪がノーマークになること。逃げ場が無いのなら、自分が盾になるまでの話。とは云え、撃たれる気は無い。
「他の人を逃がす」
と、マイクに向かって言った流雫をとにかく信じる、澪ができることはそれだけだ。
威嚇発砲にも動じず、階段を駆け上がった流雫に、澪を睨んでいた男が振り向く。しかし、もう1人が追い掛けてくる気配は無い。非常口の門番として、人質が逃げないように見張っているからか。
日本人らしからぬ見た目の自称悪魔の化身は、男と目を合わせた瞬間、踵を返す。そして銃口がその背中に向くより早く、ノーハンドでデッキの手摺に跳び乗る。
「待て!!」
の声に反応するように、その勢いのまま宙を舞った流雫は身体を捻り、男に正対しながら銃を構える。
「澪っ!!」
と声を張り上げ、流雫は引き金を引く。それに呼応するように
「流雫ぁっ!」
と声を張り上げた澪は銃を構え、一気に引き金を引いた。
「あああっ……!!」
男が太い悶え声を上げ、太腿と肩から血を噴き出してその場に崩れる。
初めての挟み撃ち……これでデッキは安全になった。そして、流雫は壁を越えて着地した。
「ふぅ……」
と溜め息をつきながら見回した、そのコンクリートの無機質なエリアは関係者専用の業務用区画。
その奥に階段やエレベーターが有って避難できるハズ……。そう思った流雫は、非常口を兼ねたドアに手を掛け、ノブを回しながら一気に蹴った。
「うぉっ……!?」
奥から声が響き、同時に鈍い音がして止まったドアに、流雫は体当たりする。男が飛ばされると、流雫は
「此処から逃げて!!」
と叫ぶ。
助かる、そう思った人質と入れ替わるようにデッキに戻った少年は、人質を止めようと銃口を向ける男の手を、銃身で殴り、黒い銃身を手放させる。
「てめぇ……!!」
その声に対する流雫の返事は、銃身を使った頬への一撃だった。
「ぐふっ!」
醜い声を上げて倒れる3人目の男。あと1人……。
人質を失い、最後に残った男は怒りと焦燥感に駆られていた。
「ふざけやがって……!」
そう叫び、射程距離に任せて大口径銃の引き金を一気に引く。大きく外れたが、悪魔の気を向けさせるには十分だった。
流雫は立ち上がると、最後の1人を睨み付け、靴音を鳴らす。
「待て!」
その声を靴音で掻き消す流雫は、再度デッキへと駆け上がった。