Ⅳ.HAPPY TOGETHER-2
ものすごく不本意だったが、レイヴンはやむなくドードーの肩を借りて自宅に戻った。店ではなく反対側の玄関から入り、自室へ直行する。仮眠用の長椅子に身を横たえると、レイヴンはにべもなく吐き捨てた。
「出てけ。おまえに用はない」
「なんつー言いぐさだよ」
無愛想な応対には慣れっこのドードーも、さすがにムッとして言い返したが、顔を覆ってぐったりと沈み込む様子を見ればたちまち心配そうに眉を下げた。
「おい、大丈夫か……?」
伸びてきた手を、レイヴンは邪険に振り払った。
「なんともない。放っといてくれ」
「どうしたんだよ、すげぇ形相だったぞ」
レイヴンは答えない。居心地悪さは最悪だが、言われるままに帰るのもためらわれて、ドードーは室内を見回した。
「……窓開けるか」
レイヴンの答えを待たずに窓を開けると、さっと涼しい風が吹き抜けた。さっきのにわか雨で、洗い流されたようにクリアな青空が広がっている。
「ん……、なんかいい匂いするな。──ああ、薔薇が咲いてるのか」
ドードーは窓から身を乗り出し、隣家の裏庭に植えられたアプリコット色の薔薇を眺めた。
「そういやあの家にも、薔薇がいっぱい植わってたっけな……」
「──うちにあったのは赤い薔薇だけだ」
憮然とした声におそるおそる振り向くと、レイヴンが仏頂面でクッションに寄り掛かっていた。
「メドラは赤い薔薇が好きだったろう? ”サマンサ”とか”ハッピー・トゥギャザー”なんかが特に気に入ってた。……忘れた?」
「い、いや、覚えてる……」
うろたえ気味に呟くと、レイヴンはうっすらと皮肉な笑みを浮かべた。
「どうした? 今日は記念日だから、思い出話をしてもいいぞ」
「記念日……って、えぇと……、あっ、結婚記念日か! おめ……でと……」
うっかり口にして青くなる。思い出した。この日、友人夫妻が忽然と姿を消したのだった。そして何年も経ってドードーは*彼女*の顔をした*彼*に再会した。不吉な黒衣の仮面師《マスカレリ》に。
レイヴンはしげしげとドードーを眺め、口元を奇妙にゆがめた。
「ああ、そういえば……。一度おまえに訊きたいと思ってたんだ」
「な、何を……?」
「おまえ、やたらとメドラを引き合いに出してないか? わざとやってるだろう」
「!? んなことするかっ、そんな恐ろしいこと……っ」
「いいや、してる」
見下したように言われるとにわかに腹が立ち、ドードーは眉を吊り上げた。
「──しゃあねぇだろ! その顔を見りゃ、いやでも思い出しちまうんだよっ」
「思い出すのは別にかまわないさ。懐かしがるなり哀しむなり、好きにしろ。だけど、おまえの言い方は気に入らないな……。いつも非難がましくて、気に障る」
「そいつぁ悪かったな! だけど当然だろ!? メドラの顔で、血も涙もない振る舞いをするおまえを見たら、文句のひとつも言いたくなるさ!」
「メドラはそんなことはしない、って? ──当たり前だろう、私はメドラじゃないんだ」
「だったらなんで……っ」
レイヴンは鬱陶しそうにドードーを見やった。
「自分がしてきたことを憚る気はない。自分の手を汚さずに〈地獄《ゲヘナ》〉から這い上がれるとでも思ってるのか? これからだって、必要ならいくらでも汚せるよ。おまえのことも、別に昔の親友だから生かしてるわけじゃない。今のところ使い道があるというだけだ。勘違いするな」
怒りだけでなく、どうにもたまらない気分になってドードーは叫んだ。
「マスクが必要だったのはわかる。だけど、どうしてよりにもよってメドラなんだよ!? 彼女の顔で、どうやったらそこまで残酷になれる!? 俺には彼女の魂を穢しているとしか思えない……。メドラはきっとおまえの行状を悲しんでるぞっ……」
「──どこで?」
平淡な声に、ドードーは絶句した。メドラの顔が冷ややかに見返している。本物のメドラなら決して浮かべることはないであろう、酷薄そのものの表情で──。
「な、に……?」
「どこで悲しんでると言うんだ? 天国でか? 地上の〈楽園《エデン》〉から堕とされた者は天国に行けるとでも? ──馬鹿だな、ドードー。こんな簡単なことがわからないなんて。
メドラはいないんだよ。もうどこにも、彼女は*いない*んだ」
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