Ⅴ.夢見てるのはどっち?-1
客が途切れると、グリフォンはにわかにレイヴンのことが気になりだした。
識別シグナルの反応からしてすでに帰宅しているのはわかっていた。だが、ドードーがいきなり青い顔で飛び出してきたのには面食らった。彼は大抵まず店のほうに顔を出すが、玄関から入ってくることだって当然ある。にしても、あの様子ではレイヴンと一悶着あったに違いない。
(ちょっと行って見てこよう)
今日はこの辺で閉めさせてもらうことにして、グリフォンは閉店表示のプレートをドアに下げた。カウンターの端で暇そうな顔をしていたチェシャ猫が尋ねる。
「もう閉店? 今日はずいぶん早いんだな」
「ええ、まぁ。この子のこともありますし……」
「そうだよなぁ」
ちろっとチェシャ猫は肩ごしに振り向いた。パーティション代わりの観葉植物の陰で、エイダは大きなテディベアを抱えて遊んでいた。側ではアリスが意外と親身な様子でままごと遊びにつきあっている。去年のクリスマスにレイヴンからもらったお気に入りのテディベアをわざわざもってきてやったのだ。
当初はグリフォンにべったりくっつくエイダを気に食わなそうに睨んでいたが、にこにこと笑いかけられるうちにほだされてしまったらしい。
「チェシャ猫さん、今日はもう上がっていいですよ。お給料はちゃんと一日分お支払いします」
「や、それはいいんだけどさ。……実はさっきちょっと探ってみたんだ」
「何をです?」
「決まってだろ、迷子の情報だよ。警察の公式サイトで検索すりゃわかるかと思ってさ」
「なるほど。で、どうでした?」
「ダメだね。届けは出てない」
「親御さんたちがまだ自力で探しているのかもしれませんね」
「しかし変じゃね? あの子、着てるものからして明らかに金持ちのお嬢ちゃんだぜ。そういう子どもはたとえ三十分でも行方不明になったら親は即警察に届けるのが普通だ。身代金目的の誘拐なんて〈煉獄《シェオル》〉じゃ珍しくもねぇからな」
「……迷子だとわかって、周囲を探してはみたんですよ。でも、それらしき人はいませんでした」
「グリフォンが連れていったのは大勢の目撃者がいるわけだな。誘拐犯と思われたりしてー」
「いやなこと言わないでくださいよ。──僕、ちょっとレイヴンに訊いてきます」
「帰ってんのか?」
「ええ、さっき戻ってきたみたいです。チェシャ猫さん、お客さんが全員引き上げるまではいてくださいね。お代はもらってありますから大丈夫です」
「心配すんなって。ちゃんと子守してるから」
にやりとするチェシャ猫に苦笑してグリフォンは奥のドアから家に入った。書斎のドアを遠慮がちにノックする。返事はないが、いることはわかっていたので声をかけた。
「レイヴン? 入りますよ……」
ドアを開けると、さっと風が吹き抜けた。開いた窓で、レースのカーテンがひるがえる。陽射しの角度が変わって半分ほど遮られていたが、それでもまだ充分に明るい。レイヴンは仮眠用のカウチでクッションにもたれて目を閉じていた。覗き込むと彼は薄目を開いた。眠っていたわけではなさそうだ。グリフォンは微笑んだ。
「おかえりなさい」
「……ああ」
「ドクターは、どうかしたんですか? 血相を変えて飛び出してきましたけど」
「別に……。邪魔だから追い返しただけさ」
投げやりな口調でレイヴンは呟いた。また言い争いをしていたらしい。あの様子では言い争うというより、いつものように一方的に言い負かされたのだろうが……。
グリフォンはレイヴンのだるそうな顔に眉をひそめた。
「気分が悪そうですね」
「ちょっと疲れただけだ」
「ドクターには診察にきてもらったんですか?」
「たまたま行き会っただけだ。くっついてきてくどくどうるさいから追っ払った」
「そんなに邪険にしてはドクターが気の毒ですよ。心配してくれてるんですから」
「呼ばれたときだけ来ればいいんだ。それで用は足りる」
「ドクターはあなたのことを本当に気にかけているんですよ。小言にしたって、あなたが無茶をするから見かねて──」
「───うるさい!! あいつの非難がましい繰り言を、おとなしく効いてろって言うのか!?」
荒々しい怒鳴り声にグリフォンは目を瞠った。跳ね起きたレイヴンの顔は怒りでうっすらと紅潮している。こんなふうにいきなり怒鳴りつけられたのも、これほど激怒した彼を見たのも初めてのことで、グリフォンはただただ呆気に取られた。
レイヴンはくしゃりと顔をゆがめ、黒手袋を嵌めた手で顔を覆った。
「……すまん」
「いえ! いいんです。出すぎたことを言いました」
急いでかぶりを振ると、レイヴンは口許を手で覆い、固く瞼を閉ざした。まるで耐えがたい痛みをこらえるかのように……。グリフォンは彼の側にそっと腰掛けて顔を覗き込んだ。
「……いったいどうしたっていうんですか。今日は朝からずっと……変ですよ」
レイヴンは力ない笑みを浮かべた。こんなに打ちのめされたレイヴンは見たことがない。いつだって彼は泰然としていた。何事にも傍観者的で、堂々としていて、冷たい余裕の微笑を浮かべていた。その彼が今はまるで雨に濡れて震えている小犬のように弱々しい。
おずおずと肩を抱き寄せると、レイヴンは疲れたようにぐったりともたれかかった。グリフォンは迷った末、ためらいがちに尋ねた。
「あの女の子……、あなたは知ってるんじゃないですか?」
レイヴンの肩がぴくりと揺れる。
「……まだいるのか」
「はい」
レイヴンはますます深くうなだれた。
「見ていたくないんだよ、あの子だけは……。とても見ていられない。私にだって、平然としていられないことはあるんだ」
「当然です、あなたは人間なんだから」
グリフォンは彼を抱きしめ、そっと背を撫でた。
「──安心してください。僕ならできます」
そう。顔なし《フェイスレス》の僕にとって『感情』はプログラムのひとつにすぎない。完璧にコントロールできるし、必要となればモードを移行しなくても完全にシャットアウトできる。
レイヴンにできないこと、したくないことは僕がやればいい。そのために、僕はこの人の側にいるのだから──。
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