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煙草の没落にみる現代人の精神病理

先日、煙草をテーマにした文章を書いたのもあり、ふと夢判断と言うページを見に行ってみた。
あらかじめ書いておくと、現実では私は非喫煙者であり、実際に横で煙草を吸われるのはむしろ不快ですらあるのでここではイメージとしての話になる。

夢判断のページをひらくと、煙草の夢には依存、疲労、ストレス、不摂生といった言葉が並ぶ。
おそらく、最近意味づけられたものであろう。
そんなものを代表的なイメージとされるとは煙草の地位もずいぶん落ちたものだ。

少し前までは煙草はダンディズムや男らしさの象徴であった。映画やアニメのイイオトコは必ず煙草を咥えていた。
それ以前の時代では煙草は神からの贈り物であり、神とつながるツールでさえあった。

その意味するものが、耽溺、それならまだわかる。あるいは煙草が男性器の象徴だといった某精神分析学者(彼によると棒状のものはすべてそうなのだが)のほうがよほどマシであろう。

現代の煙草のイメージ。そこには現代人の不安や恐怖、依存心といったものが見え隠れする。
本来、ひとは不安や恐怖というものをある一定量持っているのではないか。
今の日本では多くの人々が外敵に襲われることも、餓死することもなく老人と言われる年齢になるまで生き続けることができる。
このように常に守られることで、行き場のなくなった不安や恐怖を本来の脅威としては不十分なものに投影し、敢えて恐れる対象を作ってはいないだろうか。

動物であることを拒否し、自ら感じること、触れることを忘れ、教科書と浅学な書物、ネットでしか世界を見ることをせず、自然や神、ひとそのものに対する畏敬の念を忘れた現代人の精神病理をみるような気がする。




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