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財布と歩く人生

財布は人となりを表す。。
そんな気がしないだろうか?

私も勿論、財布を持っている。
現在にかけて、覚えている範囲で私の財布遍歴をここに書き残しておく。

幼少期の頃の財布は正直覚えていない。
多分ムシキングとか任天堂のマリオとか、そんな類だったろうと思う。
トーマスだったかもしれない。
まあ、いわゆる一般的な可愛らしいものだった。


小学生の時はこの、adidasのマジックテープの財布を使っていた。
なんとも無邪気で実用的な財布である。小学生にピッタリ。
いや、もしかしたら中学生の時も使っていたかもしれない。
地元が田舎だったので、中学時代も財布に気遣うような文化は無かった。
急に走り出したガキンチョのポッケから零れ出して、地面に雑に落ちる。
そのガキンチョは「あっ!」ちょこまかと拾い上げまた目的地に走り出す。
そんな夏の昼下がり。というか、私だった。
そんな場面を共にしてきた気がする。

お次は高校時代。
またまた香ばしい思春期を体現している。
ヴィレッジヴァンガードで買ったヤンキースの長財布。
厳密に言うと、この迷彩のタイプではなくて、水色の細い編み込みが表布になっているものだった。
初めて彼女が出来た高一の冬も使っていた。
多分彼女には、型紙が幅をとり無駄に嵩張るだけのヤンキースの長財布のような私の内面まで見透かされていたのだろう。
懐かしくほろ苦い思い出と、財布を変える時に移さなかった1円や5円の小銭十数枚だけがまだ実家に残ったままだ。

高校後期。
ディーゼルの黒と黄色の2つ折り財布。
少しでもモテたかったんだろう。
同級生女子からは言わずもがな論外の存在だったろう。
先輩♡と言わんばかりのプリティさでLINEを聞いてきてくれた後輩女子も私のテンションには流石についてこれなかった。
社会人一年目まで使っていた気がする。
結構使い込んだら薄くなって、持ち運びしやすかった。でもDIESELって今思えば私に全然似合ってないような気もする。

社会人二年目、少々お金を持ち出して満を持して買ったGUCCIの長財布。
はしゃげ〜このクソガキ。
蛇にキュンとした。
天神の岩田屋で8万5000円くらいで買った。
なかなか張り切り過ぎたが、自分によく似合っている財布だと思う。
使い始めて1年半くらい経った頃、「ブランド物」というマジョリティ主義、万人受け、見えない空白の価値が100%人間の心理によって崇められているというものに嫌悪感を示すようになった。
天邪鬼。奇を衒う自分が飛び込んだ先が仮に奇だったとして、そこに馴染んでしまえば同じようなメンツが周りにわんさかいて、そのうちの一人に埋もれてしまうのだから、奇を衒う人間はニッチな方に走り続け己の特異性を育み愛す。
男が成れの果てに飛び込んだ先は。


これである。
マイメロディのシリコンがま口。
成人男性が持つにはおふざけが過ぎるかもしれないが、使い勝手が良く相当気に入っている。
まず見た目がかわいい。まだ言っていなかったが私はマイメロが好きだ。休日とマイメロのグリーティングが被れば必ずハーモニーランドで戯れるし、携帯も家の鍵も玄関のぬいぐるみも全部マイメロである。
マイメロほど心を浄化してくれる子は居ない。
機能面で言えばシリコンなので汚れも摩耗もない。サイズも小さく、嵩張らない。真ん中にカードを束ねて入れ、その右側はお札、左側に小銭を入れている。昨今のバーコード決済利用者である私にとってはこれくらいの大きさで事足りるのだ。
あとはなにより、良くも悪くも一目置かれる存在になる事だ。
一般女性100人に聞いた彼氏に使って欲しくない財布No.1にも入らない、つまり論外中の論外であろうこのマイメロがま口、持っている男はそうそういない。
持っているとしたら私か、リリーフランキーあたりだろう。

ブランド物の呪縛から解き放たるや、野郎共。

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