郊外っ子の夢

どこにでも住めるとしたら・・・?そんな問いをされたら、妄想がどんどんんと膨らんでいくに決まっている。焼き上がりたてのシフォンケーキのように。ただ、オーブンから出したら一気にしぼむのが分かっているので、経験というものは夢を先回りして壊していく能力もあるようだ。

ただ、自らを無理やりオーブンから取り出す前のあつあつな状態に身を置かせてみようじゃないか。そうするとどうだろう、思いの外、とてもリアルな手触りだったようだ。

そこは、海からは5キロくらい離れている場所だ。私の実家は海から10キロ位離れた場所にあって、もう少し海から近くても良い気がしている。自転車をちょっと頑張って漕いだら砂浜が広がっている。解放感もあり、ノスタルジーも感じられる。
ただし近すぎると、海風で自転車がさびついたり洗濯物が外で干せなかったりする、と、鵠沼に住む友人から聞いたことがあるので、もう少し遠い方がいい。
欲を言えば、1時間くらいかければ、公共交通機関だけを使って到着できる、低山があるといい。たまにトレッキングしたくなる時がある。友達と登って、下山後のビールほど美味いものはない。
そして、適度に都会なのが良い。だいたいドアツードアで30分くらいで映画館があるような場所が良い。できればミニシアターもあったら嬉しい。
例えばルミネのような、様々な価格帯のおしゃれなショップがたくさん入っている商業施設にもアクセスしやすいところがいい。ちょっとおしゃれして、ヒールのある靴なんかを履きつつ、ブラジャーをフィッティングしたり、ビューティーアドバイザーに肌色を相談できるような場所。
舞台芸術の世界に身を置いていたことを忘れてはいけない。コンテンポラリーダンスの公演を、1、2時間かければ見に行けるような場所が良い。月に1作品はぜひ見たいものだ。
そして重要なのが、慣れ親しんだ友達と気軽に会える距離であること。例えば私は東京の会社で働いているので、1時間半くらいかければ飲み会に参加できるような場所だと良い。

妄想がふくらむ、と書いたが、ずいぶん現実的なことしか書けなかった。とはいえ、原因は自明なのだ。

私はコロナ禍の1年半前に、東京の下町から、徳島市に引っ越してきたのである。まさに流行り(?)の「移住」だ。
そこで感じた「今の自分に足りてないところ」と、「現状でも環境は整っているのにうまく活用できていないところ」が合わさったような”住みたい場所”になっている。

私は育ちが神奈川県のいわゆるベッドタウンで、横浜や町田などへのアクセスがとても良いところに長い間住んでいた。そこから東京の大学や職場に通っていた。東京に引っ越したり、結婚してからは千葉の柏や件の東京の下町に住んでいたこともあり、生粋の「郊外っ子」だ。

一方、徳島では、住んでいるのは立派な県庁所在地で商業施設も(ルミネほどの潤沢さはないが)そこそこある。が、どこもかしこも車で行くのが当たり前の距離感。なかなかおしゃれしてヒールで闊歩するようなエリアは存在せず、私のヒールたちは箪笥の肥やしになっている。
映画館だって、イオンにシネコンがあり(流行のアニメなんかがたくさんかかっている)、ミニシアターも1件ある(想像以上にニッチなセレクト)。自転車で30分以内で行けるが、残念ながら見たいものがほとんどかかっていない。
砂浜は少し遠いが、おそらくサーフィンのできる県庁所在地は、沖縄と徳島くらいなのでは、と思っているくらい、立派な砂浜がある。(反論があったら申し訳ない)
そして、何よりも「眉山」の存在は大きい。徳島にとっては、例えて言うならディズニーランドのシンデレラ城のような存在の、ランドマークだ。ちょうどいい低山で、トレッキングには最適。これについてはパーフェクト。高尾山のようにビアガーデンが山頂にあったら嬉しいね、とよく夫と話しているが。
これだけ書くと、私が立っている現在地は、理想の住処と言えそうだ。

しかしどれもうまく堪能できていないのだ。原因もすでにしっかりと書かれている。郊外生まれ郊外育ちがぬくぬくと育った結果、手を伸ばせばすぐに登山や映画や舞台を楽しめ、ヒールを履いて遊ぶような友達がいたのだ。たとえ一人で行動しようとも。

引越す前はそれもさして重要指標ではなかった。コロナ禍でほとんど友達と会っていなかったし、舞台も中止されてばかりの状態に慣れ切っていた。登山も映画も舞台もショッピングも、一人で十分楽しめる程度には大人になっている。
ただ、手が届くところに、友達が存在しないのに、思いの外ダメージをくらっているようだ。まさに「郊外っ子」が染みついて離れない。

帰る「田舎」を持たない私は、どこかアイデンティティがぼやけているような気がしていた。しかし、「郊外」というのがいつの間にかアイデンティティになっていたようで、離れがたい、愛すべき存在になっていた。
それを知れただけでも移住した甲斐があったというものだ。

「どこでも住めるとしたら」で「ちょっと自然の多い郊外」なんていう、夢の無いような回答をしてしまったが、きっとオーブンから出してしぼんだとしても同じ回答ができるくらい酸いも甘いも経験を積んだと思えるようになろう。

#どこでも住めるとしたら

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?