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不妊治療PJにコミットした1年のサマリー

妊活・不妊治療についてまとめようと思う。
と、いうのも、なんとなく一段落した気分になっている。
上手くまとめられたか不安だけれども、よかったら読んでほしい。



不妊治療の概要

1番短い概要

2017年に結婚し、自然妊娠を期待したものの、なかなかできない。
2020年、一度タイミング法にチャレンジだがタイミングじゃ難しいかもね、となる。
時が経って2022年4月より保険適用になり、再チャレンジ。人工授精をしたけれどなかなかハードルが高く、体外受精にステップアップ。
2022年終わりに体外受精で妊娠したものの、8週ほどで心拍停止し、流産。部分胞状奇胎というのが原因と分かり、今もまだ経過観察中。

2番目に短い概要(2022年の月毎のアクション)

デュティールをどこまで書くのか、切り口をどうするかが悩みどころだけれども、年表的な形で、2022年からの治療をさらにざっくりと書くとしてみるとする。

4月:不妊治療再開を決める
5月:相談会に参加・治療開始・卵管造影で片側閉塞が分かる・人工授精(AIH)予定が、排卵後だったのでタイミング法になる。妊娠せず。
6月:AIH予定が、閉塞側の排卵ということでタイミング法となる。妊娠せず。
7月:ようやくAIH1回目。妊娠せず。
8月:夫婦でコロナに罹りお休み。
9月:体外受精(ART)にステップアップを決める。夫婦で説明会に出席。
10月:ART準備開始(前周期からピルで調整)。自己注射開始。
11月:採卵・採精。胚盤胞は2個できる。1個目を新鮮胚移植。妊娠せず。
12月:凍結胚移植の準備開始。2回目の移植。陽性反応あり。
2023年1月:胎盤確認・心拍確認後に、心拍停止。
2月:心拍停止を再度確認。排出手術。病理検査で部分胞状奇胎が分かり、再手術。
3月〜:血液検査で定期的に経過観察。

と、いったような流れ。これはおそらく、卵管造影を始めてから移植するまでの最短コースなのでは、と思うくらい簡単にステップアップしたルートなのでは、と思う。

気持ちの揺れ動き

さて、ここまで読んでくれた私の友人や、その他、これから不妊治療を始める人にむけて、何が大変だったか、何がありがたかったか、ということを書いておきたいと思う。

とにかく感謝しかない。

まずは感謝の気持ち。勤め先は、フルリモートでスーパーフレックスという勤務方式。
極論、日曜と午前0時〜5時を除けば、いつ働いても、どこで働いても良いですよ、という仕組み。これはかなり助かった。
また、チーム体制が整っていて、お互いカバーしながら仕事ができる環境にだったのと、さらに不妊治療に理解のある、リベラルな職場環境であることにも、感謝しかない。

そうじゃなければ、AIHでもう諦めていたかもしれない。

AIHの鬼畜スケジュールで思いっきり滅入る

AIH(や、タイミング法)は本当に酷い。もしかすると、治療のなかで1番キツい期間だったかもしれない。
コントロール不可能な身体のリズムに合わせて、仕事や予定を無視して病院に行かなければならいないのだ。

例えば、排卵の時期の数日前を狙って10月1日に予約を入れる。その際「排卵直前にまたチェックして排卵促進します。今の状態見ると10月7日ですね、また来てください」と言われる。
10月7日に行くと「もう1日待ったほうがいいですね。では明日10月8日また来てください」と言われる。
10月8日に行くと「良いですね、では排卵促進の筋肉注射打ちますね。明日10月9日、旦那さんとくるか、もしくは1時間以内に採取した精子を持ってきてください」と言われる。
10月9日に夫婦揃って病院に行く。

2週間のうちに3~4回病院に行き、うち2~3回は強制的に日程が決まって、絶対にその日に行かなければいけないという鬼畜スケジュール。
上記の例で言うと、10月1日に病院から帰宅後、上司や同僚に「次7日に病院行かなきゃいけないんです。もしかすると8日か9日も病院いかなきゃいけなそうです。」と言っておくような形。

ここまでやってAIHができずタイミング法になった時などは、もう投げ出したくなっていた。

でも、AIHで授かる人もいるので、バカにはできない。不妊治療で休職していた森三中の大島さんはAIHで授かったらしい。

保険適用を前提に考えると、AIHはほぼ必ず通る道なので、とにかく思いっきり迷惑をかけながら、なんとか乗り越えた5,6,7月であった。

ARTは複雑な投薬に苛立ちが隠せない

体外受精(ART)は(方式にもよるが)あまり唐突な休みが生じることは少なく、ある程度予測はできるので、スケジュールの部分は楽になった。とはいえ、AIHと比較してなので、週2位✕3週間くらいは通院だが。
ちなみに、私が通院していた病院はアンタゴニスト法を採用していた。

何が大変かって、薬や注射の投与だ。とにかく多種多様な薬を、ガントチャートをつくりたくなるくらいに投与しつづける。錠剤もあれば、膣錠・膣に入れるジェルもあるし、腹にシールを貼るという素人目線では意味不明なものもあるし、自己注射もなかなかなインパクトがある。

自己注射は怖いとかより面倒臭い

自己注射は、特に「大変そう、痛そう、怖い」と思われがちだが、ぶっちゃけ私は、最初だけは順序を間違えないようになど、かなりドキドキしながら行って、気疲れがあったけれど、数日したら慣れてしまった。その後はもう、ただただ面倒臭いだけになった。

注射は、①冷蔵庫から注射を取り出し、消毒コットンとシール、針を準備し、②消毒したところに針をつけて空気を抜いて、③刺す場所にまた消毒してピッとと刺して、④ピッと抜いたら針をとって容器に入れて、⑤刺したところにぺっとシールを貼って、⑥注射を冷蔵庫に戻し、⑥消毒コットンをすてる……
という、とにかく工程が多すぎる仕様なのだ。

2日に1回4枚のシールを貼り替えるという投薬

腹に貼るシールもかなりうざったい。4枚のシールを、2日に1回貼り替えるのだ。2日1回、というのをとにかく忘れてはいけないので毎晩「今日か?今日じゃないよな。」とカレンダーをチェック。
そして風呂上がりに4枚剥がして4枚貼るのだが、肌荒れしないようにソッと剥がし、フィルムを剥がしながら替えのシールを貼る、というのを繰り返す。
フィルムが薄っぺらく透明なので、4枚捨てる必要があるのに1枚見当たらない、みたいなことが多発していた。
そして、痒い。ずっと腹が痒い。

8時間に1回入れる膣錠

膣錠もイライラしていた。8時間おきに1回投与で、1日3回入れなければならない。アプリケーターを使うので、タンポンと同じ要領ではあるが、この時間を守るのと、いちいちアプリケーターを捨てねばならぬのが面倒臭い。
1度、この膣錠を投薬していた時期に出張が入った。もちろん膣錠を持って行き(どうしても16時あたりに1回入れないといけないのだ。)、外出先のトイレで膣錠を入れることになった。その不安感と、『使用済みのアプリケーターどうしよう問題』が悩みどころだった。私は気にせずトイレのゴミ箱に入れたが、きっと世の不妊治療PJメンバーにはお持ち帰りしている人も多いだろう。

採卵は「数」に惑わされ、感情の起伏がしんどい

薬系以外だと、やはり、採卵だろう。
体外受精の治療の山場だし、緊張する。そして普通に痛い。まぁでも針を刺すんだからそりゃあ痛いだろうし、それまでのAIHや投薬など、乗り越えてきたものを考えると、感慨深いものがあった。(その後も投薬は続くのだが。)

ARTの場合は、採卵数≧受精卵数≧胚盤胞数あたりがまた重要な指針となり、一喜一憂する。卵子と精子が合わさってちょっと育った状態である、胚盤胞というのになれば、子宮に移植できる。採卵がたくさんされても胚盤胞ができないと意味がない。
私たちの場合は、最初とても落ち込む結果だった。もうお葬式状態であった。時間と多少のお金を費やしたけれど、こんなにもあっさりと無意味になるのか、と。が、ラッキーパンチで2個、胚盤胞まで辿り着けて、とにかくホッとした。採卵から胚盤胞の結果までの間は精神的に本当に辛いものがあった。

移植後は細胞に委ね、受け入れるのみ

そして移植。移植自体はもう、なるようになれ!先生お願いします!という感じでしかない。プロジェクトでたとえると、準備を重ねてきた絶妙な企画案に決裁が下るかどうかの取締役会みたいな状態。

それの結果が分かるまでまた1週間くらい待たねばならない。これもまた、やきもきしつつ、人事を尽くして天命を待つ!という感じでしかない。

私の場合1回目はダメで、普通に生理が来てしまった。2回目は見事、取締役会で決裁がおり、血液検査で妊娠が分かった。ありがたいかぎりだ。

つわりが心身を蝕む。自分を恨む。

6週あたりから地味につわりがじんわり心身を蝕んだ。
元は重いつわりではなかったと思う。でもおそらく、自宅でデスクワークをしていると、比較的リラックスモードになってしまうので、気持ち悪さに敏感になってしまう。いわゆる、副交感神経優位の状態で、つわりを重くするとされていて、それだったのではと思う。
逆にミーティングしたり、散歩したりすると、そこまで気持ち悪くなかったりする。ただとにかく、つわりが私の働き方に合わなかったのだ。
午前中働くともう午後は気持ち悪くて横になってしまう。「立ち仕事で身体を休められない人よりも良い環境で仕事できているのに私は何を怠けているのだろう。」と何度も自分を責めた。
「昨日できなかった分、今日こそ仕事するぞ」と思い午前中頑張り、午後休むのを繰り返し、なんと有給を10日消化してしまった。

ちなみに、実際に嘔吐したのは3,4回くらいなもので、脱水症状などにもならなかった。

流産。期待してた分、悲しいのは当たり前。

でも流産した。流産は、プロジェクトは走り出して、数週間はうまくいっていたように見えたが、継続不可能なエラーが出てしまって、早期にプロジェクトを畳んだ状態である。

簡単に言うと、ショックではあった。自分を責めることは特になかったのだけれど、喪失感があった。
心拍が止まる8週のうちに産院を検討したり(これはどの妊婦でもこの時期にせねばならない)、(先走るタイプなので)産休に入るタイミングや、育休明けのこと、保活のこと、子供につける名前や、新生児をむかえるにあたっていくらくらいお金が必要かや、行政のサポート内容を調べたりなど、いろんなことをした。
日々過ごすなかで、心拍停止後も「あ、そうだ、産院について調べなきゃ。あ、調べなくて良いんだった」「これ離乳食とかに使えそう。あ、考えなくっていいんだった」といった思考が駆け巡り、そのたびに落ち込んでいた。

バグった身体に失望する

実はつわりは、お腹の育たなかった子を排出するまで続く。心拍停止が分かってから排出するまで続くつわりが、流産した中で、かなり辛いことの一つだった。

生きていない子だと判断つかず、身体が何かしらの栄養分を与え続け、元母体が蝕まれるという虚しさたるや。おのれを呪いたくなった。これは、私だけがこうなるのではなく、一般的にこういうものらしい。

(いったん)最後に

流石に長くなりすぎたので、このあたりでいったん終わりにしたいと思う。
職場には迷惑をかけたけれど、1つ1つが、本当に面白い経験で、やってよかったと思っている。
不妊治療を完全に辞めたわけではないけれど、また(胚盤胞ができるかも分からないのに)あれをやるのか、妊娠したとしてもまたつわりがあるのか、また流産してしまう可能性もあるのか、と思うと、気がひけるのが正直なところだ。

この記事が、読み手にとって、何を示唆するものかは分からないけれど、楽しく読んでもらえていたら嬉しい。

ちなみに部分胞状奇胎についても、経過良好で、もうだいたい問題ないところまで来ており、妊娠禁止期間もそろそろ終わろうとしている。

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