チタン
映画「チタン」を鑑賞
「RAW 少女のめざめ」の監督ジュリア・デュクルノーの新作「チタン」がついに配信されたので、不安と期待感が入り混じった状態で再生した。
なぜ不安と期待感なのか。
それは前作「RAW 少女のめざめ」の評価に繋がる。
色んな作品の要素やメタファーなどが入り混じっているのだろうけどあまり詮索もせず、シンプルに「女性としての成長」と「欲求」というものを人とは違う視点(カニバリズム)というもので表現しているのだけど、最後の最後には「これはファンタジーです」というもったいない終わりにしてしまうあたりが「ただのホラーじゃないからね」と突き放すようでもあり、「でもアートというわけでもない」というなんだかじれったい感じが不安感に繋がったのかもしれない。
この最新作「チタン」においてもその不安は的中する。
今回は前回ほどわかりやすいものではなく、非常に難解だ。
タイトルのチタン(TITAN)は「タイタン(巨人)」のダブルミーニングでもあるらしく、巨人神話を基にしているかもしれないが、これはわからないので忘れよう。
凡人は凡人らしく自分なりに紐解きつつ感想を綴っていきたい。
精神的負担をドシドシ刺激する
前作でもそうだったが、主人公が人の指を夢中になってチキンを食べるかのようにムシャぶりつくすシーンなど、見ててゾワッとするシーンは健在。
お腹を搔きむしるシーンなんて始まった時点で嫌な予感しかさせないのはこの監督の腕の見せ所と言わんばかりである。
そして予感は的中して嫌な思いをするのであった。
それだけではく、なんとなく仄めかされるお腹の子はきっと父親なのだろうなと思わされるのも嫌なものだった。
メタファー
今回、この監督のメタファーは非常に読みづらかった。
女性にクローズアップされている点においては、前作と地続きなのか、もしくは関連性や連続性があるものかもしれない。
今回の女性は、車を愛すが人を愛せないであろう人物。
人を簡単に殺してしまう人物だったがあることがキッカケで「愛」を知ることになる。
また、洋画ではありがちではあるが、キリスト教的な要素もあり
これが本当に車の子だとしたら、あのクライマックスはまさに聖母マリアと同じ現象であるとも言えるが、これはヴィンセントの妄想だろう。
妄想か現実か
虚実入り混じった作品だからこそ混乱する。
構図や映像美はアート的なセンスも抜群なので見入ってしまうが
「一体これはなんなんだろう?」と考えながら見るので頭が痛い。
車との性行為は本当にやっているみたいだけど、体液がオイルになっているのはきっと妄想。
この境目の判断を瞬時に行わねばならず、人によっては疲れるだろう。
結局なんだったのか
愛することや愛されることを知らなかった女性が愛を知り
子供を失った男性は、わかっていながら見知らぬ人を息子だと思い込み
これまた徹底的に愛する。
最後に生まれた命は、ヴィンセントにとってはまさに死んだ息子の生まれ変わりなのだろう。
人の愛は盲目で、深く時に間違った方向に行くが、愛は不変で人を惑わすということだろうか?
完全に狂ってるとも言える二人だが、どこか愛おしく感じさせるから不思議である。
最後笑ってしまったのだけど、
ヴィンセントが若干引いてたのに
「これは陣痛だ」と分かった瞬間に消防士の顔になり助産師を始める。
こんなところでも職業病は発揮されるのか、と感心した。
そんな映画「チタン」
なかなか狂ってて愛おしい映画。
電車内にてiPhoneで見るのだけはやめよう。
よかったら是非。