見出し画像

35歳リコン直後のパリエステ留学(前編)

こんにちは🇫🇷
昨日パラリンピックが開会した
パリからお届けしています。

今回はご要望をいただいた、
10年前のパリエステ留学について
書いてみます。

2012年11月
渡仏して2週間後初めて晴れた!とFBに投稿していた

みなさんは、海外留学の経験がありますか?

まだない方の中にも
ずーっと行ってみたいと思いつつ
いまだに実現できていない

なぜなら
就職してしまったから
結婚してしまったから
子供ができてしまったから
年をとってしまったから
もう行くチャンスは無くなった
そんな声もよく聞きます

その気持ちはよくわかります
人生の優先順位ってありますもんね。

そんな皆さんにもしかしたら、

「これからでも遅くないかも?」

と思ってもらえるかもしれないと思いながら
私の35歳の時の挑戦を細かく書いてみます。

フランス留学を決めた経緯

時は2012年、
私は35歳の少し手前
5年同棲した後に
結婚生活3年を共にした方と
離婚を決め、
その先の人生を考えていました。
子供はいませんでした。

結婚前からエステティシャンとして働き
結婚してからは
海外での主婦生活の間も
自宅で友人にエステ施術をして
喜んでもらっていました。

当時はまだ
インスタもフェイスブックも主流ではなく
ブログの時代

ある日、
フランスでエステの国家資格を取得して
パリでエステティシャンとして
雑誌編集長などに人気な女性の
ブログを見つけました。

「かっこいい。。。❤︎」

この黒い洋服の女性がその方
フランスから帰国して3年後
あるイベントでお会いできました♡


よし、これに挑戦してみるか!

晴れて結婚して海外生活を送った後に
また日本へ出戻る想像(というか勇気?)が
どうしてもできなかった私は

ヨーロッパに残るかっこいい「言い訳」を
見つけてしまったのです!

海外滞在中にできた
イタリアやスペイン、オランダ人の
友人たちとの会話で

「離婚して帰国するけど
 本当はヨーロッパに残りたいんだよねぇ」

私がそんなことを言うと全員が

「じゃあ残ればいいじゃん、
   住みたいなら住みなよ」

まぁ全員が全員、軽く言うんです

「たこ焼きが好きなら大阪に住みなよ」

くらいのノリです。

一回きりの人生、
やりたいって口に出せることがあるなら、
やればいい。

とてもシンプルですが、
それな!が止まらない。

当時フラメンコをやっていて
そのパフォーマンスを見に来てくれた友人たち


そして私の
「かっこいいから」&「まだ住みたい」
だけの理由で
実はまっっったく興味のなかった
フランスの首都パリへ留学を決めたのです
(当時はロンドンの方が好きでした)

だって
美容・エステの本場と言われるパリで
フランス語でエステの国家資格をとったなんて

日本に帰ったらパワーワードのオンパレードで
誰に会っても「すごい、すごい」
と褒めてもらえること間違いなし!笑

前置きが長くなりましたが、

35歳になっていた
バツイチ女が
フランス語は1、2、3を言えるだけのレベルで
フランス留学を決めた経緯は
こんな感じです。

フランス学生ビザ取得での挫折

学生ビザの申請には
パリ現地での滞在先住所と
入学する学校の入学証明が
必要になります。
あとは銀行口座の残高証明などなど
私はヨーロッパに住む友人の助けを得て
エージェントなどを通さずに準備し
いざ申請!
確か大使館で簡単な面接もしたような気がします

どれくらい待ったか忘れましたが
通知が届き
広尾のフランス大使館へ出向くと

「今回のビザの申請は却下されました。
 また同じ内容で出しても通りませんよ。
 理由はお話しできないことになってます。」

なんと、ビザ申請却下!泣

しかも窓口のお姉さん
淡々とかなり冷たい言い方
ショックがさらに増し
近くの有栖川公園で1人泣いたのを覚えています

当時は厳しい移民対策で有名だった
サルコジ首相から
不倫騒動も起こした
フランソワ首相に変わった直後

後から知りましたが
パリで出会った日本の学生たちも
ビザ取得にはかなり苦労していました。

しかも
申請には9月スタートの大学内の語学コースを
申し込んでいたのですが
再申請となると
全く間に合わなくなってしまったのです。

と言うことは
語学学校を探して入学証明をもらうところから
やり直し…
念の為、
銀行残高証明も親に一時的に借りて
一回目の申請の倍くらいに額を増やしました。

そしてなんとか
2回目の申請で学生ビザ取得!!
この時も嬉しすぎて有栖川公園で泣きました。

甘酸っぱい思い出しかない有栖川公園in広尾

パリ語学学校に入学

当初の予定から
遅れること2ヶ月
暗くて寒い11月のパリに乗り込みます

住んでいたアパルトモン
これは去年撮った写真ですが
一階のパン屋さんなくなってた

学校までは徒歩35分
普通なら歩く距離ではなさそうだけど
パリ14区のモンパルナスから
ガレット屋さんが並ぶ道を抜けて
6区の美しいビルが立ち並ぶエリア
毎日歩いてもまったく苦になりませんでした。

数字で1から3までしか数えられない私は
もちろん一番初級の底辺クラス

クラスメイトには
堂々と先生に英語のみで話しかけるアメリカ人妊婦ちゃんや
堂々と授業中にうつ伏せで昼寝しちゃうトルコ人マダム
いつもへの字口だけどおしゃれな韓国人
美人で明るいブラジルかわい子ちゃんと
ジャンル豊富な底辺クラス

先生はアフリカ系でアフロを短めに整えた
雑誌のスナップに出てきそうなおしゃれギャル

底辺からひとつレベルが上がったクラス

超初級なはずなのに、会話のCD聴いて
ディスカッションの時間は
なんとなーくみんなわかっていて
全くちんぷんかんぷんだった私は
毎日縮こまって
私に話しかけるなオーラを出して
いじけていました。
暗くて寒い気候も手伝って本当辛かった。

とはいえ、上に書いた女性たちとは仲良く
放課後はよく一緒に遊んでいましたが。
(会話は英語だけど)

アメリカ人妊婦ちゃんに招かれたホームパーティ
トルコとオーストリアの美女たちと

1月には当初入学予定だった
大学のフランス語コースの後半セメスターに
転校して新たにスタート

毎日憂鬱ながらも
そのクラスには頭のいい日本人女子もいて
休憩時間は少し安らぐし
なんとか頑張っていました

ある授業では
日本のウォシュレットとか
おせち料理に関して
資料作り&プレゼンをしたのを覚えています

右から2番目がかなり熱血な先生
その後ろが私
クラス最終日盆踊りポーズで記念撮影

なんとか半年の大学内のコースも終わった
6月

私は今のフランス語レベルで
次の9月から現地の専門学校に入り
一年フランス語の授業を受けて試験対策
そして一年後には国家試験受験
ができるのか、
全く自信ないし怖いし
すごく迷っていました。

いやむしろ、
それはやめておこうかな…
と当初の挑戦意欲はどこへやら
怖いことから逃げたい思いの方が強かった。

そんな時に
同じ語学コースにいた日本人女子が
実は彼女もエステの学校に進むつもりで
いることを知ったのです。
私からみると彼女もフランス語レベルは
そんなに高くない。(失礼すぎる)
そんな彼女に相談したら。。。

続く

長くなったので
専門学校入学の経緯と
在学中のこと
国家試験
エステ国際ライセンス
については次の記事で書きます!

ここまで読んでくださり
ありがとうございました❤︎

スキが励みになります。

少しでもこのような挑戦が気になる方
私のパリでの生活
アラフィフ母ちゃんinParis
が気になる女性の方は

これから
インスタライブや、zoomお話し会などなど
LINEにご登録いただき
お知らせをお待ちいただければと思います♪






いいなと思ったら応援しよう!