ClariS「このiは虚数」がどういう悲恋なのか本気出して考えてみた
まえがき
Let’s Snow Parade! の夢のような時間が終わったと思ったら、大晦日はCDTVで推しを観ながら年越しできるらしいです。
初夢かな???
しかも年明けたら1月末はリスアニライブ、2月はオダイバ超次元音楽祭、5月にはZeppで単独が既に決まっていて。
2023年も推しに沢山逢える1年になりそうです。ありがてぇ・・・。
さて、ライブやテレビ出演情報と共に大きな話題になったのが、ClariSのコンサートで唯一映像化されている1st武道館の音源がLSP全公演終了後に突然配信開始されたことです。
なんでこのタイミングで?とかMCで色んな告知してたのに何でこれはサプライズ?とか色々聞きたいことはありますが、配信してくれるのはありがたいの一言なのでガンガン聴いて行きたいと思います。
というわけで、今回は武道館音源配信記念も兼ねて武道館セトリの中から「このiは虚数」の歌詞について紹介して行きたいと思います。
曲紹介
作詞・作曲・編曲: 長沢知亜紀 (CWF)、永野小織 (CWF)
4枚目のアルバム「Fairy Castle」(2017年1月25日発売)の7曲目。
ClariSファンにはすっかりお馴染みの「長永コンビ」の初提供曲です。
なお、歌詞サイト等でクレジットされている「mimichaki」は長沢さんの別名義のようです。
曲全体のストーリーへの仮説
・「このiは虚数」=「2人の愛が重なっても幸せになれない($${i^2 = -1}$$)」なので、両想いなのに決して結ばれない悲恋の話
・親が認めてくれないロミオとジュリエットパターン以外にも、同性愛や近親相姦(兄と妹)など社会通念/倫理的に許されない悲恋パターンも考えられるのでは?
ちなみに、念のため補足すると虚数は以下のような数学上の概念です。
・アルファベットの i で表す
・二乗すると -1 になる(i × i = -1)
では、いつも通り1番から順に見ていきます。
※歌詞は歌ネット(https://www.uta-net.com/song/222737/)からの引用
1番Aメロ・Bメロ
「理系ギター作詞作曲家」を自称する永野さんらしく、タイトルの「虚数」に始まり「測れない」「ベクトル」などなど数学を思わせる言葉が随所に散りばめられてます。
かつ、出だしから既に悲恋っぽい空気に満ちていますね。
「決められた運命辿ってた」からは、自分の意思と関係無い抗えない運命に阻まれてる感じを、
「君の幸せを願うベクトル 嘘じゃない でも世界は許さない」からは、君に幸せになって欲しいと思ってる気持ちは本当だけど、世界がそれを許さない、っていう何か道ならぬ許されぬ恋なのをそれぞれ感じます。
「もし願いが叶って私達が結ばれたとしても、そしたら君は願いと引き換えに不幸になってしまう運命」みたいなニュアンスも読み取れる気がしますね。
気持ちの表現にベクトル使うの良いですよね。ベクトルは大きさと向きを持っている数学の概念なので、気持ちを表すのに合ってるな~と。
Bメロに入って「誰も知らない私の想い 星空の影潜む希望」は歌の主人公が願いを人に知られないように隠してる雰囲気を、
「因果の果て 何かあっても 奇跡起こして」からは、その願いが奇跡でも起こらないと叶わないような物であることがそれぞれ示唆されます。
筆者はこの辺で「親が許してくれない」みたいなロミジュリ的悲恋ではなく、天地がひっくり返っても絶対叶わないようなレベルの社会的に絶対認められない悲恋なニュアンスを勝手に感じ取ってしまい、同性愛とか兄と妹みたいなシチュエーションもあり得るのかな?と考え始めた次第です。
1番サビ
「好きが重なるほど、深く愛を問い矛盾が続いていく」なので、お互いが両想いであるっていう気持ちを確かめ合えば合うほど、両想いなのに結ばれない運命であることの悲劇性が浮き彫りになって絶望するっていうサビなのかなぁと思います。
なので、2人でいる時だけは運命を忘れられるくらいもっともっと強く愛して欲しい、という悲痛な想いが7回の「もっと」に込められていて、その悲劇の運命を表すのが「このiは虚数」という曲名にもなってるフレーズなのかなと思います。
2番Aメロ・Bメロ
「降りやまぬ雨」「抗えないさだめ」など、1番と同様に結ばれない運命に打ちひしがれている感じで2番も始まります。
「罪の数式」が、ただの悲恋じゃなく社会的に罰せられるような許されない恋であることを示唆しているような感じがします。
「誰も消せない君の涙」「悲しみのピリオド祈るの 命かけて」は両想いである重要な描写だと思っています。
1番の同じ場所は「私の想い」なのに対して2番は「君の涙」なので、私だけじゃなく君もこの運命に苦しめられている、せめて君の悲しみだけでも取り除いてあげたい、だから君の悲しみのピリオド(終わり)を私の命をかけてでも祈る。
やはり私達2人の関係が、愛が重なっても結ばれない許されない物ということなんだと思います。
2番サビ
ここも1番のサビと同じような感じですね。
夢は掴むほどに切なくなる。
両想いになるっていう夢を掴むほど、それが世間から認められない現実に心が引き裂かれそうになるってことかなと。
「永遠に続く偽善・純情」は、お互いの幸せのために身を引こうor友達のままでいよう的な提案をどちらかがした場面なのかなと思います。
「このまま世間から認められない愛を続けてもお互い辛いからもう止めよう」みたいなことをどちらかが言って、「そんなの偽善だ。自分が傷付かないように自分の気持ちに嘘を付いてるだけだ」って問い詰める、みたいなBLとか百合漫画でありそうな場面を想像します。
「何度悩み 何度壊し 何度抱きしめた」からは、そういう葛藤や問いかけを何度繰り返しても結局好きで離れられない、みたいな切なさを感じます。
たとえ世界中を敵に回してもその手を離さない、だから世間の無理解からずっと私を守って、このiが虚数だったとしても・・・的な感じでしょうか。
Cメロ~ラスサビ
「正しい愛など分からない」は、私たちの愛が世間一般の正しい愛ではないっていう逆説的な証明ですよね。
でも、だからこそ儚く愛おしい。
世間から何を言われても戦い続ける、輝き続ける、もう二度と迷わない・気持ちに嘘をつかないと誓う。
そう誓ったからこそ「決意 勇気 凛として今ふたり羽ばたく」でこれからは自分達の関係を隠さず堂々と愛し合っていく宣言をしたのかなと。
それは世間の無理解・白い目線と正面から立ち向かう辛い選択でもあるので、「もっと私を信じて。絶対に最後まで一緒に戦うから」と7回の「もっと」で呼びかけてるのかな~と思います。
この解釈だと、やっぱりLGBTカップルのカミングアウトとか兄妹みたいな雰囲気を感じますね。
普通の悲恋とか不倫とかでも一応当てはまりそうですけど、それだとちょっと自分達の悲劇に酔い過ぎじゃない?って筆者はツッコミたくなってしまうので、できれば違っていて欲しい笑
あと、歌詞サイトやApple Musicの歌詞表示によれば、一番最後だけ「この愛は虚数」と「i」じゃなくてハッキリ「愛」と断言してるんですよね。
CDの正式な歌詞カード見てないので何とも言えないですが、もしこれが正しければ結構エモいなと思っていて。
世間から認められないことへの葛藤や迷いがあったから「i」ってぼかして表現していたけど、Cメロ~ラスサビで何を言われようが戦い続けるって強く誓ったから最後は迷いなく「愛」って断言してる、と筆者は解釈しました。
でも結局「この愛は虚数」なんですよね。
おそらく幸せにはなれない。だからこそ儚く美しい。
などと思ったのですが、CDの歌詞カード持ってる方いたら本当に「愛」って書いてあるのかコメント頂けると大変助かります・・・。
あとがき
・「このiは虚数」=「2人の愛が重なっても幸せになれない($${i^2 = -1}$$)」なので、両想いなのに決して結ばれない悲恋の話
・色々考えてみたけど、やっぱりLGBTとか近親相姦のような気がしてきた
筆者が少女漫画・BL・百合耐性が比較的ある方なのでこんな解釈に行きついてしまいましたが、皆さんはどう解釈したでしょうか?
これで「いや、普通の男女の恋愛ですよ。」とか長永コンビのお二人に言われたらだいぶ恥ずかしいですね・・・。
感想や解釈違いなどありましたらツイッターやここのコメント欄などにお気軽に送って頂けると大変嬉しいです。
以上、長々とお読み頂きありがとうございました。