ReoNa「トウシンダイ」- 等身大な思春期の投身台 -
まえがき
酷暑の夏、皆様いかがお過ごしでしょうか。
7月7日、七夕の本日にご紹介するのは・・・
・・・いや、なんでやねん。
はい、七夕は全く関係ございません。
昨日はReoNaさんのツアー@名古屋を2列目で堪能したので、その余韻でReoNaさん関連で何か書きたいな、というただそれだけでございます。
ちなみにセトリとも全く関係無く、単純にトウシンダイが好きなので前から書きたかった、というだけなので、来週の福岡・鹿児島から参加される方もネタバレ等はご安心ください。歌ってても歌ってなくても書いてます。
というわけで、さっそく行ってみよう🐈⬛
歌詞
・・・え~、はい。お察しの通りです。
そう、この「トウシンダイ」は、学校の屋上から飛び降りようとする女の子をテーマにした楽曲。
MVのサムネイルになっている学校の屋上の給水タンク。
そこは「等身大」な悩みに押しつぶされそうな思春期の「投身台」というわけです。
2ndシングルのカップリングにこんな曲を入れ込んでくる。
「絶望系アニソンシンガー」の名に違わぬ切れ味の鋭さです。
「大人になる前に 羽根を失くす前に 空の飛び方を忘れてしまう前に」が色んな捉え方ができると思います。
大嫌いな汚い大人に自分もなってしまう前に、綺麗で純粋なまま死にたい。
何者にもなれないまま年老いていくだけなら、そんな未来は見たくない。
大人になってまともな判断力を身に付けてしまったら、苦しくても安易に死ねない。視野も狭く後先考えない今なら、思い切って死ねるんじゃないか。
思春期の青さ・危うさ・不安定さがギュッと詰まってるような、そんな背筋が寒くなるフレーズです。
ここまででも中々ですが、2番以降も更に鋭さは増していきます。
「はぐれた雲の一房」が、集団に馴染めなくて孤立してる自分をイメージしているようで、そんな自分は雨粒になって空から落ちて行くだけ。
「涙に似た一滴」に声に出せない悲しさが詰まっているようで、「そうやって消えていくなら悪くないな」と優しく歌うのが逆に怖さを引き立てるような。
で、筆者が一番怖いと思うフレーズ。
生きてる実感なんて湧かない、生きる理由も見つからない。
ただ「なんとなく」生き続けてるだけ。
じゃあ、終わる理由も「なんとなく」でもいいじゃない。
凄くショックなことがあったとか、決定的な出来事があったとか、そんな特別な理由が無くてもいい。
"太陽が眩しかったから"とか、たったそれだけでもいい。
なんとなく、今日で自分の人生を終わりにしたって、いいよね。
実際に行動に移してしまう人って、本当にこういう危うさを抱えてるんじゃないかなと、勝手に想像して心がざわざわしてしまうような、そんな凄みがあるように感じてしまいます。
鏡の国ってやっぱり「鏡の国のアリス」をイメージしてるんでしょうか?
ちゃんと読んでいないのであらすじレベルの知識しかありませんが、「純粋な子供の間しか見えない世界」の象徴なんでしょうか。
大人というものを徹底的に毛嫌いしているというか、信頼できる大人に出会ったことがない、というこの少女の生い立ちをほのかに感じます。
「花束を飾るように飛べるだろう」がやっぱり怖い・・・。
この文脈で花束と言われると、事故現場に供えられる献花を連想してしまいますから・・・。
自分が死んで生まれ変わる日を「二つ目の誕生日」と言い切ってしまう、この静かな狂気。
「この最低な人生を終わりにして、新しいスタートを切れる大事な記念日。お祝いしなきゃ。」ということなのでしょうか・・・。
「ただ 何でもない日」が「なんとなくで終わるだけ」とささやかに響き合っているような気がします。
ラスサビで畳みかけるように4回も「飛べるだろう」を連呼するのが、最後の決心をするために自分に言い聞かせているようで・・・。
恐怖と興奮でこの少女の感情がピークに達していく過程を、一緒に体験させられているような錯覚に陥ります。
そして、クライマックス。
はっきり明示されているわけではありません。
我に返ってフェンスの中に戻って、金網から手を放した。
そう捉えることもできるかもしれません。
でも、この少女は「跨いだ金網 後ろ手に 深く息を吸って ぎゅっと目を閉じた」体勢だったわけで。
その状態から「するり 指をほどいた」としたら、どちらの結末だったのかは・・・。
付け加えると、最後の「生温い風が吹いて 夏の匂いがした」がこの曲を締めくくるに相応しいフレーズだと感じます。
生きている実感が湧かず「なんとなく」生き続けてるだけだった。
そんな少女が、ついに飛び降りた瞬間、生温い風の温度と感触を肌で感じ、風の中の夏の匂いを鼻で感じた。
「死」を選んで後戻りできなくなった時、自然から感じる「生」の実感を五感が突然訴えかけてくる。
死ぬ間際にようやく、この少女は自分がまだ生きていた実感を持てたのではないか。
「死」へ向かうこの曲の中で最後にだけ登場する「生」の実感が、逆説的に破滅的な結末を強調しているような。
そんな言葉を失うような余韻の中で、アウトロのギターが不気味なほどに心地良く響いていく。
重厚なドキュメンタリーを見終わった後のような、後味の悪さと不思議な心地良さが同居する、他では味わえない感覚を覚えます。
「絶望系アニソンシンガー」ReoNaさんのお歌、ライブでご覧になったことがない方は是非一度受け取って欲しいと、そう切に願う筆者です。
あとがき
筆者のブログはClariS関連の読者が多いかと思いますが、この「トウシンダイ」の作詞作曲はハヤシケイさん。
そうです。はたらく細胞でお馴染み「CheerS」の作詞も手掛けた、あのハヤシケイさん。
信じられます?この2曲同じ人が歌詞書いてるんですって。
「ハッピーグッデイ満点じゃなくてもOK」と同じ人が「飛べるだろう」ですよ?
人間の深さって想像以上ですね(震え)
そんなわけで、ClariSファンにもReoNaさんを聴いて欲しいし、ReoNaファンにもClariSを聴いて欲しいと切に願う筆者でした。
じゃあな!
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