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poconen
つぶやき
さっきまで、自分は動いていないのに聴こえてくる
周りの生活音に取り残されている自分を感じていたのに
こうしてタブレットを開き、打ち込みを始めようとしたら思考が書き変わって
集中感が出てきた。
職場にいる時は全然感じなかった
けれど、こうしていると集中することができる。
思考 と 考え
想像 と 解決
解決することが好きなのかな。
人と会話する時は両方を使っているからとても疲れる。
思考と感情 なのか
解決と優しさ
優しさには脆さと甘えがある。
使い分ける という高度なことをやってのけているのかもしれない。
自分だけの幸せであれば、
立ち止まり諦めれば
シンプルになるだろう
自分の幸せを、もう一度経験しても良いだろう。
自分の幸せを理想とする人はどのくらいいるのだろうか。
相手の幸せ➕みんなの幸せをまるで経験しているかの様だ。
自分自身の 幸せ ではない感覚だが、
使命 的な感覚である。
自分が幸せで、それが溢れた時に相手も、また
みんなも幸せにできるとか言う考え方もある。
そうしてた時は、それが当たり前だと思っていた。
自分の幸せが 思考優位なのか感情優位なのか、
本質はどちらなのか。
思考優位にすれば、他人に依存することのない生活を営める。
ただ、感情優位でないと豊かさはやっぱり感じられないんだよなあ。
素直に話せば、思考優位な付き合いって馬鹿馬鹿しい
気を遣ってお互いに苦しくないのかな。
気を遣わない、があるといいのかな。
思考優位になると、言語化されるかんじがする。
アウトプット、吐き出すことは言語化して、
インプットは感情優位で感じればいいのかな、
あくまで私の場合。
感じたことを言語化する
が好きなんだ。